GASOLINE-SODA

YouTubeにアップしている、懐メロのカヴァー曲を〝あしあと〟 的に徒然と・・・。

GASOLINE-SODA

YouTubeにアップしている、懐メロのカヴァー曲を〝あしあと〟 的に徒然と・・・。

マガジン

  • そだ怖《自作怪談》

    『そだ怖』という怪談朗読のチャンネルをYouTubeに置いてます。不定期で気まぐれ投稿ですが、よかったら覗いてみて下さい。こちらでは、自作の怪談を文章付きで投稿してみたいと思います。

  • SODA-CHANNEL

    YouTubeに懐メロのカヴァーをアップするチャンネルを開設しました。唄好きのオヤジの酔狂ですが、よろしかったら聴いてやってください♬

最近の記事

再生

焼き付き【朗読ホラー】【怪談朗読】【創作ホラー】【そだ怖】

noteの怪談で仲良くなりましたブラフさんがお作りになった創作ホラーです。何気ないバーでの客とマスターのやり取りから始まるのですが、徐々に様子がおかしくなって行きますw 最後は現実か頭の中の世界なのか境が解らなくなる感じのお話ですまw 原作では、〝読み物〟 なので、「読む」という表現で書かれていますが、YouTubeで〝聴かせる〟 形に変化しているので、ブラフさんご本人に提案頂き、「聴く」という表現に変えさせて頂きました。さすが細かい部分に目が行き届きますねww ★ブラフさんのホームページ https://note.com/rarara_brahmin

    • 逢瀬

      ・・・とある観光地にあるデザイナーズホテルのクィーンズルーム。照明を落としたモダンな部屋で、およそ一年ぶりに逢った彼女と私は、久しぶりにお互いの肌の感触を貪り合う。私は、彼女の身体の懐かしい触り心地を確かめながら指と舌を這わせ、脳裏に残る官能的な記憶を手繰り寄せる。そして辿り着く彼女の両太腿の付け根で一際、湿る場所。そこでひくつく敏感な突起を、舌先を尖らせコロコロと転がして可愛がると、彼女は私の頭を掴む手の力を強め、仰け反るように歓喜の舞を舞う。そして、一度目の絶頂を迎えて、

      • 再生

        あとひとつ / FUNKY MONKEY BABYS / Covered by GASOLINE-SODA

        『あとひとつ』は、2010年8月4日発売のFUNKY MONKEY BABYSの14枚目のシングル。表題曲は朝日放送の第92回夏の高校野球の応援ソングに起用された。ジャケットには通常盤・初回限定盤ともに当時プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの投手であった田中将大が起用され、田中本人もミュージックビデオにも出演した。 *この曲の動画は、今年被災から10年を迎えた東北の東日本大震災に宛てて投稿したものです。 3月11日。2011年、平成23年のこの日14時46分、東北地方太平洋沖の地震による津波などの災害、更にこれに伴う福島第1原子力発電所事故による災害が発生しました。いわゆる東日本大震災です。あの日から10年の年月が経ちました。この災害が起こってすぐ、仲間たちと相談して地元の地域を周り寄付を募り義捐金を集めました。そして福島県いわき市の知人と連絡を取り合い、現地が必要としている物資をピンポイントに支援する活動を始めたのを思い出します。 現在では、オレはその直接の活動からは卒業していますが、若い世代の仲間たちが引き継いで続けています。今は少し形を変えて、当時「東日本大震災」の被災地に宛ててのもののみであった支援を幅広くしています。ここ数年は毎年のように日本各地で何らかの災害が起こっています。オレが住む愛媛県でも、豪雨災害で甚大な被害に遭った地域もありました。そんな現状を踏まえ、他の災害地域へも支援できるように名目を変え、毎月11日(活動日だけ、この日のまま)に集まれる者だけ集まり無理なく、今もなお支援金を募り災害各地へ支援物資をお送りしているのです。 この曲は、高校球児たちへのエールにもなった曲で、リリースのタイミングもあって、被災地の方々の「復興の応援歌」にもなりました。あれから10年経ちましたが、未だ様々な理由で手つかずの状態になっている地域も多くあります。人々の多くは〝あの日〟の事を糧に日々を力強く生きています。先日は再び震災から10年越しに、大きな余震が東北地方を襲いました。オレが住む場所でも、近年起こると予想されている東南海地震の不安が、常に頭をよぎります。災害はいつ起こるか分かりません、皆さんもくれぐれもお備え下さい。 さて、今回のこの曲の歌唱についてですが、曲中ファンモンの〝モン吉〟が歌う部分を、少し違うテイストで唄っていますw 悪しからず。サビの部分はハモリを二種類入れてハーモニーを三部にしています。動画はmasa YASUさんのフリー動画をお借りしました。前回の「3月9日」も桜の動画で、今回も被ってしまいましたが、なんか雰囲気があってるなと思い、使わせてもらいました。光り輝く空から桜の花びらが舞い落ちてる感じですよねww ★ 音源提供 生音風カラオケ屋 さん https://www.youtube.com/channel/UCZ3ryrdsdqezi2q-AfRw6Rw ★ あとひとつ / FUNKY MONKEY BABYS(音源動画) https://youtu.be/h9ZIIqyM5vA ★ BGV 背景動画提供 masa YASU さん https://www.youtube.com/channel/UCshyfa1nXpann3zKC4hYPaw ★ [商用利用OK!ロイヤリティフリー素材動画]桜が舞い散る背景映像[ FREE Video Background] https://youtu.be/tbODmnYwwVA

