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ポスト・ムービー・トレイル〈5〉──看護師たちとふりかえる

私たちは、どんな時代を生きているのか──。

私(わたくし)の記録と記憶の価値に着目するアーカイブ・プロジェクトAHA!は、東京・世田谷の各戸から提供された8ミリフィルムのアーカイブサイト「世田谷クロニクル1936-83」の利活用に取り組んでいます。

家族の団らん、レジャー、社員旅行といった昭和のホームムービーには、「現在」という時代の価値観をくっきりと浮かび上がらせてくれます。世田谷を中心に地域での暮らしや在宅医療の現場でリサーチに取り組む神野真実さんに聞きました。

「このホームムービー、どんなふうに使えますか?」

連載第5回(全6回)

文=神野真実(デザインリサーチャー)
1994年生まれ。祖父の死をきっかけに、耳の不自由な祖母(当時86歳)が引きこもる姿を目の当たりにし、人の死からはじまる新しい生活への移行と地域社会のあり方に関心をもつ。「かつて暮らしの延長にあった老いや死を、どのように日常に取り戻していけるのか」という問いのもと、ケアの現場の内と外をつなぐデザインプロジェクトを実施。世田谷区を中心に在宅医療を提供する医療機関の運営にも携わる。

2022年11月10日
19:30-22:00 桜新町アーバンクリニックにて

看護師たちには、チエコさんと同じように、他の患者さんとともに映像を見てもらい、1ヶ月後に振り返りを行うことにした。その間、私も訪問に同行したり、音声で反応を聞かせてもらったりした。

振り返りは、誰とどんなふうに映像を見ることができたかシートに書き込み、それぞれの内容について一通り発表してもらったうえで、いろいろな質問を投げかけた。看護師たちと一緒に映像を見た人は、70代から100代までの計19組32名、うち11名は世田谷歴60年を超える人々であった。看護師たちはこの新しい試みを、細心の注意を払いつつも軽やかにケアに取り入れ、予想以上に多くの患者さんと一緒に映像を見てもらうことができた。


映像を流しはじめるとき

神野 どんな人と、どんな時に映像を見ようと思いましたか?

ちえ その日の本人の体調が落ち着いていて、ケア内容にも、自分自身にも余裕があるときに...という感じですかね。

尾山 最初からやれそうだと思って、バイタル(呼吸・体温・血圧・脈拍)を測ったあとに始めることもあれば、最後、時間が10分余っているから、やれそうだ!と思ってやってみる、ということもありましたね。

神野 逆にこういう時は見られなかったっていうのはありました?

坂詰 視力の関係でテレビが見えないと、ちょっと難しいですね。見せてあげたいんだけど、音もないから。あとは重度の意識障害があったりする人も難しいですかね。

ちえ 家族が認知症で、怒りの傾向が強いと、いつもと違うことをやるのはなかなかハードルがあって見せられない、ってこともありますね。

神野 本人の状態はもちろん、家族やケアの状態とも併せて判断していく必要があるんですね。

神野 チエコさんのところに行った時は、坂詰さんが「最近デイサービス、行きたくてもなかなかいけてないでしょ。ちょっと面白いもの持ってきたから...」といった感じで始めていて、上手だなと思いました。どうやって映像に導入していましたか?

坂詰 あれは、尾山さんと神野さんが来てくれたっていうのが一つの導入でもあって、チエコさんはおしゃべり好きだからすごく楽しくできましたね。あとは、出身地とか、本人の人生に紐づきやすいところを、これかな? これかな? って見せてみました。なかなか紐づけにくい時は、昭和何年とか、年代で紐付けちゃう。生まれが昭和20年ぐらいだったら10歳頃、昭和30年頃の映像流してみるとか、何かしら紐付けをしてました。そうすると何かが出てくる。ポカンとして全然反応ないな、と思っていたら、急におじいさんの海軍の時の写真を出してきたりとか。モノクロの映像が、何か記憶に訴えかけるものはあったのかなと思います。

尾山 玉電に乗ったことがない人に、電車の映像を見せてもヒットしないんですよね。私たちは生活歴をある程度分かっているから、ここがいいんじゃないか、みたいなのを大体目星をつける感じです。3歳の時とかだと、本人の記憶があんまりないから10歳くらいにしていましたね。

神野 だいたい10歳くらいなんですね。

尾山 10歳でなくても、その年齢より上のくらいからだと記憶がはっきりしている可能性があるので、その年齢以上の映像を流していく感じですかね。

坂詰 あと、ラジオ体操、玉電、上野動物園はテッパンでしたね。

尾山 その3つはテッパンですね〜。

ちえ 出身地を問わずにテッパンですね。

坂詰 他には、お正月とかお宮参りみたいな、風俗とか文化的な香りするものとか行事ごとをちゃんとやっている世代だから、その辺りもよかったかな。意外と、井の頭公園もヒットしましたね。

ちえ あと、子育ての記憶はやっぱり特別みたいで、ほかのものには反応がなくても、赤ちゃんの映像を見せた時だけ「うちの子もこんな格好してたんだよ」って、強く反応する人もいましたね。

