見出し画像

クモが出た

ダンッ、ダンッ、ダンッ……バタッッッ!


「おにい!クモが出た!」


妹のアオが蹴躓きながら部屋に飛び込んできた。


「おにい!クモだって!クーモー!」

「うるさいな!聞こえてるよ」

「クモだよ!クモ!」

「そんなわけないだろ。これまで1度もクモが出たことないじゃないか」

「それが出たんだって!だから慌ててんの!」


僕はちょっとアオに向けた目を机の上に戻して、壊れたケータイの修理に戻った。


「もういい!おにいのバカ!」


アオは乱暴に扉を閉めて部屋を出ていった。そのせいで錆びた蝶番のネジが飛んだ。


「あいつ……」


僕は机の上のペン立てに刺さってるドライバーを1本持って傾いた扉をまっすぐに直した。



僕は朝から晩までこの2階の部屋で使えもしないケータイを直している。

割れた窓ガラスの隙間から乾いた風が吹き込んでくる。机の上の黄ばんだ書類の山の1枚を靡かせる。

風の中に砂が混じっていたのか、少し汗ばんだ手の甲が少しざらつく。


「暑いな」

3年前に直した天井のセンプウキのスイッチを入れた。


ギャチャンッ……ギャリ、ギャリギャリギャリ……

変な音を立てて羽根が回り始めた。


篭った空気が巡り始めて少し気持ち悪さが無くなった。




扉の向こう、階段の下からアオの声がした。


「おにいー!ご飯食べるー?」

「今行く」

ケータイに夢中で時間が経っていることに気づかなかった。



「ケータイ、直りそう?」

「さぁ。何しろ正解がわからないからね」

「何に使うのかな?」

「『ケータイ』ってのはどうやら『持ち歩く』って意味らしいな」

「持ち歩いて……どうするの」

アオが箸をくわえたまま、首を傾げた。


「さぁ、皆目見当もつかない」

「あんな使い道のわからないちっさい物直すくらいならちょっと行ったところに置いてるアレ直してよ」

「無理だよ。わからないことが多すぎる」

「あっちの方が使えそうだよ。ほら、あんだけ大きいんだもん、勝手に進むんじゃない?」

「馬鹿なこと言うなよ。あれはたくさんのものを乗っけて、押すか引くんだ。下についてた丸いヤツのお陰で軽々だったろ?」

「全然重いよ。それに前に載ってたあの大きい機械は何って言うのさ」

「わかんないね。隣町の屋敷の本にも書いてなかったよ」

「ふーん……」

アオが意味ありげにニヤッ、と笑った。アオがこの顔をするのは僕の知らないことを知った時だ。


「なんだよ。なにかあるならはっきり言えよ」

「認める?」

「何を」

「ま・け・を」

「…………あぁ、教えてくれないか」

「んー……いいでしょう。実はね……」

そう言ってアオは3ページくらいの少し大きめの本を出した。


「昨日、もう一度見に行って中を見てたんだ。そしたらこんなのが出てきて」

「なんだこれは……ダメだ。全然読めないよ」

「でもね、見てよこれ。これ走ってない!?」

「うん……走ってるみたいな絵だね」

「少し形は違うけど、そっくりでしょ!きっとあれも走るんだよ!」

アオは目をキラキラとさせてそう叫んだ。


「かもしれないけど、あんな小さなものが直せないのに直せるわけないよ」

「それはおにいの頑張りどころでしょ?」

結局、何言われてもアオのこの笑顔には弱いんだよな。


「わかった。ちょっとどうしようか、考えてみるよ」

「よろしくね、おにい。他はアオに任せて!」

「うん」



その夜。まぁ夜と言っても昔の人がそう呼んでたみたいだから呼んでみているけど、違いはわからない。

相変わらずケータイを直し続けるが、どこまで直してどうなれば正解なのか。ケータイの使い道がわからない以上、どうしようもない。


ガチャンッ……


突然、窓に強い風が当たった音に驚いて外を見た。すると空に薄黒い『なにか』が広がっていた。


「おいおいおい……まさか、これって」

僕は扉を乱暴に開けて部屋を飛び出した。蝶番の外れる音がしたが構っていられない。

階段を駆け下りて、アオのいる部屋に飛び込んだ。アオはソファで寝ていた。


「おい!アオ!起きろ!」

「……なに、おにい?」

「さっき、クモが出たって言ったよな!」

「うん、言ったよ。でももう無いでしょ、どうせ」

「それが違うんだよ!ちょっと来てくれ!」

僕はアオの手を引いて家を飛び出した。




かつて人がたくさんいたこの場所は砂に沈んだ。

見渡す限りの黄色いの大地にいつでも真っ青な空が乗っかっていて、その景色が変わることは無かった。



7年ほど前に初めて隣町の、と言っても町と呼べるような風景は残っていないが、屋敷に行った時にもう死んでしまったが僕ら以外の唯一の人間に出会った。

その爺さんは名前はなかったがたくさんのことを知っていた。おにいとアオという名前もその人に貰った。

僕はそこでかつての文明について学んだ。少し字が読めるようになったので4年ほど前からは自分で本を読んで勉強した。

それからはそこら中に落ちている過去の遺産らしきものを直しながら生活した。



初めて知った過去のものが『クモ』だった。

本当は白いふわふわしたものがこの青い空に浮かんでいたんだという。しかしこの世界にはない。

その『クモ』は大きくなると水を吐き出すらしい。

物知りな爺さんはこういっていた。


「もし水が降ってきたらこの世界は大きく変わるだろう。もし、黒い『クモ』が出たらその時だ」と。


爺さんが死んで2年になる。僕達は半ば諦めていた。



ところが今日





クモが出た。



〈完〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?