        • 再生

          死神【怪談朗読】【そだ怖】【創作・自作】

          不定期でYoutubeに投稿している「そだ怖」チャンネルです。自作怪談オリジナルです。恐怖度は★☆☆☆☆ なので、そんなに怖くないですw これより本編テキスト ↓↓↓ これは、まだ私が小学生だった頃の話だ。 夏休みを間近に控えたある日、私は通学の時にバイクに跳ねられ、交通事故に遭った。幸い命には別状なかったが、左脚など数箇所を骨折し、2ヶ月ほど市内の総合病院に入院する事になった。 私は入院自体、嫌だったのだが、せっかくの夏休みを病院で過ごす事になるので、そちらの方が憂鬱でしかたなかった。 しばらくは、先生や友達が見舞いに来てくれた。先生は勉強の方が心配だと言うことで自主学習出来るように、学習の手引きを作ってくれて、それを元にプリント問題などで勉強を補っていた。 そんな風に過しながら、とうとう夏休みに入った。見舞いに来てくれていた仲の良い友達も、夏休み家族でどこかへ出かけるとかで、あまり顔を出さなくなった。母親が頻繁に世話をやきにくるのと、担任の先生が時折、様子を見に来てくれるくらいだ。 私が入院している部屋は4人部屋で、左隣と足元側のベット2つは空いている。斜め向かいのベットに、少し具合の悪そうな中年の男性が入院していた。その男性とは年齢も全く違うので、同室とはいえそんなに話す事もなく過ごしていた。 その人の病名もわからず、男性がどんな病状にあるのかも知らなかった。ただ、いつも顔色が悪いな・・・具合悪そうだな、としか感じていなかった。 そして夏休みに入って何日か過ぎ、少し退屈さを覚え出した、そんなある日。 その日、同室の男性は朝食を摂る前に定期的に行う検査があるようで、看護師に連れられて、病室を出ていった。そういえば男性の家族だか親戚だか、見舞いに来ていた時に、ボソボソと会話しているのを聞くとはなしに聞いていたら、入院して半年以上経ったように話していた。 一体、男性は体の何処が悪いのだろうか・・・。ふとそんな事を考えながら、私は自分の食事を摂っていた。 朝食も食べ終え、しばらくテレビを見ていたが、ふともよおしたので、トイレへ向かうため、松葉杖を使い病室を出た。すると、廊下を行くその目の前から検査を終えて病室へ戻ろうとしている男性が見えた。 その時、私はハッと息を呑んだ。 異質で、異様な違和感を覚えたからだ。 5〜6メートル向こうから、いつものように具合が悪そうな男性は、ゆっくりこちらへ歩いてくる。私の姿に気づき、軽く笑みを浮かべながら目を合わせている。 いたって、何の変哲もない、いつもの病院での日常の中にある一コマである。 しかし、ひとつだけ・・・。 たったひとつだけ、強烈な違和感がそこにあった。 歩いてくる男性は、真っ黒なパーカーのフードを目深に被った老人を背負って居るのだ。背負っているはずなのに、その足取りに人間の体重がのしかかった負荷を感じられないのが、更に違和感を大きくする。 老人らしからぬ服装も相まって、顔を覆うように目深に被ったフードも怪しさが激しく漂う。そのフードの影からは、2つ鈍い光がのぞいている。おそらくそれは、その老人の目なのだろう・・・。こちらへ向けられているかのようなその光。およそ生気を感じられないその光に、私は金縛りにあったように、動けなくなっていた。 老人は、男性に背負われるように肩に腕を回して身を預けている。何故、私がそれを老人と見てとったか、と言うと 服の袖から覗いた枯れ枝のような手のせいだ。乾いて枯れた木の枝のようなその手の甲が、男性の肩をしっかりと捕まえていたのだ。 硬直した私を、男性が少し訝しみながら通り過ぎる。その時に初めて私は男性にまともに目をやったのだが、その顔色はいつもに増して悪かった。もはやその色は土気色で、とても生きている人のそれではなかった。私は背中の老人にばかり気を取られて、男性の様子が変わっているのに全く気づかなかった。そうして通り過ぎて行った男性の背中には、変わらず老人が張り付いていた。 その時、私は呪文が解けたかのように、動けるようになり、トイレの事も忘れて病室へ戻った。恐る恐る部屋へ入り、男性のベッドの方へ視線を送ってみたが、カーテンが閉じられていて中の様子が窺えない。