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過小評価されてしまったスーパーマンの復帰作「マンオブスティール」をレビュー

2010年代初頭、ダークナイト三部作シリーズの爆売れに大いに喜んだワーナーブラザーズはバットマンにならぶDCヒーローの一つを復帰させようとした。

無論、スーパーマンである。

というわけで、制作されたのが本作「マンオブスティール」だ。

監督は「300」や「ウォッチメン」といったコミック作品の映画化を成功させた男ザック・スナイダー。

主演は当時は期待の新人だったヘンリー・カヴィル。

ということで色んな意味で期待の集まった本作。

あらすじは、滅びゆく惑星クリプトンの生き残りカル・エルは、死にゆく惑星から地球に送られてしまう。

落下した地球では、クラーク・ケントという名前で生きていたが、ケント家の人間はこのクラークことカル・エルが超人であることを知っており、彼にその能力を他人に見せてはいけないと言っていた。

その結果、クラークは30過ぎてもフリーターというむなしい人生を歩んでおり職を転々とする日雇い労働者的な生き方をしながら世界中を旅していたのだ…。

しかし、そんなカル・エルことクラークの存在を知ったクリプトンの生き残りゾッドはカルが、クリプトン人繁栄のカギを握っていることを知り、なんと彼に服従を要求、そして…地球を侵略しようとしていたのだった。

というのが本作の内容。


しかし、一つだけワーナーには誤算があった。

それはファンの声の大きさである。

スーパーマンといえば、アメリカンコミックを代表するヒーローの中のヒーローであるが、実はこのスーパーマンのファンというのはかなり老害が多い連中であったりする。

本作は悲しいことに、そういった声の大きい厚かましい老害ファンに目をつけられてしまったのだ。

大体この手のコミックファンのいうところによると「スーパーマンなのに笑顔がない」とか「スーパーマンなのに暗い」「スーパーマンが可哀想な目に合うのが痛い」「スーパーマンが人助けをしない」といったような的外れでトンチキ極まりない内容であった。

ファンの間ではやはり、クリストファー・リーブのスーパーマンの方が思い出深く、ヘンリー・カヴィルのしかめっ顔のスーパーマンはお気に召さなかったのかもしれない。


しかしながら、ファンの多くは忘れているが1940年代初期のスーパーマンは笑顔であったことはほとんどなくむしろ険しい表情で睨みつけるような場面が多かった。



だが、それでも俺は本作が好きであったりする。

まずこのバトルシーンの凄さをみてほしい。

当時はこの大バトルシーンをみて、今のハリウッドならドラゴンボールの実写化も可能ではないかと思ってしまった。

本作はここに限らず超人スーパーマンの激しいバトルが終始繰り出され、その圧倒的なビジュアルに興奮してしまったものである。

ここだけの話、劇場では3回みました。

ぶっちゃけ、庵野秀明は「シンウルトラマン」「シン仮面ライダー」で何度も本作のバトルシーンを再現していた。

のだが、所詮邦画の予算技術力なので「お察しください」な内容だった。

「シンエヴァ」のへぼいCGもそうだが、庵野はCGの使い方がなっていないようだ、HAHAHA!

まあ、当時は俺も「スーパーマンが30過ぎのフリーターってなんやねん!!!」とおもったが、蓋を開けるとまあ、超人過ぎて社会不適合車になっているということがわかったので、批判する気もなくなり、個人的にはこのアレンジには満足している。

そんなわけで本作から10年が経過したが、本作をきっかけに始まったDC映画シリーズは見事に破綻。

リブートするらしいが、その起爆剤となるはずだったブルービードルは大赤字の爆死らしい。

さらにヘンリー・カヴィルもまさかの降板だ。

さらにさらにさらに、恩知らずのワーナーブラザーズは「バービー」の作品の中でザック・スナイダーをコケにしてしまったらしい。

もはや、そんなワーナーに救う神はいない。

どうやらユニバーサルに買収されるのではないかという話もある、まあこれは俺は近い内にされると思っている。

そんな、哀れな本作。

俺は死ぬまでこの作品は傑作であったと声を大にして言いたい。

うまくいけば、MCUとは違った形でユニバース化に成功してたのかもしれない。

だが、もうその余地はないだろう。

そうだ、本作の点数は

80/100点

もっとうまくいけば本作をきっかけにDCユニバースできたのかもしれないのになぁ…残念だ。

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