SIは見た No.29『京王プール』の場合
私たちは今、どんな時代を生きているのか──。サンデー・インタビュアーズ(SI)とは、そんな問いを探求するロスジェネ世代の余暇活動です。
月に一度の日曜日、7人のメンバー*は84巻あるホームムービー*をひとつずつ紐解きながら、オンライン上で話し、聞き、考えます。
今月(2021年7月)のお題は、No.29『京王プール』。さて、そこには何が写っているのでしょうか。メンバー7人の言葉を紹介します。
*本テキストはSIが毎月行うオンラインワークショップの記録です。
*2021年度は公募で集まった7名のメンバーで活動しています。
*ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』をご参照ください。
↓映像はこちらからご覧いただけます
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「ラジオ体操っぽい動きもあるがそうでない動きもある」
「日本では家族みんなで体操するのだろうか? なぜか?」
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「先導役の男性の背筋に目がいってしまう。この男性の世代はみんな戦争に行った年代だったのではないか」
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「タツノオトシゴのシャワーのインパクトが強い。記憶に残っている人も多いのでは」
「壁がブロック塀。床もコンクリートむき出しに見える。遊園地にしては全体的に色彩がなく、ハレの感じがしないが、みなとても楽しそう」
「口から水を出すタツノオトシゴ(なぜタツノオトシゴ?)。わたしが小学校のころ(昭和52年ごろ)、タツノオトシゴグッズが流行った記憶がある」
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「おやつはパン。そのあとに瓶の牛乳。おなか大丈夫? プール サイドの軽食の歴史が気になりました」
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「箱ブランコで遊ぶ親子。『世田谷クロニクル』にはこの遊具がたびたび出てくるが、事故が多発して、現在では見かけなくなった。 かつて自分の家にもあった」
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「京王プールの出口を外からちゃんと「受け」で撮影している。最初から最後までかなり意識的に「一日の記録」をしていたんだなと思う。事前に決めて、漠然と撮っている感じではない」
「学生帽、制服、下駄履いているみたい。普段からこの格好? 行楽地へ行くから制服姿なのか? 男の子たちもそろいの帽子。バンカラとかにつながる? 下駄といえば、私の近所にある古本屋の方から「野坂昭如が下駄を履いて店に来ていた」と聞いたことがある」
その他
「日本でカラーテレビ放送が始まったのが、1960(昭和35)年だそうです。1950年代はまだ白黒映画が多かったようなので、カラーで映像をみる経験自体が貴重なものだったのではないか」
「1959年(昭和34年)にプール(のちの京王プール)が開設される。開園まもない頃の映像か。プールは1990年前後にはの営業を終えている」
「家族の一大イベントとして「海」に行くことが多く、プールのほうが気軽に行けた記憶多い」
「私の父はベトナム人、レジャーといえば海だった。日本は島国なのになぜ海ではなくプールに行くのだろうか」
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次回(2021年8月)は、No.41『流鏑馬』をみんなで見ます。