暖かみのある場所

新型コロナウイルスの影響で外出を自粛することになった。
不要不急の外出は控えるようにとなった。
当然、僕の会社も原則的に会社には来るなということになり家で仕事をすることになった。
しかし、家に引きこもっていると誰とも喋らなくなるため友人と電話をするようになった。
「自粛するのそろそろ飽きてきたわー」
友人の宏司が言った。
当然、この意見には僕も同意なわけである。
「いや本当にな。流石にさ、家の中だとやることがどんどん無くなってくるんだよな。それがしんどいわ」
「俺は家でストレッチしたり、家の近所少しだけ散歩したりしてるけどそれでも飽きるわ」
「宏司そんなことしてんのか。僕もやろうかなぁ」
「隆之もやった方が良いぞ。少し運動するだけでだいぶ気持ちも違うぞ」
そんなアドバイスをもらった。
けれども、外出するのも本当に怖いから散歩にも行けない。
「あ、すまん。そろそろ彼女帰ってくるわ」
「あ、彼女さんは会社行ってるん?」
「いや、今日だけどうしても出社しなくちゃいけないらしくて。基本的にはテレワークになってるよ」
「そっか。そんな中僕と電話なんかに付き合ってもらてすまんな」
「良いんだけど。これからしばらくは出来なくなるわ。彼女も家にいるし、家事とかしっかり二人でやりたいし」
「宏司は偉いな。僕だったら絶対無理だわ」
「そんなことないだろ。とりあえず、終息したらお前は早く彼女作れよ。んじゃな」
そう言って宏司は電話を切った。
宏司は社会人になってから出会った彼女と付き合っている。
同棲もしていて、そろそろ結婚するかもしれないって聞いている。
一方の僕は、彼女はいないし、お金を節約したい意味もあって風呂無しのアパートに住んでいる。
同じ大学を出て、馬鹿なこと一緒にやっていたのにどうしてこんなにも違いが出たんだろう。

僕が住んでいるのは東京都荒川区。
荒川区は東京都内でもまだまだ下町の雰囲気が残っていて、どこか人情味の溢れる街並みが多い。
少し歩けば、山手線や京浜東北線が通っている駅にも行けるし、地下鉄も通っているから不便はしない。
そして僕が荒川区を選んだ理由は、銭湯が沢山あるため風呂無しの物件が結構ある。
僕は高級取りではないので、出来れば家賃を抑えたかった。
だから風呂無しのアパートに住もうと思っていて、色々調べた結果行きついたのが荒川区だった。
「荒川区に住んで最初はスーパーとかどこにあるか分からなくて戸惑ったけど、商店街があるから買い物には一切困らなかったなあ」
失礼。独り言が漏れてしまった。
トイレはあるけれども、お風呂は無いため僕は銭湯に行っている。
外出自粛はしているけれども、お風呂に入ることは不要不急ではない。
東京都の休業要請の中に、公衆浴場が含まれていないのは僕のようにお風呂が無い人の衛生面を維持するという銭湯本来の目的のため。
こんな状況でも、公衆衛生のためとは言え開店してくれている銭湯には感謝しかない。
「さってと。とりあえずお風呂に行かないとな。こればっかりは仕方ない」
ポソリと呟いて、お風呂セットを持って家を出た。

僕が行くのは歩いて5分程の梅の湯という銭湯だ。
近年リニューアルしたそうで、綺麗で広々としている。
今は中止されているけれどもサウナが入浴料だけで入れるのでいつも混んでいる。
けれども、今は人が少ない。何故なら自粛中だから僕みたいに事情がある人しか来ていないからだ。
「こんばんわー」
「こんばんわ」
券売機で買った入浴券を番台で渡す時に一言だけ話す。
最早顔見知りみたいになっているだけど、このご時世なので挨拶だけにしている。
「あ~~やっぱり広い風呂は良いな。でも、本当に来ても良いのかも悩ましいな。家にお風呂ないんだけど、それでも・・・」
「あんちゃん何しゃべてんだ?」
どうやら心の声が漏れていたようだった。
「いやすみません。僕も家にお風呂が無いので、来ているのですがこうやって本当に来ていいものかなって悩んでしまって」
「そりゃおめえさんよ。風呂に入らないと身体が汚くなるからむしろ体調崩しやすくなるだろ。だから風呂がない人間にとって銭湯は他の人のスーパーとかと同じだよ。開店してくれてるってことに改めて感謝しながら、しっかりと注意して利用するしかないんだよ」
話しかけてきたお爺さんに言われて少し心が軽くなった。
「そうですよね。ありがとうございます」
「んじゃな」
それだけ言ってお爺さんは上がっていた。
本当はこうやって話すことも良くなかったんだろう。
あとからすごく後悔が襲ってきた。

