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SIは見た No.51『新幹線試乗』の場合

私たちは今、どんな時代を生きているのか──。サンデー・インタビュアーズ(SI)とは、そんな問いを探求するロスジェネ世代の余暇活動です。

月に一度の日曜日、6人のメンバー*は84巻あるホームムービー*をひとつずつ紐解きながら、オンライン上で話し、聞き、考えます。

今月(2022年9月)のお題は、No.51『新幹線試乗』。さて、そこには何が写っているのでしょうか。メンバーの言葉を紹介します。

*本テキストはSIが毎月行うオンラインワークショップの記録です。
*メンバーは2022年度の公募で集いました。
*ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』をご参照ください。

No.51『新幹線試乗』
撮影時期|昭和39年10月1日
撮影場所|新幹線車内(東京-新大阪間)
開業前の東海道新幹線の試乗。フィルムに映っているのは国鉄関係者や新幹線開発の要人たち。撮影者も新幹線開発に関わっていたため参加。時速メーターや電子レンジが食堂車に取り付けられている。「この日はよく覚えている。東京から大阪まで日帰りできるって考えられなかった」とは撮影者の妻の言葉。

世田谷クロニクル1936-83』より

00:55

「車内販売の女性の制服の白いエプロンが懐かしい」

「客室乗務員の制服がレトロ。大きなリボンが目につく」

「網棚が本当に“網”でできている。網棚の高さや形状からして、大きなキャリーケース(スーツケース)は置きづらそう」

「昭和の旅行といえばボストンバッグのイメージ。いつから日本ではキャリーケースが一般化したのだろう。手荷物の変遷も気になる」

02:55

「カメラで撮っている人を撮る」

「車内でもカメラ撮影をしている。持っているのはブラックボディのライカ?」

03:14

「新幹線のビュフェ車が映る。自分が若い頃に乗った新幹線の車内にも売店があったような気がするけど、いつまであったのだろうか。いま見ると非効率な売り方だなあと思う。のどかな印象だ」

「ミニ食堂車両。混み合っている様子。新幹線だからか手振れが多い。新幹線の揺れは、いまとどれくらい違うのだろう」

「ウェイトレスの衣装と乗客の対比が興味深い」

03:54

「食堂車の窓際に花瓶が飾られている。割れたりしないのかな? このあとのシーン[12:28]でも窓際に花瓶が映る」

「私が初めて新幹線に乗った頃の記憶では、車内に花瓶はなかった」

「花瓶は車内の揺れが少ないことを示すシンボルなのかも」

05:01

「車窓の風景。これはなんの川だろう。大井川? それとも天竜川?」

「川にしては広い。もしかして浜名湖? のぞみだと一瞬で通り過ぎる印象なので、ずいぶんじっくり眺められるなと思った。」

06:33

「向かい側のホームに蒸気機関車が走っている」

「ホームに機関車? 珍しかったのだろうか。ずっと撮影している」

「SLからの移行期だろうか」

「SLと新幹線と同じ時代に存在していたことに感動を覚える」

10:33

「遠くに大阪城が見える。いま東海新幹線から大阪城は絶対に見えない。京都と同じように、現代ほど高い建物がなかったということ。まるで当時が江戸時代の延長だったような気がしてくる」

次回(2022年10月)は、No.24『井の頭公園』をみんなで見ます。

サンデー・インタビュアーズとは
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]