初恋
カランッ……
「隣、いい?」
彼女が持つ少し汗のかいたグラスには半分ほど減ったオペレーターが光っていた。
「ええよ」
彼女はほっとしたように笑って僕の横の席についた。
「久しぶりやね」
「そうやな」
少し頬を赤らめた彼女は5年前に比べて随分大人になっていた。
成人式終わりの同窓会、その二次会での席。地下鉄なんば駅から10分ほどの洒落たレストランの2階を貸切ってそれは開催されていた。
普段、二次会なんかには参加しない僕が珍しく参加したのは彼女に会うためだった。
「今は何してんの?」
「大学生してるわ」
「中学の時から賢かったもんな」
「そっちは?」
「私はもう働いてるよ」
「そうなんや、頑張ってんねんな」
「まぁねぇ」
少し赤くなった目を細めて彼女は微笑んだ。
「そういえばさ、ハルヤ覚えとる?」
「わかるよ、野球やってたやつやろ」
「そう。ここ来る前にハルナ連れて抜け出したって」
「へぇ、やるな。中学ん時あの二人付き合ってなかった?」
「付き合ってたよ、ヨリ戻そうとしてるんちゃう?」
「ハル・ハルで一生春やな、とか言うてたのに別れたあ、言うて騒ぎになってな」
「ははは。言うてた、言うてた」
「でも、かっこええな」
「うん」
彼女はオペレーターで唇を濡らすと天井の洒落た電球を見て呟いた。
「私も誰か連れ出してくれへんかな」
「連れ出してあげたいけどなぁ」
「無理なん?」
「無理やなぁ……好きやったからな」
「私のこと?へぇ、いつから?」
「小……4かな」
「はは、知らんかった。物好きやね」
「ロマンチストって言うてくれや」
ふたりは赤い頬を崩して笑った。
「でもなんで言うてくれんかったん?」
「そら、ずっと彼氏おったからやろ」
「え?中3の時だけやで」
「嘘やん。ずっとおったやろ」
「おらんって。自分かって中3の時おったやろ?」
「中3の時はいた」
「それ聞いたから私も告られてOKしてんで。好きな人には彼女いたから」
「……俺がヘタレなだけやったんやな」
「そうやな」
僕はハイボールを一口含んでため息をついた。
「……いつきっかけ?」
「私は小6でクラス一緒になった時かな」
「俺は、ほら。小4の時、自分の教室いく時俺のクラスの前通ってたやろ?」
「そうやったっけ?」
「そうやった。そん時かな」
「まさかの一目惚れ?」
彼女に覗き込まれて僕は少し恥ずかしくなった。
「まぁ、そんなとこ」
「やーん、照れるやん」
グラスの中の氷を揺らして誤魔化しながら彼女に話を続けた。
「初恋は叶わんって、よう言うやん?」
「……言うねぇ」
「ちょっと違うと思うねんな。なんやろ……『叶えたくない』が本心かな」
「好きな人やのに?」
「好きな人やから、かな。今、自分のこと連れ出したら叶うかもしらんやろ?」
「うん。たぶん叶うよ、お互いに」
『お互いに』という言葉に心臓が締め付けられるような気になったが、本心を飲み込んで言葉を続けた。
「でも、連れ出したくないんよな。『失敗したら怖い』とかそんな感情じゃなくて、単純にこのままが一番心地いいんよ」
「あぁ、なんかわかる気もする」
「わかる?まぁ、逃げではあると思うねんけど」
「それでいいんちゃう?私はそっちの方が好き」
「そっか……やっぱ、好きになってよかった」
「うん…………彼女おるやろ」
「……バレた?上手いこと撒いたと思ってんけどな」
「もうちょっとやったけど、私は騙されへんで」
ふたりは大きな声をあげて笑った。その笑い声は誰にも届かず、盛り上がる会場の騒がしさに飲まれて行った。
「三次会行く人はー、こっちでー!」
幹事が夜遅くの繁華街で声を張り上げている。僕は明日の予定もあるので帰ることにした。
あの後何人か懐かしい面々と話をしたが、最後に彼女ともう少し話そうと思って声をかけた。
「また今度会う?」
「いやぁ、言うだけで会わんって」
「まあ、そうやな。会う時にはばったり会いそうやしな」
「次会うときは偶然やね」
「そうやな……じゃ、元気でな」
「そっちこそ……またね」
彼女は僕に背を向けて夜の繁華街に向かって歩き始めた。僕はしばらくその背中を見つめた後、振り返って歩き始めた。
「ねぇ!」
呼ばれて振り返ると彼女はこっちを見て笑っていた。
「ほんまに好きやったで」
「俺も」
「だからわかるんよ…………嘘なんかつかんでよ」
「え、なんて?」
「なんでもない!じゃあね!」
「あ、うん……またいつか!」
その言葉を最後に彼女は1度も振り向かずに繁華街の角を曲がった。彼女の言葉を運ぶには繁華街の喧騒があまりに騒がしすぎた。
駅に着いた頃、スマホに電話がかかってきた。高校の頃の同級生だった。
『ー…おー、もしもし』
「もしもし、どうした?」
『今日同窓会や、言うてたやろ?どうやった?』
「どうやったも何も。楽しかったよ」
『どや、彼女でも出来たか?好きやった子の1人や2人おるやろ』
「おらんって。彼女だって出来やんよ」
『なんや、それ。まぁ、今度聞かせてくれや』
「おぅ。楽しみにしといてくれ」
『じゃな。気ぃつけて帰れよ』
「うん。ありがと」
通話の切れたスマホをポケットに入れて駅のアーケードの隙間から薄い星空を見上げた。
「ヘタレは治らんもんやな」
口から漏れだした独り言とため息は入って来た電車の轟音に飲み込まれて誰の元にも届かなかった。
〈完〉
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