後悔を振り払うように、お風呂から上がって休憩スペースで休んだりもせずに早足に銭湯を後にする。
休憩スペースでサイダーや牛乳を飲んだりするのが、楽しみなんだけど現在は休憩スペースの利用が禁止になっている。
早くこの休憩スペースにも活気が戻ると良いなと思いながら、階段を下りていると、入口からおそらく同年代であろう女性がシャンプーやボディーソープが入っている籠をもって入ってきた。
『彼女も風呂無し物件に住んでるのかな。同年代の女性で風呂無しの物件に住んでいるのって珍しいな』
毎日来ているので、常連の人たちは大体顔見知りになっていて、オススメのお店等を話すくらいになっている。
けれども、この女性は初めて見かけた気がする。
心の中でそんなことを思い、すれ違い際に会釈だけした。
その際に、籠の中のシャンプーに目が行った。
『あ、あれ木村石鹸さんの12(JU-NI)じゃん』
僕も使っている全く同じシャンプーだった。
初めてリアルで同じものを使っている人に出会った。
ただそれと同時に見えたとは言え、人のものを結構がっつり見てしまった自分が気持ち悪くなった。
帰り際にいつもは近くの天ぷら屋で天ぷらを買うか、串カツ屋で一杯引っかけて帰るのがお決まりだったけど自粛している。
僕は後ろ髪が引かれながら、家に帰った。

自粛が続いている休みの日。
どうしても家にいることが耐えられなくなって、散歩に出た。
人込みは避けて、マスクをして腕を振ってしっかりと歩く。
改めて荒川区を歩くと、桜が綺麗に咲いていたり商店街が沢山あったりした。
歩かないと気が付かないものもある。
まだ荒川遊園の方には行ったことがないのでいつか落ち着いたら行きたいなと思いながら1時間くらい散歩をした。
そうして今日も僕は銭湯に行った。
「やっべえ今日、一言もしゃべってないじゃん・・・・」
独り言が漏れてしまうのは許してほしい。
梅の湯へ向かっている途中に、本当に凹んでしまった。
こんなに話し相手がいないなんて思ってもみなかった。
「こんばんわー」
「こんばんわ」
今日も挨拶だけで済まして、入浴をする。
薬湯が梅の湯オリジナルの入浴剤の日だった。
この入浴剤が好きで、何となく少しだけ気分が上がった。
手短に入浴だけ済ませて、後ろ髪を惹かれながら休憩スペースも素通りした。
前にこの間すれ違った同年代の女性がいた。
どうやら、彼女も入浴が終わってこれから帰るらしい。
籠の中にはやっぱり木村石鹸さんの12(JU-NI)が入っていた。
この日、誰とも話していなかったこともあり魔が差してしまったんだと思う。
同じタイミングで銭湯の外に出た直後に話かけてしまった。
「あ、あの!」
「・・・・はい?」
めちゃくちゃ怪訝な顔をしていた。
それはそうだろう。お風呂上りに全く知らない男に声をかけられたんだから。
「そのシャンプー、木村石鹸さんのやつですよね?僕も使ってて、同じやつ使ってる人に初めて出会ったのであのその・・・」
僕がもごもごとしている間に女性は少し笑顔になっていた。
「ええ。このシャンプーとコンディショナーすごく良いですよね。梅の湯でお試しの期間中に使ってみたら凄く良くて買っちゃったんですよ私」
思った以上にニコニコしながら話をしてくれた。
「僕も同じです。お試しで使えて使いごこちが分かってすぐにクラファン支援しました」
「あはは。私もまったく同じです」
良かった。笑ってくれた。
「外出自粛で、大変ですけどこうやって自分が楽しめるものを見つけて楽しんでいくしかないなって思っています」
女性は柔らかい声でそう言った。
「そうですね。楽しめること見つけて楽しまないと心も疲れちゃいますよね」
「はい。それでは、私は帰ります。おやすみなさい」
「あ、引き止めてすみませんでした。おやすみなさい」
この日、初めてまともに喋ったからか声の出し方がへたくそになっていた。
それでも、人と話が出来て嬉しくってこの日はぐっすりと寝ることができた。

