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音楽とわたし②-打楽器との出会い-

多趣味で飽き性なわたしことどいの人生で唯一、一貫して深く関心を持ち続けている音楽。

12月末まで毎週火曜日に更新する#週1note vol.5では、音楽を通して人生を振り返るエッセイを書いています。

前回までの記事はこちらから↓

↓ここから本編です!

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“中学生時代”のキーワード
・体育会系吹奏楽部
・ドラマーとしてのスタート
・バンプ、アジカン、ベボベ


体育会系吹奏楽部


前回書いたとおり、私の音楽人生のはじまりである幼少期において、兄からの影響はそれなりに大きかった。

兄は2つ年上で、わたしが中学に上がったとき、ちょうど中3だった。


小学生のときから、足の速い子にあこがれを抱いていて、中学生になったら絶対に陸上部に入ろうと思っていた。


ところがどっこい。

地元の公立中学で、市内で一番新しい学校だったにも関わらず、なんと陸上部がない。。
相撲部はあるのに
。どうゆうこと???


早々に夢を砕かれ、諦めからスタートした中学生活。それでも何かしらの運動部に入りたいなと思い、なんとなくキラキラした女子の多そうなバスケ部かバレー部に入りたいなと考えていた。

が…ここでもやはり兄の影響が及ぶ。

「バスケ部もバレー部もめっちゃガラ悪いからやめといた方がええんちゃう?」

この一言。
自分より2年もアドバンテージがあるのだから、当然重く響く。


そこからはもう思考停止で、吹奏楽部でサックスを吹いていた兄に唆されるまま、あれよあれよと体験入部を経て、正式に入部することとなった。

吹奏楽部入部に際して、どのパートになるかという大きな関門がある。
希望はある程度聞いてもらえるが、人数のバランスなどもあるため、各パートを回って体験し、それを顧問が見たうえで最終的には顧問の独断でパートが決まる仕組みだった。

もはや兄の忠実なしもべとなり果てていたわたし、この時の第一希望はサックス
その他の管楽器も一通り回って、木管楽器・金管楽器とも、(フルート以外は)それなりに音を鳴らすことができた。昔っから典型的な器用貧乏。


そうしてジャッジの時がやってくる。

「サックスは人気やし最悪無理やったとしても、トロンボーンあたりの管楽器がいいなぁ…」


そんな思いとは裏腹に、

宣告された所属パートはパーカッション(打楽器)だった。


なぜ、どいがパーカッションなのかは単純明快で、当時の顧問いわく「力が強そうだから」とのこと。

いや…思い当たる節はある。
中1当初から、体力測定の握力が両手とも30を超えていた


いやー
この時はそれなりに凹んだ気がするけど、決まってしまったもんはしゃーない、全力でがんばろう!と当初からスポ根っぷりを発揮していた。

入部して数か月は、ただ黙々とメトロノームとにらめっこしながらゴムパッドを叩き、課題をこなす日々。

ピアノはまったくはまらなかったわたしが、意地になってリズムを叩き続けていた。パートの先輩は皆優しかったし、スパルタ的な指導は一切なかったけれど、ひたすら自分との戦い。
期限までに課題をすべてクリアしなければ、楽器にすら触れさせてもらえず、コンクールへの出場が許されなかったのだ。

実は中学受験を経ていて、無理やり中学受験をすすめてきた親への反抗心からあえて手を抜き地元中学へ入学していた当時のわたし、わりと尖った生徒だったなと思う。同年齢の子たちとはあまりなじめず、休み時間はいきがって読書にふけっているような、クラスでも浮いた存在だった。

当時の自分には、勉強と音楽しかないと本気で思っていた。塾と部活が楽しくて楽しくて仕方がなかった時代。他のことにはあまり興味がなかったし、実際にそれ以外の記憶がほぼない。


そんなこんなで、晴れて1年目のコンクールの舞台に乗れることになり、見習いは卒業。部活全体ではこの時が黄金期で、コンクールでは小編成で念願の金賞を取ることができた。