私はベッドに腰かけて一息ついた。しかし私は何か、とてつもなく中の様子を窺いたい衝動にかられている・・・。 もう一度、男性のベッドの方を見ると、閉じられたカーテンに少し隙間があるのがわかった。私は角度を変えながら、首を伸ばしたり曲げたりして、その隙間から中が覗けないか試してみる。さすがに、男性はベッドに横になったのか、その姿は捉えられなかった。 私は諦めて、その日は色々な事を考え巡らしながら過ごした。私が見たアレは一体何者なのだろう。男性の様子は明らかに変わっていた、病状は大丈夫なのだろうか・・・。 怪しい老人の事を考えながら過ぎた1日だが、結局なにか答えが出る訳でもなく、私は看護師に男性の病気の様子だけでも聞いてみようか、とまで考えていた。が、その日は機会に恵まれず夜を迎えた。 病院の夕食は早いので、食後から就寝時間までの間が長い。私は気になりながらも、先生から渡されていたプリントの勉強や、ゲームやテレビ鑑賞などで時間を費やし、消灯の時間になり、床に就いた。色んなことを考えたせいか頭が疲れているのがわかる。私はすぐに深い眠りに就いた。 ふと目が覚めると、何やら呻き声が聞こえる・・・。ぼんやりした微睡みから意識が戻ってくる。あの男性が苦しんでいる声だ!咄嗟にデジタル表示の時計に目をやると夜中の2時過ぎだ。 男性は苦しさにもがいているのか、ナースコールを呼ぶ様子もない・・・。私がコールボタンを押そうか、と思い立ったその時・・・! 私は戦慄した・・・。 男性の様子を見に行こうと、視線を送ったその先には、あの時に見たフードを目深に被った老人がユラっと立っていて、こちらを見ていたのだ。いや、正確には〝見ていた〟のかは、フードによって隠れ目のせいでわからないが、やはり鈍く光るその輝きがこちらへ向けられているのだけはわかった。私はたじろいだがコールボタンを押して看護師を呼んだ。 駆けつけた看護師は、すぐに異変に気づきバタバタと何か準備をして、あっという間に男性はストレッチャーで運ばれて行った。その騒動で、私は看護師に老人の事も伝えられずに居たが、看護師は別段老人に気を取られる事もなかった。 いや、と言うか老人はいったい何処へ消えたのだろうか・・。看護師達が処置をする短い間、私はそれを見守っていたので、瞬間老人の姿を追っていなかった・・・。だが、今辺りを見渡しても、それらしき姿は見当たらない。怪しい老人の姿は煙か何かのように消えてしまっていた。 不気味な黒い老人と、病状が急変してしまった、男性の運ばれていく姿を目の当たりにしたせいで、この病室には、1人きりになった私と、不穏な重たい空気だけが残された。 また、ベッドに横にはなったものの、軽い興奮状態にあった私は、すっかり眠気などどこかへ飛んで行ってしまった。目を閉じて、無理やりに眠りに就こうとしても、あの時目にした例の老人の姿が目に焼き付いている。 今はシンと静まりかえった病室にたった1人である。あの不気味な老人がさっきまで居たこの部屋にだ・・・。 「はっ!!」 ガバッと跳ね起き、老人の姿を目にした方を睨みつけた・・・。が、そこには開け放たれたカーテンに、男性のベッドがあり、その奥の窓の外に街の灯りがチラチラしているだけだった。 ふと、目が覚めると朝が訪れていた。私はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。朝食の時間までまだ間があるが、あの男性のベッドで、看護師が何やら作業しながら、病室を出入りしている。 私は、恐る恐る通り際の看護師に声をかけた。 「あの、そこのおじさん、どうなったんですか・・・?」 「ああ、今朝は呼んでくれてありがとうね・・・あの方ね、残念だけどあのまま亡くなったのよ・・・」 私は、言葉を失っていた。 別に、特別に仲良くしていた訳でも、よく話していた訳でもない人だったが。短い時間とはいえ、同部屋で過ごしていた人で、ほんの数時間前まで確かに〝そこに生きていた〟人間が、今その人生を終えたのだ。まだ子供だった私は、その事に愕然とした・・・と、同時に、あのフードの老人の姿が、脳裏をかすめた・・・。 あの老人は、一体何者だったんだろうか・・・。

