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ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話13 ~心を病む一歩手前の決断~

前回までの話はこちらから

心を病む一歩手前の決断

先の見えないつらさで病一歩寸前!

苦しい下積み時代であった初めての病院勤め。
試練の日々は成長へのプロセスとは言うものの、

仕事自体はあてがわれた仕事は懸命に、誠心誠意やっていたつもりですが、ADHDっぽさも手伝い、ポカも多かったということもあり、また求められていた通りに出来ないふがいなさもあり、

叱られっぱなしで自信を失う日々・・・。時には理不尽と思えるような叱責も受けたり・・・。

勤め始めのころは、基礎から臨床という道に入ったことで、前々から考えていた気功や武術の臨床応用が実践できるかも、という目標意識もありましたし、心理学を活かすということについては意欲もありました。

なので、早起きして出勤前に文献を読んだり心理検査の勉強をしたりと自分なりに努力はしていたつもりでしたし、実際、前回も書きましたようにそれは実現もできたのですが…。

それにもまして、人間関係的なストレスが積み重なっていたのでした。

日々のストレスが重なってくるとだんだん夜が寝られなくなり、朝もぎりぎりまで寝ていることが増えていきました。

生活の張りが失われて、家での勉強もする気が起きず、帰宅後もダラダラと過ごすことが多くなり、次第に毎日をどうやり過ごしていくか、ということだけにとらわれていくようになりました。

このころは、帰宅したら食事をしてそのあとすぐにうたた寝→2時ごろ起きてテレビを見て、何となくそのまま寝て起床時刻になったらどんよりとした気分で重たい身体を何とか持ち上げて布団から出る…という日々でした。

もはや悪循環ですね。

ああ、これが「うつ」というものなのかな、と、「今だから」思えるのですけどね。(というか「適応障害?」。)

正直、「見通しがつかない」というのが最もつらかったですね。
この職場で自分は何をしたらいいのか? 何をすべきか? 何を目指したらいいのか? この先どうなるのか? 何もわからなかったです。

叱られることは仕方ないにしても、それに「甲斐」を見いだせるのか? がんばって何が得られるのか? これから先の人生に希望はあるのか?

具体的なものが何もイメージできなくなっていました。

もっと言えば、「この場で頑張って得られるもの」の先が見えてしまった、ということかもしれません。

自分が求めるものを得られない、という「見通し」です。

これによって、一気に心理状態が悪くなったように思います。

では、自分が求めるものは何か?

そんな自問が当然始まり、振り返れば実家に帰った時に、「何か忘れ物をしているような気が」していた訳です。

何かわかりませんが、ここにこのままいてはいけないという、何かに突き動かされるような気がしてきて、どうにかして今の状況から脱出する方法を模索することになります。


ギリギリの決断「もう、辞めよう」

病院での過酷な体験、そして、「忘れ物」を取り戻すためにした決断とは?

「今の病院を辞める」です。

ありきたりですいません。

懊悩の末、時期は未定でも、近いうちに「辞める」という確固とした決断をしたのです。

なかなか見つからない心理職について、これで何とか生活も安定するかな、という段になって、その職を辞するというのは、はた目には「もったいない」ことでしょうね。

ただ、その決断は、今のままではよくなりようがない、という未来への見通しのつかなさ、そしてその中に、わずかでも光を見出そうとして私なりに悩みに悩みぬいた結論です。

本当にやめていいのだろうか?

その時の私の悩みは、辞めることそのものよりも、辞めるという判断の確かさ、でした。

ご参考)今ならではの対応

一般に、うつ状態にあることがうかがえる方が「辞めたい」と言ったときにはまずは話を聴きますが、辞めるという判断にはワンクッション置いていただくことをお勧めします。

「うつ病」という明らかな病が、現状の認識と判断をゆがませている可能性が高いからです。

また、私のようにADHDっぽさがあると、判断がどうしてもやや衝動的な方に偏ることがあるのでそこも理解が必要です。

患者さんにはそのことを伝えて、「辞めるのはいつでもできる。制度として休職もできるし、とりあえず辞めるのは保留にして、まずは受診をしてあなたの状態を医学的に確かめてみましょう…。」というような提案をします。

なので、このとき私自身が「辞めたい」となったときにもそれはありうるわけで、その自分の判断の確かさ・妥当さを疑っていたわけです。

もし読者の皆さんがこのような状況になったら、まずは誰かに「相談」することをお勧めします。この時の私にはこうしたことを相談する相手がおらず、真に客観的な視点から話を聴いてくれて、客観的に意見をくれる相手に心当たりもなく、あとはホントに私自身がカウンセリングを受ける、ということしかなかったのです。

ただ、恥ずかしい話ですが、私自身、この時にカウンセリングを受ける、というアイディアが出てこなかったのですね。

ここにも私のADHDっぽさという特性もかかわっていたと思いますが、実はその時の私は、カウンセリングという方法を「見くびって」いたのかもしれません。

今思うと滝汗ですね^^;

今現在、こうしたお悩みでカウンセリングをご希望される方は多く見えられるのですが、そうした方々はきちんとカウンセリングを解決の選択肢として見出されて、ためらいながらも出向いてこられているということは本当に尊敬に値することと心から思います。

一度間をとっていただき、後々後悔のないようにぜひ、一旦立ち止まって相談を活用してみていただきたいと思います。

以上、思い出を交えての感想をお伝えしました。

さて、少し話がそれましたが、

いやなことから「逃げている」のではないか、親を始めとする周りから白い目で見られるのではないか、そんな思いの方が先行していました。

「ただ逃げているだけ」

これは強烈なフレーズです。「逃げる」=「弱者」というレッテルを貼られたようでもあり、それは「いけないこと」であり、「そうなってはいけない」、というネガティブなイメージがどうしても先行してしまいます。

それをなんとか「合理化」するために、考えまくったのですね。「合理化」つまり自分をごまかすための理屈です。

そうしないと、自分の自分に対するメンツが立たないですから。

そう考えると、「合理化」することへの情けなさ、みたいな感情も芽生えてきます。

「もうやめる。でもやめたら…親にどう思われる? 生活はどうする? ただ逃げたいだけじゃないの? でもこのままだともたないし…。」

しばらく、その堂々巡りが続きましたね。

注:今となっては、「逃げる」ということは私にとってはむしろポジティブな意味になっています。「逃げる」という選択肢は常に持っておきたいと思っています。ただ・・・「上手に逃げる」というちょっとしたスキルはいるかもですが。今思えば、単に仕事をするにしても、「逃げる」という選択肢をもっとサラッと有効に活用できればここまで悩まなかったかもしれません。

これって私の感想です。

・・・その中で、ある一冊の本が目に留まります。

そこから、運命が開けていった・・・ような気がしています。

その本とは?

あとがき

このころはネットの検索エンジンで自分の悩みを検索したら答えが出てきたらいいのに…! と本気で夢想していましたが、さすがのgoogle先生でもそれはないので、代わりにしんどいなかで本当に色々な本を読みました。何とかトンネルを抜け出そうと、その知恵を探そうと必死でした。

そうやって乱読したうちのある本が、当時の私を救ってくれたのです。

それについてはまた次回になります。

今回もお読みいただきありがとうございました。


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