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SIは見た No.29『京王プール』の場合
私たちは今、どんな時代を生きているのか──。サンデー・インタビュアーズ(SI)とは、そんな問いを探求するロスジェネ世代の余暇活動です。
月に一度の日曜日、7人のメンバー*は84巻あるホームムービー*をひとつずつ紐解きながら、オンライン上で話し、聞き、考えます。
今月(2021年7月)のお題は、No.29『京王プール』。さて、そこには何が写っているのでしょうか。メンバー7人の言葉を紹介します。
*本テキストはSIが毎月行うオンラインワークショップの記録です。
*2021年度は公募で集まった7名のメンバーで活動しています。
*ウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』をご参照ください。
No.29『京王プール』
撮影時期|昭和36年8月13日
撮影場所|京王遊園
京王プールで過ごした夏休みの一日。提供者の父(46歳)が、家族や母方の祖母、母の妹家族を連れて行った時に撮影。2015年、住み慣れた家を取り壊すことに。片付けをしていた時にフィルムを発見。解体直前の実家で上映会を実施した。提供者、提供者の兄、姉、妹が集まって鑑賞。これを契機に今回のデジタル化に至る。(『世田谷クロニクル1936-83』より)
↓映像はこちらからご覧いただけます
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![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58932546/picture_pc_d3e2ad6019cdef88e0298babcea04b32.jpg?width=800)
「ラジオ体操っぽい動きもあるがそうでない動きもある」
「日本では家族みんなで体操するのだろうか? なぜか?」
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![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58932552/picture_pc_62f40fc32ac8486732c3bf8064694c83.jpg?width=800)
「先導役の男性の背筋に目がいってしまう。この男性の世代はみんな戦争に行った年代だったのではないか」
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![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58932583/picture_pc_b1148aa29a2bb05a04c822e54eaf232d.jpg?width=800)
「タツノオトシゴのシャワーのインパクトが強い。記憶に残っている人も多いのでは」
「壁がブロック塀。床もコンクリートむき出しに見える。遊園地にしては全体的に色彩がなく、ハレの感じがしないが、みなとても楽しそう」
「口から水を出すタツノオトシゴ(なぜタツノオトシゴ?)。わたしが小学校のころ(昭和52年ごろ)、タツノオトシゴグッズが流行った記憶がある」
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![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58932703/picture_pc_51a93ccd89d4ac362bcdad54b58ece5f.jpg?width=800)
「おやつはパン。そのあとに瓶の牛乳。おなか大丈夫? プール サイドの軽食の歴史が気になりました」
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![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58932707/picture_pc_45c9391b8a6934dbb90c4bd2b53fa7ab.jpg?width=800)
「箱ブランコで遊ぶ親子。『世田谷クロニクル』にはこの遊具がたびたび出てくるが、事故が多発して、現在では見かけなくなった。 かつて自分の家にもあった」
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![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58932710/picture_pc_6ddfb57e890fd5038bec69fcad2c1ced.jpg?width=800)
「京王プールの出口を外からちゃんと「受け」で撮影している。最初から最後までかなり意識的に「一日の記録」をしていたんだなと思う。事前に決めて、漠然と撮っている感じではない」
「学生帽、制服、下駄履いているみたい。普段からこの格好? 行楽地へ行くから制服姿なのか? 男の子たちもそろいの帽子。バンカラとかにつながる? 下駄といえば、私の近所にある古本屋の方から「野坂昭如が下駄を履いて店に来ていた」と聞いたことがある」
その他
「日本でカラーテレビ放送が始まったのが、1960(昭和35)年だそうです。1950年代はまだ白黒映画が多かったようなので、カラーで映像をみる経験自体が貴重なものだったのではないか」
「1959年(昭和34年)にプール(のちの京王プール)が開設される。開園まもない頃の映像か。プールは1990年前後にはの営業を終えている」
「家族の一大イベントとして「海」に行くことが多く、プールのほうが気軽に行けた記憶多い」
「私の父はベトナム人、レジャーといえば海だった。日本は島国なのになぜ海ではなくプールに行くのだろうか」
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次回(2021年8月)は、No.41『流鏑馬』をみんなで見ます。
サンデー・インタビュアーズとは
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/
*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。
主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]