        焼き付き【朗読ホラー】【怪談朗読】【創作ホラー】【そだ怖】

        再生

        マガジン

        • そだ怖《自作怪談》
          3本
        • SODA-CHANNEL
          5本

        記事

          再生

          ワダツミの木 / 元ちとせ

          2021/01/30 Uploaded to Youtube 鹿児島県奄美大島出身の歌手、元ちとせのデビューシングル。2002年リリースである。ノンタイアップであったが、オリコンシングルチャートでは初登場19位を記録。4週目に週間TOP10入りしてからもロングヒットを続け、発売から約2ヵ月後の4月22日付で同チャート1位を獲得した。 同年の新人アーティストとしては驚異的な売上となり、2002年デビューの歌手としては最大のヒットとなった。オリコンの年間シングルチャート、プラネットチャートでは3位であったが、サウンドスキャン、COUNT DOWN TVの年間チャートでは1位を記録した。 後に、作詞・作曲を手がけた上田現が、自身のソロアルバム『十秒後の世界』においてセルフカバーをした。 また、2008年にはLÄ-PPISCHがトリビュート・アルバム『Sirius〜Tribute to UEDA GEN〜』でカバーしている。 海外では、韓国のロックバンドCherry Filterによって2007年にカバーされている。 カップリングの「幻の月」は、後に映画『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』の主題歌となった。同じくカップリングの「夜に詠めるうた」は杏子のアルバム『BLACKTHORN CIDER』収録曲のカバーである。 「ワダツミ」とは、日本神話に登場する海の神である。作詞を手がけた上田現によると、歌詞の内容は「ある女性が、人を好きになるあまり花になってしまう」物語であるという。なんてロマンチックな発想だ・・・。 奄美大島中南部の山すそに生育するクロタキカズラ科クサミズキが奄美大島固有の種であることが京都大学の研究グループによって明らかとなり、2004年に同島瀬戸内町出身の元ちとせのヒット曲にちなんで、ワダツミノキと命名されたらしいw 元ちとせが、この曲を引っ提げデビューした時は、鮮烈でした。奄美の島唄の民謡の節をそのままポップソングに融合させた、耳新しい響き・・・。正直、この曲以外は全く触ってませんがw この曲は上田現が唄うLÄ-PPISCHのバージョンをよく唄っていました。叙情的なメロディに和の要素がほのかに香り、神秘的な歌詞と相まって、不思議な世界観を生んでいます。サビでは一気に感情が乗り、静かな前半から一転して激しい〝想いが〟渦巻きます。今回もHarryさんのピアノ伴奏で唄ってみました。 ★ SODA-CHANNEL よかったらチャンネル登録お願いします https://www.youtube.com/channel/UCSIQWYDAT8yFYot32vx_GQg ★ 音源提供 Harry Black さん https://www.youtube.com/channel/UC8xOsmHH4EjgKIkuGnV8R6Q ★ ワダツミの木 Piano ver. / 元ちとせ(音源動画) https://youtu.be/qg4MhQ2MpXM

