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白いカラス(3) ー「意識の空白状態」と「公平な観察者」ー

みなさんは「公平な観察者」を心の中に持っていますか?

アダム・スミスといえば『国富論』において、各人が自己利益を追求すれば「見えざる手」によって社会全体が豊かになる、と主張したことで有名です。ところが、2冊しか著書を出していないスミスが最初に出版したのは『道徳感情論』の方だったんです。
この著作では、世の中で人々が様々な感情を持っていることを尊重しつつも「共感」で社会のまとまりを目指すことが大切だ、と説いています。そして、自身の行いが「公平な観察者」の目に耐え得るものを行動規範とすべきと。

意外でしょう。『国富論』で利己心を推奨して、自由放任を主張していたスミスが、道徳心を強調していたとは。

スミスのいう「公平な観察者」とは「お天道様」と同じであり、特定のイデオロギーのことではありません。


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オイラの「公平な観察者」はアリストテレス孔子

理想主義者であった師プラトンと違ってアリストテレスは現実主義者。また、幸福を手に入れるために中庸=ほどほどを薦めています。
共同体を前提に政治を考えることを推奨するアリストテレスは、選択を誤らないためには自制心をもって考えるべき、と考えていました。

辛亥革命で清朝が倒されると、体制のイデオロギーとして利用された儒教に対して厳しい批判が噴出。でも、仁義や忠孝の観念を自分たちに都合のよい道徳として利用したのは支配者であり、孔子の思想の根底にあったのは他者への情愛を説く教え。

バランスの取れた思想というものは、人を興奮させず、徒党を組みにくいものです。なぜなら、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」つまり、人とは協調するが、その場限りの無責任な賛成はしないから。

孔子が言うには、「学ぶだけではだめであり、自分で考えを深めなければ、ものごとを明確にできない」。

同時に「自分で考えるだけだと、独断に陥る危険がある」とも。
だから「公平な観察者」が不可欠なんです。

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優しいウソ(フレーミング効果)


現実のあいまいさを逆手に取らせたら、教育機関とマスコミにかなうものはありません(笑)。
下の記事では、東大の入学式での映画監督のあいさつを取り上げました。

https://note.com/gashin_syoutan/n/n337442f41a4f



ロシアがウクライナへ侵攻したことを非難するのではなく、

例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。••••••••

河瀬直美


ねえ、見事に暗い話題を明るい印象に変えられたでしょう(笑)。

このように表現の仕方を変えることによって印象を変えることをフレーミング効果(文脈効果)と言います。
この場合は、東大の学生が文脈に固着してしまって合理的な判断ができなくなる固着性ヒューリスティックを狙った巧妙なテクニックというべきでしょう。

「さすが河瀬さん、映画監督だけに見事なお手前」と惜しみない拍手を送っちゃいますよ、オイラなんて(笑)。


戦後の日本がアメリカ教育使節団による教育改革を受け入れ、その後もアメリカの教育思想を無批判的に受け入れ続けた結果が、教育基本法。その一例が、学生による授業評価。これでは、教師と学生の間の信頼関係を構築することはできません。

「消費者」と「教わる立場」の区別もできない子どもの拡大再生産の後押しに余念のない物分かりの良い(?)大人たちへの懸念の表明がこちら。

https://note.com/mikochan/n/n70ce36eb9f9f?magazine_key=m33fec1a8839c


みこちゃんは指摘します。

・・・これを価値観の問題という文脈にしてしまうと、言われたほうがどう受け取るかわからないとか、良い悪いの判断は一方的にはできないという論争になってしまう。

どうです、フレーミング効果に引っかからないよう、薄っぺらな言葉の真意を推し量るためにも「公平な観察者」が必要だ、と思いません?

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前回の記事では、なぜ話が噛み合わないかの理由について考えました。

https://note.com/gashin_syoutan/n/nf8aed6608641

今回と次回は、前回の記事で触れなかった教育マスコミの影響について考察します。


意識の空白状態

消費者が決断をしくじっても、自分の懐がいたむだけ。でも、選挙民が政策や改憲についての判断をしくじれば、投票者個人ではなく、社会全体で負担を負うことになります。

ところが、人間というものは思い込みに価値を見出しがちであり、何かを選択しようとする際には、特定の感情イデオロギーひいきにします。アイン・ランドはそれを「意識の空白状態」と呼びました。「意識の空白状態」とは、「見えないのではなく、見ることの拒絶」であり、「無視するのではなく、知ることの拒絶」。

マスコミの切り取り・捏造による意味ないの世論形成は、まさにこの「意識の空白状態」を狙ったもの。

ジョン・ロックは、人間は信ずる宗教からの回答真実であることを望んでいるため、証拠よりも信念に高い信頼を寄せてしまう、と言いました。
これは誰もが真実に価値があると口では言いながらも、実際には、うぬぼれ、怠惰、虚栄、恐れによって真実が歪められることが多い、ということを意味します。
案外、思考停止って身近にあるものでしょう(笑)。

