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終末世界の英雄譚 第2話 尽きない闘志、絶対の意志

「昔の森は緑だったんだよ」

どこかの誰かが、そういった。
だが彼は生まれてこの方、緑の森を見たことがなかった。
魔族が占拠した森は、血塗られたような朱色の粘液によって、森中が染まっているからである。
シャーフ村付近の森も例外ではなく、魔物が自らの力と縄張りを示すかの如く、真っ赤だった。

「万が一のためにも、立会人を呼びませんか?」
「怖気ついてるのか? 戦場に立ち会うのは死神だけだ」

目的地に辿り着いたノーラがそういうと、彼は持ってきたカバンからナイフを取り出し、後ろからついてきた彼女に見せつける。
すると襲われると勘違いしたのか、彼女は腰を低くして身構えた。

「安心しろ、武器としては使わねぇ。準備ができたら教えろ。これを木に刺した瞬間が戦いの合図だ」

「……了承しました」

彼女は持ち手の部分が見事に装飾されたナイフを握ると、荒々しい炎のようなオーラに包まれる。

「治療と失明を司る神よ。汝の魂、今我と同化せん。アニムス=フォルティス!」
「ほぅ、お手並み拝見といこうか」

詠唱すると彼女の体を、無数の緑色の球体の光が、螺旋状に旋回する。
彼女の足元には、黄金に光る魔法陣が点滅していた。
光は黄色、闇は紫といった具合に、使う魔法の属性に応じて、浮かぶ魔法陣の色は異なる。

(ありふれた身体強化の魔法……どんどん使ってこい)

クロードはノーラの魔術を、まじまじ観察する。
無論、彼も黙って指を加えて見ているわけではない。
ババ抜きで手札が少なくなるにつれ、相手の持つカードが判別できるように、手の内が割れれば有利に動ける。

「では、試合を始めましょう」

「ああ」

促され、彼は短刀を放り投げる。

「破壊と創造の神に御言葉を響かせり。炎よ、我が言葉に応じ放たれよ―――フランマ!」

それと同時に彼女が呪文を唱えると、短剣の切っ先から、人の頭ほどの大きさの炎が3つほど、彼に向かって飛ぶ。
杖を介して魔法を打つのが一般的だが、彼女は短剣を杖代わりにしている。
体術に自信があるならば、遠距離から魔法など使わず、最初から己の身一つで向かってきただろう。

(典型的な中距離の戦闘が得意な魔法使い。近接戦はかじった程度か)

クロードは経験則と、眼前のノーラの行動から、戦闘不能にするための最短ルートを導きだす。

(戦術はだいたい把握できた。戦いに勝つ方法は、相手の嫌がることの徹底―――近づかれたくないなら距離を詰めるまで)  

間合いを見定め、火球に臆せず一歩進むと

「瑞雨蒼雷流(ずいうそうらいりゅう)·脱の型、奔雷(ほんらい)」

糸で操られていない人形のように、手をだらんとさせる。
幾度となく繰り返した動作に一切の気負いはなく、脱力した体に力を込めた刹那に、彼は稲妻と化した。
瞬く間に距離を縮めた彼に、彼女は短剣を突きつける。
―――が、とっさに手首を掴んで、短剣を突き刺そうとする勢いを殺す。

「不用心じゃないか。流石にこうなったら、もう逃げられないぜ」
「え!?」

クロードが厭らしく微笑むと、頬の蛇の目玉が妖しく輝いた。
青白い雷がほとばしる拳を見せつけると、企みを察したのか、手を振りほどこうと必死にあがく。
拳を軽く押しつけると、彼女は声にならない悲鳴を上げる。

歯を食いしばって耐え忍ぶも、しばらくすると痙攣して、ぴくりとも動かなくなった。

「戦場では無防備な人間が立ち上がるのを、待ってくれない。それを今から、お前の体に叩きこんでやる」
「……」

空を切る一撃は雷鳴のような唸りをあげて、彼女のみぞおちに炸裂する。
ミシャッと骨が砕ける鈍い音と、硬いもの同士がぶつかりあう感触。
一瞬の出来事だが、どれほど戦いの経験を積んでも慣れなかった。
だがその不慣れさが、常人と狂人の境を行き来する彼を、人間のままでいさせた。
地面を転がって木に打ちつけられたノーラの口許からは、あふれた血が顔の形を沿って、顎の先から一滴ずつ垂れ落ちる。
まだ意識はあるのか。
クロードは魔法の練度に感心しつつ、問いかけた。

「無様だな。いいんだぜ、俺はいつ止めても。とっとと降参しな、その方が痛い目を見なくて済む。俺だって殺しはゴメンだ」

「……嫌……よ」

クロードの一言を耳にした彼女は、首を横に振って提案を拒む。
強情さに、彼は表情を強張らせた。

「いいから諦めろ。こんな風になりたいのか?」

背後に鉄拳を見舞うと、彼女が背をもたれる大木は、たちまちに焼け焦げる。

「……木が」

後ろを確認した彼女は小さく言い漏らすと、疲れた犬のように喘ぐ。
勇敢な冒険者といえども、死という根源的な恐怖から逃れるのは不可能。
じきに馬鹿げた考えを改めると、次の脅しの思案に暮れると