          ワダツミの木 / 元ちとせ

          再生
          再生

          ダイニングキッチン【怪談朗読】【そだ怖】【創作・自作】

          ★Youtubeで歌のチャンネル『SODA-CHANNEL』を開設して運営していますが、怪談好きでもあるオレは、サブチャンネルで怪談朗読も投稿しています。不定期アップなので、まだ2作しか上げていませんが・・・。今回ここに投稿する動画は自作のモノです。拙い話ですが、よかったら聴いて、読んでみて下さい。 ★これより本編 これは、私が実際に体験した話である。 私は、この春からある保育園の保育士として働く事になった。男性保育士の枠は、昔に比べてかなり増えてきたが、やはりそれほど多くはなく、ようやく採用をもらった保育園だった。 私は、実家がある街を離れ、勤め先の保育園があるこの街のアパートで1人暮らしをする事になった。そのアパートは、2階建てで、それぞれの階に4部屋ずつの小さなアパートである。玄関を開けたらすぐにダイニングキッチンがあり、向かって左側に風呂場とトイレ、そしてダイニングのすぐ向こうに、およそ10畳ほどの部屋がある。 築年数が経っていて、家賃も手頃だった事と、それほどの必要性を感じなかったが、何故か妙にダイニングに惹かれてここに決めた。 このダイニングには、床下収納が備えられていて、食材や日用品などを収納出来るから便利だ、と不動産屋の内見の時にそう説明された。が、1人暮らしで自炊もしない私には、この便利な収納スペースも宝の持ち腐れである。 新しい生活が始まり、3週間。保育士としてまだまだ新米の私は、担任のクラスを持たせてもらっておらず、先輩の先生が担当するクラスの補助役を担う。保育園では、親御さんが共働きのお宅が殆どなので、夕方遅くまで預かる子供が多い。ようやく全ての子供達が帰った後も、次の日に使う資料や教材の準備。季節の行事・イベントに使う飾り作りなど、実は保育士の仕事は多岐にわたる。決まった時間に帰れる事はそれほどなく、大変な仕事である。 そんな忙しい毎日を過ごしながら、更に2週間くらい経った、ある夜の事だ。 私はその日、いつものように子供たちが帰ってしまった後、夕方遅くまで、残った仕事をしていた。ようやくそれを終えて、帰り道のコンビニで弁当を買って帰り、食事を済ませ久しぶりにバスタブにお湯を溜めて、ゆっくりと入浴時間を愉しむ事にした。 (だいぶ、疲れが溜まっていたんだなぁ、やっぱり風呂に浸かると疲れがとれるわ) 少し熱めのお湯で、ゆっくり癒しの時間を満喫し、深く目を閉じて体を温めていた。するとふと、何か胸の辺りに息苦しさを感じた。 (ん? なんだ?) 目を開き、胸に手を当てて、私は独り言ちた。先程の息苦しさは和らいだものの、次は何か無性に悲しい気持ちが沸き起こって来る。 (え? なんだろ、この感じ・・・) かなしい?せつない?うらめしい? どう表現したらいいのか、上手く言葉が思いつかない。気を抜くと、涙まで溢れてきそうな、それくらい強い感情・・・。 私は、疲れのせいだと決めつけて、急いで風呂から上がった。そして早々に寝支度を済ませ床に就いた。疲れを取るための入浴だったはずが、逆にドッと疲れが押し寄せた。そのせいか、その日はぐっすりと眠れた気がする。私は朝まで一度も目が覚めなかった。 次の日は日曜で、保育園は休園日だった。朝になり1度、目が覚めたのだが昨夜の事もあり、なかなか起き上がれず、ほぼ半日寝て過ごした。そして日が暮れて、夕食を調達するために買い物に出ようと、玄関の方に向かい、ダイニングに入った時である。何かドアをノックするような物音がした。 足を止めて、その場に立ちつくし、音の出処を探る。何となく足元の方から聞こえて来た気がしたので、目線を下の方へ落とし、次に音が聞こえる瞬間に備えた。昨夜の出来事が影響しているのか、出かける事も忘れ、音の原因を何としても見つけ出したかった。しばらくシーンと静まりかえった時間が過ぎる。随分長い間、立ちすくんで居た気がするが、恐らく実際には1〜2分程の時間だったと思う。 すると、再びドンドンと物音が聞こえてきた。今度は聞き逃さず、その音がした場所をつきとめた。その場所は間違いなく床下収納の扉の下からであった。私はしゃがみ込み、一呼吸おいて半ば目をつぶりながら一気に扉を引き上げた。 瞬間、昨夜の入浴時に感じた、あの息苦しさが、収納の中からまるでモヤのように湧き上がって、私の顔に向かって立ち込めた。一瞬息が詰まり、私は咳込みながら、もぬけの殻の収納の内部を睨んだ。70〜80cm四方で、深さもそれくらいはあるだろうか。その四角いスペースの中には、何者の存在もなかった。私はホッとしたのと同時に昨夜の事を思い返し、不思議な事が立て続けに起こったので、得体の知れない不安にかられていた。空腹もどこかへ行ってしまい、その日は何もする気にならず、また床に潜り込み、直ぐに就寝した。 そんな事があってから、2週間くらいは、またいつも通りの何事もない日々を過ごしていたが、あの出来事ですら忘れ始めたある晩の事。次の日の準備を家に持ち帰って済ませた後、いつもよりも少し遅い深夜1時半頃に床に就き、目を閉じながら、眠気が来るのを待っていた。するとまたあの何とも言えない感情が押し寄せてきたのだ。 グッと胸を締め付けられるような、重苦しい感じ。無性に不安で寂しく、どうしようもなく悲しい・・・。言葉に言い表せないあの感情だ。 私は、布団を被り直し、閉じた瞼に力を入れて、湧き上がる例の感情を抑えつけようとした。暫くするとこの間の時のように、また何事もなく眠れるはずだ、そう自分に言い聞かせた。 しかし、今度はどう足掻いても一向におさまる気配がしない。それどころか、苦しさは段々と強さを増して来る。私はいつの間にか嗚咽する程泣きじゃくっていた・・・。それはまるで幼い子供のようだった。 どれくらいの時間、そうしていたのか・・・。どうやら私は泣きながら眠ってしまったようだ。それからというもの、私は夜になると、その言い知れない感情に駆られ、泣きながら眠りに就いたり、ダイニングの床下収納から聞こえてくる物音に悩まされたりする日々を過ごす事になった。 そんな事が度々起こるようになり、数週間が過ぎた。