言葉は『真の悩み』を伝えられると思いますか?

こんばんは。山原です。


<言葉は『真の悩み』を伝えられると思いますか?>

先日、オンライン上で「自分のやりたいこと」について相談をする機会がありました。相手は初対面の方です。

するとどうでしょう。何故か僕の口から出てくるのは「え?自分ってこんなこと思っていたの?」というような内容ばっかりでした。

僕は途中でとても不安に思いました。今話したことは果たして自分の本心か?本当に不安に思っていたことはこんなことだったのか?と。

もっときちんと説明しなきゃと思えば思うほど、言葉の解像度はどんどん下がっていくような矛盾した状況でした。

口に出せば出すほど(いや、本当に言いたいのはこんなことじゃない気がするな…)となるから不思議です。

もちろん初対面の人と話をすると言う心理的ハードルは多少なりともあったと思います。話をしている途中でとても疲労感を感じました。

思っていた言葉と違う言葉しか出てこない。

悩みや不安がうまく言葉にできない。

みなさなんもこんな経験ありませんか?


僕は以前、福祉関係の支援員をしていたので「相談者が話すことがすべて本心とは限らない」というのは知識として知っていました。

それは「嘘をつく」とは違います。

たとえ「困っている」状況であっても、人は「こんなことを話したら相手はどう思うだろう」「こんな風に伝えたほうが心証がいいんじゃないか」など複雑な思考を無意識に働かせ、時に本音とは違うことを話すしか「できない」ときがあるのです。

だから相談を受ける側である支援員は、なるべく客観的に現状を把握して、「本当に相手が求めていることは何か」を導き出さなくてはいけませんでした。

そういうことを知識として知っていた自分が、まさか相談者になったときに本心とは違うことを「話してしまう」状況になるとは夢にも思いませんでした。

その時ふと思ったのが、

人は「不安なこと」「怖いこと」「難しいと感じていること」を、どれだけ正確に伝えられるのだろうか?ということです。

「自信のあること」や「好きなこと」というのは言葉にしやすいです。

それらは脳の中での解像度が高いし、知識もあります。だから言葉にするときは比較的簡単です。

ですが「悩み」や「不安」ってとても漠然としています。

そもそもの解像度が低いから、言葉にもしづらく、詰まってしまう。うまく言葉にできないから、相手にも伝わらない。

本当に伝えたい言葉が伝わらないもどかしさと言ったら、黙っているより疲れるし、しんどいのです。

そうなると冒頭で話をした「お悩み相談コーナー」って一体どんな立ち位置なんでしょう?笑

質問のほとんどは本音ではないかもしれないが、回答者はこれに答えなければならない。

あのコーナーがスムーズに成り立つために必要なのは、問答ではなく一方通行のコミュニケーションです。

基本的に質問を受けた側が自由に解釈して話せばよいので、そこに質問者 の本音をさらに踏み込んで聞き出す機会もなければ必要性もないわけです。

こんなこと言うとまるで質問コーナーやお悩み相談コーナーが嫌いみたいに誤解されるかもしれませんが、全然違います。ヤ〇ー知恵袋はよく見ますし、お悩み相談に投稿したこともあります。むしろめちゃくちゃ好きです。

でも本当に話す必要があることは、もっと踏み込んだ先にあるんじゃないか?ということです。

今、言葉のコミュニケーションに関する本を探すと、とてもたくさんの新作が出ています。

ざっと読んだ時にテーマとして多いなと感じたのが、「人に伝わるわかりやすい言葉」「人に受け入れられやすい心地よい言葉」をいかに自分の脳にストックとし、使うかという技術についてです。

「わかりやすい言葉」を伝える本だけあって、内容もとても「わかりやすい」です。人は「わかりやすい」が大好物なようです。

「不安」や「悩み」は複雑です。一つの感情、一つの出来事だけではない、形容しがたいうえに、変化する不安定なものです。とても「わかりやすい」とは言えません。

じゃあ僕らはこのわかりにくい「不安」や「悩み」を本当の意味で言葉にすることはできないのでしょうか?

「そんな難しいこと考えても仕方ないし、不安や悩みは自分で解決したらいいじゃないか」という声が聞こえてきそうです。

だとすると僕らは、僕らの世界でそうして「不安」や「悩み」を抱え、苦しく辛い思いをしている友人が、

いつかすべてを諦めて絶望のままこの世から去っていったとしても、

「仕方ない」ということになります。

その人はあなたの友人かもしれないし、あなた自身かもしれません。

その人の抱える悩みや不安は、いつか自分も抱えることになるかもしれません。そんなこと絶対にない、とは言えないのです。人はひょんなことから簡単に「弱者」になりえます。

そんな時、僕らは果たして『真の悩み』を口に出すことができるでしょうか?それは僕らの最後の「SOS」になるかもしれません。

多くの人が自分の真実を話せないままこの世から去っていくことを良しとする社会は果たして良い世界でしょうか?

『真の悩み』を口に出せたとして解決できるとは限りません。

では、解決できないことは口に出さなくてもいいのでしょうか?

もっと言えば、人から好かれ、わかってもらえる言葉だけを話すことだけを目的とした社会は、

本当の意味で人の多様性を認められるのでしょうか?


もし僕らがいま『真の悩み』を言葉にできていないとしたら、

その方法を知ることは僕らが生きる上でも、この世界がより良いものになるためにも大切なことではないでしょうか。


あなたの言葉は『真の悩み』を伝えられると思いますか?

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