「戦いを……続けましょう……」
「はぁ?! このまま続けても、お前の傷が増えるだけだぞ」

彼女のまさかの発言に、彼は顔を歪めた。
誰が見るまでもなく、実力の差は歴然としている。
これ以上続けても、どちらが最後に立っているかは明白。
だが追い詰めたはずのクロードの頬から、冷や汗が垂れていた。
窮鼠(きゅうそ)猫を噛む。
油断して一つ選択を誤れば、足元を掬われる。

「なんで諦めない! 今のお前に俺を倒せるはずないだろ!」
「いなくなっ……兄さんが……守るって……だから……私は……私が……この……世界を……守……」

怯え混じりに声を震わせると、彼女の大言壮語に、彼は腹の底から憤激した。
この女は、体験していない。
能天気だった頃の自分を、八つ裂きにしたくなる最悪な気分を。
寝ても覚めても、悪夢から解放されない苦痛を。
幼児じみた全能感が根底から覆った、地獄の日を。
叶えられもしない夢に酔っている今はよくても、いずれ魔物や敵幹部の手によって仲間が死に、無力な自分を憎む日がくる。
絶望の現実を前にしても、同じ台詞を吐けるのだろうか。

苛立つクロードは

(弱い人間が理想を語るな。お前も俺も、平和を夢見るのさえ許されない人間なんだ)

心の中で呟くと、唇を噛む。

「一つ聞く。お前、世界を救うのに何が必要だと考えてる?」
「……意志……かしら」

息も絶え絶えにしながら彼女は返事すると、クロードは殺意のこもった瞳で彼女を睨む。理想を現実にするための力がなければ、ルッツたちの二の舞になる。

「いいや、何者にも負けない力だ。俺より弱いお前に何が守れる。俺の仲間は弱いから死んだ。お前の、あの世の兄貴もだ。この世界にはな。弱い人間が生きる価値なんかないんだよ!」

クロードは、心にもない暴言を吐き捨てる。そう自分に言い聞かせて、精神を保つのが、彼の唯一の生きる道だった。
気のいい仲間と死別した事実から、目を背けることでしか、彼は生きられなかった。

(本当に生きる価値がないのは、俺だ)

「だから……理想を……捨てた……くない……」

頑として考えを曲げない彼女に

「なんで馬鹿げた理想を掲げるんだよ。本当は無理だって、叶わない夢物語ってわかってんだろ。だったら最初からそんな未来、見ない方がいいだろ! その方が苦しまないで済むだろ!」

彼は思いの丈をぶちまけた。

「それでも……私は……私を諦めたく……ない……」

途切れ途切れに、力強くクロードの発言を否定するノーラの一言に、彼は唇をわなわなと震わせた。
実力では到底及ばない彼女が、かつての自分の志を抱いている。
罵詈雑言を浴びせられるよりも、勝手に期待されて、勝手に失望されるよりも、ノーラの鉄の意志が胸を締めつけた。
―――彼女のような強い心があれば、他の未来があったのだろうか。

(こんなこと無駄だって、いい加減理解しろよ!)

彼女への対抗心は、言葉を交わす度に膨らんだ。
どちらが間違っているなんて、とっくに分かっていた。
それでも彼女の理想論を、彼は到底受け入れられなかった。

「俺はお前に腹が立つ。弱い癖に口先だけの平和を望むお前が、憎くてたまらない」
「口先だけ……じゃ……絶対に……世界を……」 「だったら這いつくばってないで、証明してみせろよ。お前が無力でないことを。この戦いで、俺を超えてみせろ!」

「言われ……なくても……」

挑発されたノーラはふらつきながらも、彼へ向かって駆けた。
隙だらけではあるものの、右手には短剣が握られている。
それなりの魔法が扱える彼女が、短剣での斬撃に、こだわる意味がある。
先ほど接近した際に、彼女は斬りかかるのを優先してきた。
戦闘で得たわずかな情報を分析しつつ、クロードは次の手を模索する。

(毒が塗られていると考えれば、妥当な行動だ。近づくのが危険なら、遠くから攻めればいいだけ)