最初の頃は、あの感情が湧き上がっても、いつの間にか眠ってしまう事が多かったが、その内に寝付けなくなってきて、私はとうとう睡眠不足気味になっていった。そんなある夜の事。この日はいつもと様子が変わった。 私が布団を敷いて眠る時は、癖で顔をダイニングの方に向けて寝るのだが、涙を拭った時にふと気づくと。あの床下収納の辺りが、薄ぼんやりと明るい光を帯びていたのだ。 青白く浮かび上がる、そのぼんやりとした光は、モヤモヤと立ち上がる煙のように見えた。 私が訝しんで見つめていると、不意に何者かの声が聴こえて来た。微かに聴こえて来るその声。しかし何と発せられているのか、よく聴きとれない。煙のような青白い光を見つめながら、同時に耳を澄ます。すると・・・ 「ご・・・めん・・・なさい」 性別は判然としないが、間違いなく幼い子供の声で「ごめんなさい」と耳の中に微かに響く。そしてその声が何と言っているのか解ったその瞬間、あの感情が暴走した。 暗くて、孤独で、言い知れぬ不安に胸が押し潰されそうになる。そして身震いする程の恐怖が、今やはち切れんばかりだ。全く自分自身でそれらをコントロール出来ず、まるで身体を何者かに操られているような感覚だ。そして、とうとう私は喉が焼けるほどの大声で叫んでいた。が、何と叫んでいるのか、自分でも判らない。 何度か、その叫びを怪しい光に向かって投げつけていた間、それはゆっくりと私に向って近づいて来た。ふと気が付くと、それまで叫んでいた声が出ない。体も身動きが取れなくなっている・・・。どうやら私は金縛りになってしまったようだ。 金縛りは、これまでも幾度となく経験している。が、殆どが恐怖体験とは縁遠いものだった。しかし、今目の前で起こっているものは、夢なのか霊障なのか・・・いったいどっちなんだろう。 何故か、あの感情の方が強く、不思議な光景を目の当たりにしながらも、私の頭の中は驚くほど冷静だった。ただ怪しく蠢いている光を、見つめるしかなかった。 すると、それまでユラユラとしていたその光は、やがてひとつの姿を模っていく。それは、4~5歳くらいの幼い女の子だった。体操座りの恰好で、更に深く背中を丸めて膝を大きく抱え込んでいるように見える。最初は顔を、両方の膝の間に埋めていて表情は判らなかった。ただ、耳に直接響いて来るあの声は、一定のタイミングで囁かれる。 その内に、女の子はゆっくりと力なく顔を上げた。その表情は目を見開き、不安で悲しみに溢れ、恐怖に歪んでいた。そう、これまで味わって来たあの感情は、目の前に現れた、この女の子のものであった事を、この時私は悟った。 そして、女の子は首をグッと折り曲げて天井を見上げる態勢になった。耳の中に力なく囁かれる「ごめんなさい」の間隔は縮まり、その音量が大きくなっていく。それから金縛りになる前に爆発したあの感覚が再び膨れ上がって来た。気が付くと私も、目の前の不自然な格好の女の子も、体を震わせながら号泣していた。 2人で嗚咽交じりに泣きじゃくりながら、魂の奥底から津波のように押し寄せる感情を解放した。その時、私と女の子は同時に「ごめんなさい!お母さん!出して!!」と叫んでいた。次の瞬間、私は気を失っていた。 この事があってからも、あの女の子は姿を現し、2人で感情を同調させ、泣き叫ぶ事が度々起こり続けた。私は、かなり悩み苦しんだのだが、子供相手の職場でもあるし、内容も内容なので、この事を誰にも相談出来ずにいた。 1ヶ月ほど、そんな日々を過ごしていたが、私もとうとう限界に達した。睡眠不足が酷くなり、仕事にも支障をきたし、精神的にも身体的にも調子を崩して、私は入院する事になった。 そして、先輩の先生達も心配して見舞いに来てくれた。私は、自分が補佐をしているクラスの担任の先生に、これまで私自身に起こった出来事を話した。すると先生は表情を引きつらせ、言葉を失っていた。そう言えば、私がこの保育園に勤め始めたころ、先輩に住まいを尋ねられ、アパートの場所を答えた時、今と同じように表情を引きつらせて、話が途切れた事があったのを思い出した。先輩は意を決したように、話し始めた。 10年くらい前の話である。あのアパートの私の部屋には、母親と女の子の2人が住んでいたそうだ。その母親は、ご主人と離婚してこのアパートに引っ越してきた。母親は、朝から晩まで仕事で、女の子は、どうやら母親が仕事の間は家に1人きりで過ごしていたと言う。少し神経質そうな母親だったらしいが、実はその母親は娘に対して身体的な虐待をしていたらしい。当時のアパートの他の部屋の住人も、夜に響き渡る母親が怒鳴りつける声や、女の子の泣き叫ぶ声を聞いた事があったと言う。 そして今となっては理由は不明だが、ある日の事、女の子は母親によって、あのダイニングキッチンの床下収納の中へ閉じ込められる。扉に重しを乗せられ開かないようにしてあったそうだ。母親は仕事へ行ったのか、どうしたのか・・・。それ以来だと思われるが、母親はその後の消息を絶ったそうだ。そして1年半ほどが経ちアパートの家賃の未払いの件で、大家が部屋の鍵を開けて中を調べ、事件が発覚したのだ。何とも痛ましい出来事が、私の住む部屋で起こっていたのである。 私が、ずっと感じていたあの、言葉に言い尽くせない感情が、あの女の子のものだという事は、既に解っていた。しかし、あの子が何故あんな形で現れるのか、何が彼女をそんなに悲しませているのか・・・。今、やっと全てが解った。 あの子は、真っ暗で狭く、息苦しい床下収納の中で、身体を折りたたんだまま、息を引き取った。お腹を空かせ、小さなその胸が不安と恐怖で押し潰されそうになり、泣きながら叫んだに違いない。しかし、そんな目に遭わせた母親を呼び、助けを求め続け、ついに力尽きたのだ。私はもはや、恐ろしさよりも悔しさと怒りで唇を噛みしめ、あの時と同じように泣いた。 数日が過ぎ、私は退院した。今では、例のアパートは引き払い、新しく新居を探し引っ越した。そこでは、もう不思議な出来事は起こっていない。たまにあのアパートの前を自転車で通る時があるが、現在あの部屋に次の住人が住んでいるのか、今でも夜な夜な女の子は悲しみの中、あの姿を現しているのか・・・。それは判らない。が、私はアパートの前を通る度に、心の中でひたすら女の子の冥福を祈っている。

