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空はキャンバス。雲はインク。

GARYUのshoです。
今日は、空と抽象画をからめて話してみます。

わたしにとって龍雲というのは、大気中にあつまっている水滴の塊ではなく、空というスカイブルー地のキャンバス上に、白からグレーにかけた配色レンジのインクで、自然現象が様々なパターンや濃淡で描く「言葉」です。いわば「自然が発する言葉」です。いきなり何言ってるんだって感じだと思いますが。。まあ聞いてください。

まだわたしが10代だったころに父が職場退職した日、記念品として一台コンパクトカメラをもらって帰ってきました。それ以来、わたしはどこへいくにもカメラを片手に好きなものを撮り始めるわけですが、いつのころからかははっきり思い出せませんが空をよく撮ってました。それが龍雲かどうかにかかわらず、雲がおりなす模様がすきでした。

わたしは後年にアートを学びにアメリカへ留学をするわけですが、相変わらず空の写真は撮っていました。

留学先では毎日人を被写体にしたデッサンを中心に、アートを学んでいたわけですが、その中でも一番魅せられたものは抽象画でした。具象の絵よりも圧倒的に20世紀初頭のキュビズム以降のアメリカを中心に抽象画ムーブメントで活躍したアーティストたちの絵に没頭しました。たとえば例をあげると、ポロック、デクーニング、ゴーキーやスティル、ロスコなどが思い浮かびます。ちょうど授業でおしえていた先生も名の知れた抽象画の現代アーティストだったこともすくなからず影響しているのかもしれません。

2012年に日本で初開催されたジャクソン・ポロック展より ポロックのアトリエの床を再現。

抽象画とは、一見して何が描かれているかわからない部類の絵です。そのため一般的にはよくわからないアートとしてかたづけられる感はありますよね。わからないがゆえに「抽象」と呼ばれるわけですが、形のないもの、見えないものを描くとき、わたしたちは当然具体的な形は描けません。たとえば「龍」は見えませんが、シンボルとしてつたえられてきている龍の具象は存在していますし、記憶しているので描くことも可能です。でも本当にみえないものは描けない。この実体がともなわない対象を、直感的でかつ、鋭敏で繊細な感覚をもちあわせているアーティストたちは、配色やパターン、筆のタッチで可視化をこころみてきたんだと思うんです。

かつて絵画の先生がわたしに言ったこといまでも鮮明に思い出せます。



Find your plastic language.」



プラスティックには合成樹脂とは別に「造形」という意味があります。つまり自分の造形の言葉をみつけろ、ということを言ってました。世の中にはいろいろな抽象画がありますが、わたしがこれを描くとき、思考をとめて完全に感覚と直感で色や影をつけていきます。こうしてパターンを描いていくと、それが「何か」にみえてくるんですね。もちろん、この何かは人によっては「別の何か」にみえたりします。わたしが思う抽象画の最大の魅力ってこの部分だと思っています。とらえる人の観点で自由にとらえればいい。扉はどの方向にも開かれていて、どの方向からも出て行けます。



抽象画 = 自由な絵



うまく描こうなんて全く考えなくていい。感じるままに色をつけていけばいい。最高だと思いませんか?

これは、「空」しかりです。頭上に浮かぶ白。グレー。筆をべつに走らせなくていい。勝手に風でパターンが描かれていくからです。当然それは具象ではないので人によって自由に感じればいいし、自由にみればいい。



絵に見方なんてないのと同じように、
空に見方なんてないんです。



たまには龍に見えるものもある。いるかいないかなんてどうでもいい。人の顔にみえるものもある。あるいは、何かのキャラクターに見えることもありますし、何も見てとれないこともある。

わたしたちがやることは、ただ見上げるだけ。それだけでいい。

空は美術館。



GARYUも、風とともに動きます。

2021年冬 明治神宮境内上空


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