エリック・ホッファーはユダヤ教や原始キリスト教・・・ナチズム、共産主義などの大衆運動を分析し、「自らの人生に欲求不満を抱えている人々が、自己存在の意味を求めて狂信的に国家主義社会改革へのめりこんでいく心理的メカニズム」の解明に努めました。
そして、彼は政治的・経済的イデオロギーは熱狂的な執着や、異説を認めない不寛容という点で宗教と類似する、と指摘しています。

ところが、人々はボルシェビキナチ革命のように宗教的な性格を持つ政治的世界観に心地よさを見出し、批判的な意見には敵対心を持って応じていることに気づきません。結果、悪名高い全体主義の誕生に加担することになった、とホッファーは分析します。

宗教同様、極端なイデオロギーはメンバーにとっては好まいものであっても、客観的に見れば到底、合理的とは言えませんよね。

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アメリカとの戦いに破れた日本

イデオロギーは違えど、日教組は占領軍の「戦前の体制は悪だ」というGHQの思想教育に全面的に協力。もちろん、大手メディアと知識人は「軍国主義は神道・天皇が原因なんだ」と。

そんなことを繰り返し、繰り返し聞かされた国民が歴史的事実反日的プロパガンダの区別がつかなくってしまうのは当然の帰結。

申すまでもなく、儒教が体制のイデオロギーとされた様に、教育勅語神道も為政者に利用された、というのが正しい歴史認識です。

日本国憲法を我々に押し付けたアメリカの意図は、武装解除によって日本を長期的に弱小国の地位にとどめておくこと。
そして、80年近くにわたって教育改革マスコミ支配および、洗脳は続いています。

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教育勅語は、明治天皇が国民に対し、「人のあり様を語りかけた言葉」。天皇にとっては、臣民の教育程度が低くても困らないのに、日本国の繁栄と臣民の安寧を願う心から「臣民は教育に励め」と仰せられたのでした。

天皇が教育勅語を発布以降、就学率が飛躍的に伸びたのは、明治の日本人が大御心(おおみこころ)を信じていたからに他なりません。大御心とは、天皇が臣民を思う無私の心

https://note.com/mikochan/n/nb67ec69b6d5c?magazine_key=m7591be16a385

でも、GHQは衆参両議院に教育勅語の排除・失効決議させ、日本の知識人も教育勅語を軍国主義と結びつけてプロパガンダします。

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意思操作こそ究極の兵器

人間を意のままに操るのがマインドコントロール洗脳(brainwashing):特異な環境下で一貫した徹底的な教育を行い、従来もっていた思想、信念などを洗い流して新しい思想、信念を植えつけることであり、「思想改造」を意味する中国語に由来。

権力を握ったヒトラーはヨーゼフ・ゲッベルスを大臣に「国民啓蒙・宣伝省」を創設。目的は、芸術、映画、演劇、書籍、新聞、ラジオ、教材をナチスのプロパガンダに利用するため。さらに、「アドルフ・ヒトラー・シューレ(AHS)」と呼ばれる幹部候補を育てるためのエリート教育機関を設立。

ロバート・J・リフトンが中国共産党による思想改造(洗脳)を分析して見出した 8つのテクニックは参考になります。カルト団体は、高い理想を掲げ、世の中への不安をかきたて、隔離された環境でトランス状態にして自由意志を奪い、洗脳します。空中浮揚のような超常現象を駆使する神的な教祖をでっち上げて、教団に勧誘します。


民主主義の前提となるのは、各人が自分の頭で考え、自ら判断する能力。まさに孔子の教えそのものです。
いまだに、オイラたちは占領軍による教育・マスコミの制度化の影響を受け、一党独裁である隣国のプロパガンダにより洗脳されようとしています。

5月21日投開票のオーストラリア総選挙は、中国に強い姿勢で臨んできた与党の劣勢が伝えられています。
同盟国との連携を強化してきた豪州で9年ぶりに政権が交代すれば、インド太平洋地域の安全保障の枠組みに影響が及ぶとの懸念が広がっています。

今こそ、危機感を国民が共有し、「歪んだ歴史観」への向き合い方を「公平な観察者」に問うべきではないでしょうか。


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魯迅の『阿Q正伝』には、自分の悪い根性を自覚ができず、自分を改革できない阿Qが描かれています。

次回の記事でも書きますが、洗脳の怖いところは「最初にある情報を繰り返し与えると、固定的回路ができてしまい、後になって、それに反する啓発情報を何度送っても、一旦回路ができた脳は受け付けなくなる」ところ。K国の反日教育と、それがもたらした K国民の思考回路からも、それは明らかですよね。

オイラたちも、洗脳から解かれ、阿Qの根性(意識の空白状態)を克服することができなければ、この先、民主主義国家でいられない~日本国がどこかの属国にされるかも。

意味ある世論は「公共財」です。

討議することを避ける政治家を選ぶことや、ピンボケ政治家を尊重しようとする「意識の空白状態」から解き放たれるためには、心の中に「公平な観察者」を持っことが肝要かと。

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