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なにも描かれないことの恐怖「ピクニックatハンギング・ロック」

本当に怖いものは何だろうか…。

人にはそれぞれ怖いものがあるが、やはり未知の存在を恐れるのが人間の本能だ。

今回ご紹介する映画は「何も描かれない」という事で、未知そのもの恐ろしさを描くことに成功した極めて世界的に見てもまれな映画になっている。

本作のあらすじ(ネタバレ注意)

舞台は1900年代、まだまだ古風な印象の強かったオーストラリア。

ここには名門の寄宿制の女子校が存在していた。

優秀な才女が多く集うその学校では、ある日、マリオン、ミランダ、アーマ、イーディスの4人、ついでに引率の先生が岩山ハンギング・ロックにピクニックに行くことを提案する。

しかし、それが最悪の恐怖の始まりであったのだ。

途中で地元の少年と出会った女性たちは彼に挨拶。

思わず地元の少年たちも美女勢ぞろいなのでドキドキしてしまっている。

と、そんな牧歌的な状況が続けばいいが岩山に入ったところで怪奇現象が起き始める。

4人の生徒は岩山の珍しい環境を楽しんでいるとあまりの心地よさに眠ってしまう。

4人の中でも際立って、美人ではなく成績もよくはないイーディスは起き上がった。

すると、ミランダとマリオンとアーマの3人はまるで何かに吸い込まれるように岩山の中へと姿を消していったのだった。

それはまるで、宇宙人に誘われさらわれるように…。

イーディスは発狂、すぐさま岩山を転げ落ちるように逃げていく。

どんなに鈍感な彼女でもこの時ばかりは異常だとわかっていたのだ。

女子校の校長は生徒と引率の先生までもがいなくなったことに内心びくびくしていた。

それもそのはず、この女子校は多くの名家が所属しているのだ。

そんな中、娘がいなくなったとなればどうなるかわからない。

大捜索隊が組まれ岩山で捜索が始まる。

そこで、何とか一人だけ生存したイディスはここから降りる時に引率の先生をみたが…なんと下着姿であったこと、そして空には赤い雲が並んでいたと明かす。

警察はこれはレイプだと判断、捜索を続けるが…何も見つからなかった…。

それから1週間後、彼女たちが消える前にあっていた地元の少年マイケルが岩山へ彼女たちを探しに向かう。

マイケルは岩山でボロボロになるものの、少女たちの服の切れ端をみつけ…誰かが生きている証拠をつかむ。

マイケルの関係者たちが、さらに捜索をするとそこへ行方不明になった少女の一人がなんとみつかる。

しかし…その少女は何も記憶していなかった。

やきもきする校長、やがてその苛立ちとストレスは身よりのない貧乏人の少女セイラに向けられる。

彼女に教育という名前で多くの折檻を行う校長。

セイラはそんな校長に耐えられず自害してしまう…。

その後、校長も岩山で自殺したいで発見される…。

事実は何もわからず岩山と太陽だけが全てを暖かく、やさしさの中で包み込んでいくのであった…真実ですらも。


解説

本作は未だに多くの謎が残されており、その全てが解明されていない。

果たして少女たちをさらったのは「宇宙人」か?それとも岩山から転げ落ちてしまったのか?

今でも多くの根強いファンが残され、様々なことが議論されている。

監督のピーター・ウィアーは後に「今を生きる」などヒューマンドラマを手掛けオーストラリアを代表するとして知られている。

だが、本作での彼の少女に対する描き方は徹底して突き放し、リアリズムで淡々としたタッチで描いている。

この数々の描き方がどこか不気味で、まるで宇宙人が地球人を見つめ観察するような気持ち悪さを醸し出している。

また、本作には原作小説が存在して、そこでは本作の事件が「本当にあった事件」いわゆる実録系という触れ込みがあったが…当然そんなことはなかったのだといわれている。

ウィキペディアによると原作者は、彼女たちがいなくなった本当の真実について書き記していたそうだ。


削られた最終章は、イーディスがピクニック場へ逃げ帰り、ミランダ、アーマ、マリオンがハンギングロックを登り続ける場面から始まる。3人の少女たちは眩暈を覚え始める。突如、下着姿の女性が現れて気絶する。その女性は名前が言及されず、少女たちの知らない人物であるように扱われるが、実際にはマクロウであることが示唆される。ミランダは女性の服を緩めて目覚めさせようとする。その後、少女たちは自分のコルセットを外し、崖から投げ捨てる。女性は目を覚まし、まるで時間が止まっているかのようにコルセットが宙に浮いていること、影が出ていないことを指摘する。その後、少女たちは空間に空いた穴に出くわす。そのそばで、少女たちはヘビを追って岩に入ったヒビを見つける。女性はカニに変身し、ヒビの隙間へと消えていく。マリオンもそれに続き、続いてミランダもマリオンを追う。しかし、アーマが躊躇していると、巨礫がゆっくりと傾いてヒビを塞ぐ。アーマは泣きながら巨礫を素手で殴っているところで、最終章は終わる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF


この削られた最終章は12ページにわたる。The Secret at Hanging Rockのそれ以外のページには、ジョン・テイラー (英: John Taylor) やイボンヌ・ルソー (Yvonne Rousseau) といった他の作家による考察が収録されている。コルセットが宙に浮いたことや、空間に空いた穴の描写から、少女たちはある種の時間歪曲に遭遇したことが示唆されている。このことは、リンジーがその種の話を好んでいた点や、小説内で時計や時間について強調されて描写されていたことと符合する[

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF



なんと彼女たちは一種の空間転移的な物に巻き込まれてしまったのだ。

一体それが何なのか、誰にもわからない。

どうですか、ゾッとするでしょ?

「呪怨」シリーズで有名な清水崇監督は本作を「怖い映画」として数多くの書籍の中で語っている。

「呪怨」シリーズは家にある怨念に巻き込まれて死んでいく人々を描いているが、本作の「岩山」はかなり影響を与えているのではないだろうか。


まとめ


本作は決してグロテスクなモンスターや狂人、サイコパス、エイリアン…などの類は出てこない。

残酷描写もまったくない。

ヘタすればなにも描かれていない。

そのなにも描かれない「虚無」こそ、本作の恐怖の源泉であるともいえるのではないだろうか。

そしてその虚無に振りまわされ、狂っていく人々の怖さ・悲しさを描くことに成功している。

これは中々未知への恐怖に包まれた中々の傑作になっているので、皆さんぜひご視聴されてみてはいかがでしょうか?





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