在宅ワークになってから、仕事自体の効率はやっぱり上がった。
スマートフォンの電源さえ切っておけば基本的に誘惑は無いので、話しかけてくる人がいない分、職場よりも捗る。
捗る理由が寂しいけれども。
「さって、仕事終わったしお風呂入るか」
お風呂セットを持って銭湯へ行き、また帰る時に女性と出会った。
「あ、こんばんわ。今お帰りですか」
今度は女性から話しかけてきた。
「こんばんわ。帰りです」
「私も上がったばっかりで帰りです」
少し火照った顔でそう言われた。
「こういうこと聞くのも失礼かもですが、どちらの方にお住まいですか?」
勢いに任せて聞いてみたら、どうやら方面が同じだった。
「あ、同じ方向ですね。せっかくですし、一緒に帰りましょう」
女性ははにかみながら言った。
「あ、はい」
この辺は物騒なことはないけれども、夜道はやっぱり暗いので前回少し気になっていたのだけれども、こちらから切り出すこともなく一緒に帰ることになった。
「あ、僕は阿達隆之って言います」
「私は青崎詩織です」
お互いここで自己紹介をすることになった。
「僕は今完全にテレワークで、家にお風呂が無いので梅の湯に行ってるんですよ」
「私も同じですよ。実は風呂無しの物件に住んでいるので。というよりも、今は家にお風呂が無い人くらいですからね銭湯に行っているのって」
詩織さんは少し恥ずかしそうにそんなことを話してくれた。
「あ、女性で風呂無し物件って中々珍しいですよね」
ストレートな感想を僕が言っても嫌な顔をせず、詩織さんは理由を教えてくれた。
「とにかく一人暮らしをしたかったんですよね。でも家賃とか考えると都内は厳しくって・・・。それで風呂無しの物件を選びました」
「確かに都内って家賃高いですよね。僕も給料と家賃見比べて、風呂無しの物件を選択したんですよね」
「同じですね。やっぱりそう考えると荒川区になりますよね」
「なりますね」
お互いの意見が一致して笑いあった所で、僕のアパートに着いた。
「あ、僕はここなので」
「え・・・?」
「どうかしましたか?」
「私もここなんです」
こんな漫画や小説、アニメみたいな展開があるとは思わなかった。
というか、このアパートに他の人が住んでいることすら知らなかった。
僕が入居したときはおじさん3人だけだったけど、全員引っ越していくのが音で分かっていたので僕一人だと思っていた。
「これは、スゴイ偶然ですね」
なんて言っていいか分からず、僕が言うと彼女も同意した。
「凄いですね・・・。だから同じ銭湯で会ったわけですね」
「本当に凄いなあこれ。あ、冷えちゃいますし部屋戻りましょう。それじゃあおやすみなさい」
部屋に入るところを見られたりするのは嫌だろうと思い、先に僕が部屋に戻った。
「はい、おやすみなさい」
後ろから詩織さんの声が聞こえた。

この日以降、お風呂上りに一緒に帰ることが日課のようになった。
ただし、向かう時は一緒に向かったりはしない。
だから、合わない時もあるけれども会った日はだいたい一緒に帰る。
その帰り道で他愛もない話をすることが楽しかった。
お互い、自粛中で話相手がいないということが分かりここで話すことが少しのストレス発散になっていた。
かれこれ3週間近く、家とスーパーと銭湯しか行っていない。
詩織さんもそれは一緒だったようで、あまり良くないとは思いつつもこうやって話をしている。
「ご飯とかってどうしているんですか?」
詩織さんからそんな話が出てきた。
「僕は適当な自炊ですね。あとはカップ麺で済ませたり」
「やっぱり男の人ってみんなカップ麺好きですね」
けらけら笑いながら言われてしまった。
でも好きというよりも楽だからという気持ちが強い。
「お店で食べるラーメンの方が好きですよ。カップ麺は楽なので」
「やっぱりラーメンは好きなんですね。私もたまにお店で食べますけど、美味しいですよね」
「美味しいですよね。早く何も気にしないで外出できるようになってほしいです。まずラーメン食べに行くと思います」
「私はまず、美容室で髪の毛を切りたいですね」
「あ、僕も髪の毛切りたいですね。もじゃもじゃしてきたので」
「あはは。そんなにもじゃもじゃはしてないですよ」
短い期間ではあったが、帰り道に話をしていたことによって距離が近くなっていたようだ。
僕は思い切って勇気を出して、切り出してみた。
「青崎さん」
「はい、なんですか」
デートに人を誘う事にこんなに緊張するなんて久しぶりだった。
「外出自粛の必要がなくなったら、一緒にどこかに出かけませんか・・・?」
僕の声はきっと震えていたと思う。
学生の時は無茶苦茶仲がいい友達から恋人になるパターンがほとんどだったのでデートに誘うのも緊張なんてしなかった。
だから、こうやってちゃんと誘うのは初めてに近かった。
「・・・・是非、行きましょう」
返答まで少し溜めて返答し、詩織さんは続けた。
「それはつまり、そういう事ですよね?」
「そ、それは・・・。はい、そういうことです」
僕は正直に答えることにした。
「ふふふ・・・。ではお出かけできる日を楽しみにしていますね!」
満面と言ってもいいくらいの笑顔で詩織さんは部屋へと帰っていった。

まだまだ、新型コロナウイルスとの戦いは長く続くと思う。
けれども、少し先の楽しみが出来たことで僕は乗り越えられそうだ。
変わらず、帰り道に他愛もない話をすることは変わらないだろう。
日常で楽しみを見つけてそこからさらに少し未来の楽しみを作ってポジティブに生きていこう。
さて、終息したら最初はどこに出かけようか!

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