坂詰 ほかには、男の人だと新幹線とか野球、女の人だと結婚式。結婚式は、映像を流しながら「〇〇さんのとき、どうだったの?写真見せて」とかいうと照れながら出してくれたりしてね。訪問に行って、脈絡なく結婚式の話ってできないけどこういうのがあると、話題に出せるよね。

尾山 たしかに。良いきっかけになりますよね。

坂詰 認知症の方も多かったけど、その人たちの記憶を探る糸口って、どこにあるか分からなかったりするんですね。いろんな記憶をなぞりながらいつもは探ったりするけど、クロニクルは飛び道具っていうか。かつてない記憶のノックの仕方になりました。だって想像もつかないノックの仕方じゃないですか、上野動物園の映像から記憶にノックするっていうのは。そういう意味でこれがなければ聞き出せない話がいくつもありました。

神野 なるほど。

坂詰 認知症のある人は、視覚的な映像があったほうが思い出しやすい様子だったし、奥さんとか娘のほうが先に反応して喋り出すと、つられて本人が話し出すということもありました。そうすると家族の単位で記憶が探れて面白かったですね。

神野 家族単位の記憶ってどんなイメージですか?

坂詰 本人の過去の記憶と現在が混同してしまっていて、家族が「何言ってんの〜こうだったでしょ」って語り始めたり。実際のところ、本人も家族も記憶が書き換えられているかもしれないけど、何が本当のことなのかはどうでもよくて、互いに多少ギャップのあることを言いあってるのが面白かったですね。
同じ記憶でも個人の記憶と家族の記憶ってちょっと違って、混ざり合っているんだけどディティールの違うところがあって。そこにわざわざ触れてみると、それぞれの違いが見えてくるんですよね。そうやって互いの記憶の隙間を家族同士で埋められる可能性もあるし。テレビで映像を流していると、家族が寄ってきて、本人そっちのけで話しだしたり。

尾山 そうなんですよね。テレビで流すと、周りの人にも映像が開かれるから。家族とかヘルパーさんが来たときに、「何見てるの?そんなの見れるの?」って話になって、世田谷クロニクルを紹介したら、今度見てみます、みたいな感じによくなりました。

神野 尾山さん、ちえさんはどうやって導入していました?

尾山 「〇〇さんの若い頃の映像が見つかったから一緒に見たいと思って」とか、「〇〇さんってこういう時代を生きてきたのかなと思って確認したい」とか、幼少期にどういう場所で育って、どういう景色の中を生きてきたか、この人(看護師)は、私に興味を持ってくれているんだなっていうことがうまく伝わると、前のめりに話してくれるという印象はありました。

ちえ 「ちょっと見て欲しいんだけど...多分見覚えあるような映像あると思うよ」っておすすめしたら割とあっさり見てくれる人もいますね。

坂詰 面白くなかったら辞めちゃえばいい話で。訪問看護の時間の60分なら60分の導入5分ためしにつけてみて、はい終わり、となるかと思いきや終わらなかったりね。

尾山 本当に人による、って感じですよね。

坂詰 僕らは距離感を大事にしていて、ラジオみたいにチューニングしているんですよね。その人のその時にあわせて、自然にやっているんです。


はっきりしている記憶を話すこと

神野 聞いた話の中で、印象に残っていることはありますか?

尾山 サービス付き高齢者住宅に入るために世田谷にきたタダシさんのことですね。世田谷に根付いた記憶と結びつくというよりは、自分の年代、親しんだ幼少期の記憶が呼び起こされることに楽しみとか安心感みたいなものを感じているようでした。
奥さんとの死別以降、精神的に不安定な状態が続いているんですけれど、今回、かなり多弁に、いろんなことを想起しながら語ってくれていたので、先生に報告しちゃいました。「これいいかもしれません」って。本人も「これ、もう一度見るのにお金かかるの?」って言ってたくらいでした。でも、その次に訪問した時には、そういう気分じゃなかったみたいだったので、本当にその日その時によるんですけれど。

神野 タダシさんとは、何の映像を見たんですか?

尾山 幼少期の頃にあたる映像ですね。最近のタダシさんは、忘れっぽくなったり、人の説明がうまく理解できなかったり、今の社会に自分がうまく接続できていない辛さを抱えている状態なんですよね。子どもの頃のはっきりとした記憶は、混乱なく話すことができるので、精神的なケアになる印象をもちました。『清ちゃん、白ブタ』の映像に出てきた女の子が妹とよく似ていたみたいで、「妹みたい、妹みたい」って、自分と重ね合わせていました。

ちえ やっぱりそういうのありますよね。今日、「元気ですか、調子どうですか」っていう質問には答えないけど、何か自分に引っかかるキーワードが出てくるとすごい自信を持って話し出す。ヤスダタカオさんは、ある日ジーパンを履いていて、「ジーパン履くんですね」って話をしたら、「アメリカ軍の人が私物を売っていた市場があってね...」と急に昔の写真を引っ張り出して見せてきて。わーって話し出したから、やっぱりそこは語れるんだなって。

