#5 スマートワールド

「 おっさん、頑張ってるかぁ!これ、少ないけど取っときな 」

通りすがりの酔っぱらいの若者が
オレの楽器ケースに付属している機器にカードを当てた。
すると、オレのスマホには【1,000円】と表示され、
預金残高が少しばかり増えた。
15年前には考えられない光景だ。
今や電子決済が当然の世の中になり、お札や硬貨は化石貨幣となっていた。
オレは流しのバイオリン弾きで、各地を放浪しながら、
こうやって人通りの多い場所で演奏をしながら、日々を食い繋いでいる。
約20年前、音楽業界にシンギュラリティが起こる前では、
演奏家として各地を飛び回る毎日だった。

シンギュラリティ・・・
この言葉の意味を知るまで、水面下で何が起こっているのか、
誰も知る由はなかった。

20年前の当時、演奏家として活動していたオレにある話が舞い込んだ。
それは様々な楽器で同じ曲を演奏し、
その演奏データを解析した後、スーパーコンピューターを使って、
AIにディープラーニングさせるという、
IT業界と音楽業界の最先端をいく研究だった。
ただ、それがキッカケで全ての音楽家の生活を奈落の底に落としてしまった。
その後、有名無名問わず、たくさんの演奏家がこの研究に参加し、
やがて、自分たちの手で演奏する場所を失うこととなる。

何を言ってるかって・・・分かるだろ。
今から良いもの見せてやるよ。
オレは自分のスマホを取り出し、音楽アプリを起動させた。
先ほどまでこの通りで演奏していた曲を選択し、
バイオリンを他社のメーカーに変更し、最後に自分の名前を選択した。
そして、演奏開始のアイコンをタッチした。
するとどうだ。
音色は他社メーカーだが、演奏のクセや音の歪み、音程の取り方、
そこには間違いなくもう一人の自分がいた。

つまり、自分の好きな演奏家を集めて、
自分の好きな楽器メーカーを集めて、
自分の好きなオーケストラに編成し、好きな曲をアプリが演奏してくれる。
当時はこんなアプリの研究だなんて思いもしなかった。
もう、音楽家はアプリの中にしかいないんだ。
もちろんお金は稼げなくなったし、女房や子供にも見切りをつけられ、
今では流しの演奏家さ。

流行りの演奏・・・まるで現代音楽のようだよ。
AIが真似できない演奏を競い合い、
昔は難解だったクラシックの現代音楽の様なものが
今じゃ世間のヒットチャートを賑わせている。
オレが活躍してる時代に流行ってれば、ひと稼ぎ出来たのにな。


さて、次の場所へ移るとするか。

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