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ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話15 ~新天地を求めて~

前回までの話はこちらから↓

就職した病院を辞める決心はついたものの、病院を辞めるにあたって、現実的にはクリアしなければならない問題があります。

次の就職先と、何より、両親の説得でした。

就職探し

就職先探しはネットを使って求人情報をあたりました。

あまり期待はできないと思いながらも検索すると、タイミングよく病院心理職の募集を発見。

これは逃せない、とさっそく徹夜して履歴書を書き、送りました。

ちなみに私は履歴書のような「文書」を書くことが大の苦手です。これも「特性」の一つかもしれませんが、「枠」に合わせて書くということがとても難しいのです。付箋にちょっとしたメッセージを書くだけでもすごく苦労するくらいです。ま、そもそも字も汚いですし。

なので、手書きの履歴書は本当に、何枚も書き損じては書き直しの繰り返しになるので、これ自体が「苦行」です。

書類選考通過!

それはさておき、苦心して書いた履歴書に「念」がこもっていたのか^^; 書類選考は通過!

面接の知らせが届きました。受けるしかないですよね。

でも、指定されたその日は平日で、もちろん仕事があります。
ただまあ、年休もあるし、そこは理由をつけて年休を取得。

いざ面接へ~そして合格!

親には、普通に仕事に出るふりをして、実は、面接に向かいました。
クルマで3時間の道のりです。

面接では緊張もしましたがアットホームな雰囲気で好感触。ただ、数日後、電話で「採用」の連絡がきたときには正直、「まさか」という思いでしたね。

モチロン、二つ返事でお受けいたしました。

なんと運のいい事でしょう。
まさしくこれは「運」ですね。このタイミングでなければあり得なかったかもしれません。

一気に視界が開けたような気持ちでした。

両親への報告&説得

運よく再就職先は決まりましたが、私を跡取りと考えていた両親にはやはり反対されました。

反対を押し切って行くのはやはり気が引けます。

でも、ここで今のままの生活を続けることはもう限界だった私はなりふり構っていられず、「2~3年でまた帰ってくるから!」という約束をし、何とか納得をしてもらいました。

私も実家は嫌いではないですし、両親にも親孝行したいという思いは強くありましたので、決して嘘ではなかったのですが・・・、結論から言いますと、それから23年たった今も・・・帰っていません。

結果的には嘘をついたことになりました。

今はもう父も亡くなり、母も高齢で認知症も患っています。

このことについては大変申し訳ない思いでいっぱいです。親も数年たって帰ってこない時点であきらめていたとも思いますが、私のわがまま? を諦め気分ででも許してくれたことで、今の臨床心理士としての私があることについて、本当に両親には感謝をしています。

一方、その時の私自身の決断は間違っていなかったとも間違いなく思っています。


転職先も決まり、親の承諾も得、そしていよいよ再出発です。

そして、次回から本当の、「臨床心理士」への道が始まります。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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