          ダイニングキッチン【怪談朗読】【そだ怖】【創作・自作】

          再生
          再生

          ギブス Piano ver. / 椎名林檎

          2020/11/22 Uploaded to Youtube 本作は、2000年に椎名林檎の通算5枚目のシングル表題曲としてリリースされた楽曲で、椎名の2作目のスタジオ・アルバム『勝訴ストリップ』からの先行シングルでもある。 本楽曲は椎名にとっては当時、初のバラードシングルとなり、曲自体はデビュー前の17歳当時の交際相手に宛てて書かれたもので、デビュー当初からコンサートやイベントでは披露されていた。 当初は1999年4月に発売予定だったが、椎名が体調を崩したために発売が延期された。その後、同年10月に発売する予定だったものの、椎名の意図により先に『本能』が発売されることとなった。結局、2000年に入ってから『罪と罰』との同時発売が決定した。オリコンチャートでは初登場3位、初動売り上げは40万枚を突破した。「本能」に次ぐ自身2番目のヒット曲となっている。 「ギブス」の歌詞には3rdシングル「ここでキスして。」に登場のシド&ナンシーに代わってアメリカのバンド「ニルヴァーナ」のボーカル、故カート・コバーンとその妻のコートニー・ラヴの名前が出てくるが、椎名によればニルヴァーナ・ファンだった当時の交際相手の受け売りであり、自身はそれほど影響を受けたわけでもないという。リリースにあたって歌詞を変えることも考えたが、「それはそれでその時の私なんだから」ということでそのままとなったらしいw オレ的には椎名林檎の、この頃の曲を数曲たまにカラオケで歌ってます。当チャンネルでも「丸の内サディスティック」をアップしてます。この曲は唄うのが本当に難しくて唄う頻度としては低い方ですが好きな楽曲です。今回は、いつもお世話になっているHarryさんのピアノ伴奏で歌ってみました。シンプルなピアノなので、その分ボーカルが浮き彫りになるので、かなり神経つかいました・・・。 ★ SODA-CHANNEL よかったらチャンネル登録お願いします ★ https://www.youtube.com/channel/UCSIQWYDAT8yFYot32vx_GQg ★音源提供 Harry Black さん https://www.youtube.com/user/MrKathyHarry ★ ギブス Piano ver. / 椎名林檎(音源動画)https://youtu.be/PhQZe1hXry0