粗暴な口調と風体とは裏腹に、冷静に判断を下したクロードは、地面を握り拳でぶんなぐる。
すると彼女の周りから泥が円を描き、間欠泉の如く噴き出す。

「これは……」
「棺桶さ。お前専用のな」

同時に、たちまちに彼女を飲み込んだ。  

「きゃあああぁぁっ!?」

泥に飲まれたノーラは、またしても膝をつく。
全身土まみれで横たわる彼女は、嗚咽混じりに、指を突っ込んで口に入った泥を吐いた。

「ハァ……ハァ……兄さんに……逢いたいのに……」
「兄貴なんて見捨てて、故郷に戻って暮らせばいい。弱い人間らしくな」

苦しみ、のたうち、それでも紫の瞳に宿る静かな闘志は、燃え尽きていない。

「こんなものかよ。お前、やられっぱなしじゃないかよ! 守るんだろ、世界をよ?!」
「……ええ」
「ふざけんな! お前に、お前なんかに、誰も救えない! 俺やお前が命を懸けて亡くなっても、残された連中は感謝なんかしない。いつかそいつらの記憶からも、お前が誰かのために戦った事実さえ風化する。お前の頑張りなんか、何も報われやしないんだ!」

「うる……さい! 私は……私を……諦めない!」

互いが互いの考えを譲ることなく、罵り合いは白熱した。
言葉に力が宿った。

「最後通告だ。いい加減にしないと死ぬぞ、お前」
「仲間が全滅……して……だから……全部……諦めるの! この世界を……見捨てるの!」
「昔の話をするなと言っただろうが。お前なんかに、俺の何がわかる!」
「わからない……でも……私は……ゴホッ、ゴホ」

途中まで言うと、ノーラが咳き込む。
先ほどの泥が口腔内に残っていて、上手く話せないのだろうか。

「おい、大丈夫か?」

心配になって口をもごもごさせた彼女の元まで、彼は歩み寄る。
腰を屈めて顔を覗き込むと、その表情はピエロのペイントのように、不自然なほど唇の両端が上がっていた。
―――何かを企んでいる!
直感した彼の顔面めがけて、彼女は血の混じった唾を吐き捨てた。
思いもよらぬ反撃に、反射的に右目を閉じる。
こいつ、まだ諦めて?!

「もういい。引導を渡してやる!」

叫ぶと同時に拳を振るおうとしたその時―――彼女が体当たりを仕掛けると、生暖かい血が衣服に染み込む。

「油断……してたわね……あなたの良心につけこんだ……私の勝ち……」
「うっ……ぐぅ……」

刃が突き刺さると、切れかけの電球が絶えず明滅を繰り返すような、穏やかで強い光が森を照らす。
その光が、暗闇に飲まれかけた意識を呼び覚ます。

「何……しやがる!」

全身に脂汗が滲む体に無理を押して、彼は首元に手刀を叩きこむ。

「この女、せこい手ぇ使いやがって……」
「……治療と……失明……レフェク……」

ナイフで地面を突き刺して、彼女は最後の気力を振り絞る。
このままでは、文字通り死ぬまで続行しかねない。

「魔法なんか唱えるな。いい加減にしろ!」「うぅ……あああああぁ……」

無茶をするノーラを咎めると、負けを認めたくないのか、年甲斐もなく泣きじゃくる。
正々堂々と勝負を挑んだ彼女が、悪人には思えない。
泥臭くても、卑怯な手段を使ってでも、自分を仲間に迎え入れて兄と世界を救いたかった。
そうまでしても、失いたくないものがあった。
―――ああ、そうだ。
誰かに八つ当たりしたかったわけじゃない。誰かを殺したかったわけじゃない。
自分が授かった力は、守るためのものだった。
彼女の生き様を通して、かつての師や友の遺言に思いを馳せる。
彼は己の愚かしさを悔やむと、心を改めた。

「俺の負けだ、案内してくれ。小さな種火って組織に」
「……こんな勝ち方……私は……まだ……兄さんのように……強くは……」

理由がどうあれ平凡な少女が抱きそうな、ありふれた気持ちを糧に、格上に一矢報いた。―――彼女なら新しい世界を、自分に見せてくれる。

「いいや、あんたは強いよ。俺がとうの昔に捨てたものを、あんたは持ってるじゃないか。その志を、ずっと大事にしてくれ」

健闘を称えると、彼女に簡単な処置を済ませて背中におぶる。

「何を……」
「教会に連れていくんだよ。仲間を助けんのは、冒険者として当たり前のことだろ?」
「……負け……たのに……勝て……なかった……のに」
「どうせ強情なあんただ。やられても勝つまで繰り返すだろ。根負けだ」
「あぁ……うぅ……」
「あんたは強いさ。まだまだ強くなれる。俺なんかよりずっと」

彼女が喋る度に、傷口から滝のように血が噴き出す。
時折声をかけてやると安堵したのか、すうすう寝息を立てて眠りにつく。
今は消えそうな命の種火でも、悪を断つ日が訪れるまで、その火が絶えることはないだろう。
青空を見上げると確信を胸に、クロードは新たな仲間と共に、ゆっくりと歩み出すのだった。


拙作を後書きまで読んでいただき、ありがとうございます。 質の向上のため、以下の点についてご意見をいただけると幸いです。

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  • 好きな文章表現

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作者にも感情がありますので、明らかに小馬鹿にしたような発言に関しては無視させていただきます。

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