角を曲がる
ぴちょん……ぴちょん……
樋の割れ目から漏れてきた雨水が水たまりに小さな波紋を生んだ。私はその波紋を上から踏みつけるようにしてもっと大きな波紋を作った。
真夜中の路地。蛾の止まっている蛍光灯が中途半端に点滅するから星空も見えない。いっそ消えてしまえばいいのに、とさえ思った。
真夜中なのに人とすれ違った。肩をぶつけられて舌打ちをされたから、不眠症でクマだらけの目で睨み返してやった。この時間だけは独り占めしたかったのに。
闇に包まれた路地に不規則な蛍光灯の点滅に合わせて影が浮かび上がって、その影と目が合った。
「背伸びせずに生きればいいから」
私より少し長く生きただけの大人たちに言われるし、
「あなたは特別だから」
自分は普通だと思ってたけど何が普通なのかわからなくなるし、
「でもあなたってこうなんでしょ」
周りに決めつけられた思い通りのイメージになんかなりたくなんかないし、
「それは違うって言われてもね」
否定したところでみんな他人に興味ないし、
「あれ?雰囲気変わったんじゃない」
誰も私のことをちゃんと見てはくれないし、
「そっか、そっか」
わかってもらおうとすればぎくしゃくするし、
「あなたらしく微笑んで」
微笑みたくない時の自分の殺し方はまだ見つかってないし、
「がんばってよ、期待してるから」
みんなが期待するような人には絶対になれない。
それでも幸せになりたい、嫌われたくない、好かれたい、否定されたくない、見てもらいたい、苦しみたくない、認めてもらいたい、捨てられたくない、気づいてもらいたい。
そのためには与えられた場所で求められる『私』でいればいいんだよね?問題を起こさなければいいんだよね?ねぇ、そうでしょう?
でも『私らしさ』って何なんだろう。あの人が思う『私』もあの人が思う『私』も私が思う『私』じゃない。
でもそれだけ言ったところで本当の『私』を見つけてくれない、ここにいることに気づいてくれない。どうすれば、どうすれば……
プルルルル……
「……もしもし」
『今どこにいるの!!』
「ごめんなさい……」
『ごめんなさいじゃなくっー…-…』
無責任に喚くスマホをポケットに押し込んで空を見た。もうすぐ明日が今日に変わる。見えない星空が明日の天気を秘匿する。明日が雨だろうと晴れだろうと何も変わらない。
足元の水たまりを覗き込んだ。そこに映り込む『私』は私じゃなかった。
「あなたは誰?」
「『私』は私だよ」
『私』は微笑んでいる。その微笑みは幸せそうにも寂しそうにも見えた。
ぴちょん……
「え、なんで泣いてんだろう」
知らぬ間にあふれ出た涙が頬を伝って水たまりに落ちて、『私』の顔が歪んだ。
涙が作った小さな波紋で揺れる『私』を踏みつけて私は一人きりで
角を曲がる。
<完>
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