          ギブス Piano ver. / 椎名林檎

          再生
          再生

          雪の華 Piano ver. / 中島美嘉

          2021/01/23 Uploaded to YouTube 『雪の華』は2003年にリリースされた、中島美嘉10枚目のシングルである。中島自身が出演した明治製菓(現・明治)「boda」「galbo」のCМソングであり、第45回日本レコード大賞で本作は金賞を受賞し、作詞のSatomiは作詞賞を受賞した。 NHKの『紅白歌合戦』では、2003年第54回、2005年第56回と2回歌唱されている。2005年の第56回の出場者選考の参考アンケートとしてNHKが実施した「スキウタ~紅白みんなでアンケート」に紅組9位でランキングしている。また発売以降、毎年「冬うた名曲ランキング」など各冬うたランキングに選ばれる曲となった。 本作のミュージックビデオでは、中島のリクエストによって、摂氏0度以下のスタジオで撮影されたという。韓国では、多くのアーティストがこの曲をカヴァーするために、中島側に許可を求めたが、中島本人が聴いた結果、シンガーソングライターのパク・ヒョシンに決定。そしてKBS第2テレビのドラマ『ごめん、愛してる』の主題歌として披露され大ヒットを記録した。 また、2008年10月29日に発売されたコンピレーション・アルバム『.LOVE』にも収録されている。他にも徳永英明や森山良子、Boyz II Men など多くのアーティストがカヴァーを発表する人気曲である。 上記にもある通り、冬うたで多くのリクエストがある曲だと思います。冬と言えば・・・で思い浮かぶ曲としては、必ず上位にランキングされるのではないでしょうか。中島美嘉の切ない歌声で唄われるオリジナルもいいですが、オレはキーの問題もあるので、よく徳永英明のカヴァーバージョンで唄っています。今回も Harryさんのピアノ伴奏で唄わせて頂きました。オレの苦手な〝ファルセット(裏声)〟が頻繁に登場する歌い方に挑戦しましたが、いやぁ激ムズでした・・・。もう少しテイクを重ねて、歌声の精度を上げてアップすべきでしたが、今回は現在のオレの限界を自らに刻み込む意味で、上げました(どんな理由だ)ww ファルセットで唄う時の、歌声のコントロールがもう少し出来ないといけませんね。 今回、エンデイング部分が少し寂しかったので、短いですがオレの拙いピアノのアレンジを入れました。悪しからず。 ★音源提供 Harry Black さん https://www.youtube.com/user/MrKathyHarry ★ 雪の華 Piano ver. / 中島美嘉 https://youtu.be/AbNF-p59b8k ★ SODA-CHANNEL https://www.youtube.com/channel/UCSIQWYDAT8yFYot32vx_GQg よかったらチャンネル登録お願いします!

          雪の華 Piano ver. / 中島美嘉

          再生
          再生

          輝く人 Piano ver. / アンジェラ・アキ

          2021/01/27 Uploaded to YouTube 『輝く人』は、2010年4月リリースのアンジェラ・アキの10枚目のシングル。2010年第1弾シングルでNHK『こころの遺伝子 〜あなたがいたから〜』のテーマソングである。アンジェラが発売した音源では初のギターの弾き語りである。 実は、アンジェラ・アキ大好きなオレである。徳島の田舎に生れ育ち、ハーフである容姿のために、幼少期から青年期に悩み苦しんだ頃の体験が曲のコアな部分にある。でも彼女の曲のその多くには、必ず「救い」や「昇華」が盛り込まれている点が、好きなところです。 悩んで、苦しんでそのまま堕ちていく・・・のではなく、辛い思いの先には、必ずあたたかい光が包み込んでくれる・・・そう優しく手を添えてくれる曲が多い。 この曲は、孤独な少年時代を送る「僕」が、思い憧れる〝輝く人〟になりたい気持ちを歌っている。上記にもあるとおり、アンジェラには珍しいギターの弾き語りによる曲である。 ★音源提供 Harry Black さん https://www.youtube.com/user/MrKathyHarry ★ 輝く人 Piano ver. / アンジェラ・アキ(音源動画)https://youtu.be/wLAy93GkZeg #アンジェラアキ #輝く人 #SODACHANNEL #GASOLINESODA #歌ってみた #オトコの女唄 #vocal #COVER #Youtube #JPOP

          輝く人 Piano ver. / アンジェラ・アキ

          再生