尾山 今のことは話せないけど、昔のことは昨日のことのように話しますよね。それに、自分が分かっていることを、分からない私たちに伝える、っていう関係性になるから、それもまた新しかったですね。普段どうしても、「こういうふうにするといいですよ」って私たちが提案することが多くなってしまうけれど、自分が知っていることをこの子に教えてあげよう、っていう気になってもらえるといろんなことを聞けますしね。

神野 関係性が逆転するというか、上下関係ではないけれど、ケアをする者・される者の関係から、知識と経験を教わる・教える者になれるんですね。その人の話を興味を持って聞く存在がいるから引き出される話、というのもありそうです。

尾山 その人の人生の奥行き、過去の出来事への溢れ出す思いを受け取る行為もケアにつながるなと思いました。…あと、戦争っていうのはやっぱり大きいな、と思いましたね。どの人の話にも出てくるし。戦前、先生について書道の道に進もうと思っていたけれど、戦争が激しくなって、その先生と連絡がとれなくなってしまって、その道を断念した話とか。小学生ぐらいの時、将来は軍人になると思って、軍人さんごっこばかりしていた話とか。
世代的に10歳くらいのときにその経験をしている人が多いから、子どものころの記憶に戦争の経験が混ざっているんですよね。同時代を生きた人が共有する記憶という意味でのコロナと近いと思うんですけど。

坂詰 僕たちも将来「あれにかかると大変でねぇ」とか話しそうですよね。「物資が段ボールで送られてくるんだけどねぇ、ドレッシングとか海藻がやたら多くてねぇ」とか(笑)

尾山・神野 はっはっは


世田谷クロニクルから一人ひとりのクロニクルへ

神野 今回映像を使うことを現場でやってもらったんですけど、そもそも現場に映像を持ち込むってことはこれまでにありました?

尾山 YouTubeとか、使うことありますね。

坂詰 音楽とかね、聖歌とか歌う人もいるので。

ちえ それこそラジオ体操とか、体操をやるときにもね。

尾山 あとは、何か話題に出たものを検索して、一緒にその土地の映像を見たり。やっぱり、話だけ聞いても想像するものが違ったりもするし、同じ風景を認識して、「そう」って言った瞬間に、そこから次のイメージが展開されたりするので映像はいいなと思います。

神野 これからも世田谷クロニクル、使ってみようかなって思いました?

尾山 そうね。コネクタを使ってテレビの大きな画面で見れたのはよかったですね。「今日やるぞ!」と意気込まなくても、ちょうどよくできそうです。新しい扉を開けられそうで。

ちえ あとは細かいことで、テレビと延長コードがうまくつながらないと、「もういい、もういい」って気分が変わっちゃったりするので、いかにスムーズに繋げるかというのも大事です。あとはその人の人生に紐付けやすいタイトルかどうかっていうのもすごく大事で。たとえば『父の1日 伊知郎さつ影』というタイトルだと何が映っているか分からないので、具体的な内容に言い換えるとか。本人に関わるネタを取り出したいときに、すぐにそのシーンにいけるかというのもポイントで。

尾山 映像の内容を熟知して、何分あたりに希望のシーンが映っているのかを把握していると、現場での見せ方が上手くなりますよね。

ちえ たしかに、今見せたいなっていう瞬間は突然やってくるから、構えてはじめようっていうよりは、「今だ!」と言う時にね。ハマると思わなかったと思っている人にも突然使えそうな気はしますね。

尾山 同じ人でも、来週は別に見たくなかったりするしね。波が来た時に、波を逃さないというのができたらいいなと。

坂詰 クロニクルを見て感想が聞きたいわけじゃなくて、あくまでもきっかけというか。その人の歴史とか、扉を開いて、そこから本人のケアにつながることを探したり、本人の痛みが和らいだり、今を生きる意味につながっちゃったりする可能性を僕たちは求めていますね。

看護師たちは、映像を一緒に見ることや、史実を確認することを目的とするのではなく、これまでやってきたことと同様に、本人の歩んできた人生を語る豊かな時間として、またそこから、ケアへのヒントを掴むために映像を活用していた。また、思わぬ角度から記憶を引き出すことができる飛び道具としての使い方にも価値を感じていたようだった。

同時に看護師たちは、それぞれの患者の、不安定な日々を受け止める存在として、日々のささやかな喜びやたしかさを作り出す存在であることも知った。

左から坂詰さん、尾山さん、ちえさん、神野(筆者)

第6回につづく)

文=神野真実(デザインリサーチャー)
写真=尾山直子(看護師/写真家)


ポスト・ムービー・トレイル──昭和の8ミリを携えて街を歩く
1 近くて遠いケアの世界
2 桜新町の今昔を歩く
3 ケアの現場に近づいて
4 チエコさんのおうちへ
5 看護師たちとふりかえる
6 受け取ることからはじまること

※ 本記録に登場する、患者さんの人物名は一部仮名です

GAYA|移動する中心
昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]