パーカッションは色んな楽器ができるし、飽きない。これが大きかったと思う。
部活の方に集中しようと、ピアノを辞めたのもこの頃だった。

苦手な鍵盤打楽器(木琴とか鉄琴とか)も、死ぬほど特訓して早打ちや4音打ちができるようになった。
冬のコンサートでは念願のドラムデビューも果たした。

あっという間に3年生の先輩が引退し、学年が上がり。
部活全体ではマーチングコンテスト出場に向けて、本格的にマーチングにも取り組みはじめた。
1年生のときはB.D.(大太鼓)で御堂筋パレードを闊歩してたけど、2年生からはまさかのドラムメジャー(前で笛吹きながらバトンを振って指揮をとる人)に選ばれて、バトン回し・バトン投げに奮闘することに。
(脱線しまくりそうなので、この話はまた別の機会に)

重い楽器(もちろん楽器によるけど)を抱えて演奏しながら、決められた姿勢や角度を保って動くマーチング、想像以上に体力を使う。
自分がパートリーダーになってから、日々のパート練習は走り込み&筋トレからスタートしていた。
「とりあえず体操服着替えて外周2周ね~」
そんな吹奏楽部。
パートの子たちもちゃんとついてきてくれていたけど、実際どう思われていたのかは謎。

誰に求められたわけでもないのに、自然とそうなっていた。
今でも時々「どいちゃんって体育会系?」って聞かれる。わりとよく聞かれる。うーん。そうなのかな~笑

高校生になっても吹奏楽は続けたけど、人も環境もまったく違ったので、この時ほどひたむきに音楽に打ち込んだ時期はない。
いや、音楽に、というか部活に、かな。部長とかではなかったけれど、みんなの前で指揮をとることも多かったからか、部全体のマネジメントにもそれなりに気を遣っていたと思う。

コンクールとかコンテストの類の、目に見えた目標があったからこそかもしれない。それは形骸的なものではあるけれど、その目標に向かってとことん突っ走れるのが良かった。結果、自分たちで満足できる演奏になればよし。

吹奏楽部でよかった。ザ・青春!


ドラマーとしてのスタート


スタートは確かに部活だったけれども。
どうしても部活とは線引きしたい何かがあった。

多感な時期、家族からの影響はできるだけ避けたいもので
塾や部活、(少なかったけれど)クラスの友達など
同年代からの影響をもろに受けるようになる。

あと、携帯電話を持ち始めて
リアル以外にも(モバゲーとか)交友関係ができ始めたのがこの時期。

おすすめされたアーティストや曲は、
CDを借りたりして聴きかじっていた。
アーティストやバンドを意識して聴くようになったのもこの時期から。

中学に上がって、自分も周りもそんな感じだったので
吹奏楽部で“ドラムが叩ける”ことは、ひとつのアイデンティティとなっていた。
部活以外の友達はかっこいいとひたすらほめてくれたし、なんだか女子にモテた。有頂天である。

元来、わたしはかっこつけなのだ。否定しない。
何なら今もそうで、かっこいい自分をひたすらに追い求めている感じ。

こうなってくると思考はもう「バンドやりたい」
これしかないでしょ?

実際にやったのは、バンドと言えるかどうかの代物だったけれど
文化祭か何かで、ピアノとギターと歌で合わせたような。

あと合唱コンクールでは、クラスの発表でここぞとばかりにドラム伴奏をしていた。トップの画像は卒アルから引っ張ってきたやつ。この時演奏したのがウルフルズのバンザイ~好きでよかった~。
先生ウケを狙ってか、最新曲よりも少し古い曲を歌うのがトレンドだった。

他にも、自分でバンドスコアを買ったりして
音楽室のドラムで、隙を見てフレーズを練習したりもした。

いかんせん前述のとおりのひねくれ者で、そんなキラキラした人種では到底なかったから、がっつりバンドを組んでやるほどの人脈や人望はない。

それでも練習して、学校では誰よりもうまく叩ける自信があった。

…なんとも陳腐でありがちなやつだけど、それくらいドラムが好きだったし、高校に入ったらもっと本格的にやりたいなと思った。


バンプ、アジカン、ベボベ


当時一番よく聴いていて影響を受けまくっていた、わが青春の3大バンド。

本当はひとくくりにしちゃうのはあまりにもアレなんですが。一番世代というか、層がわかりやすいよねって思ったので。

BUMP OF CHICKENは、藤くんの書く歌のすべてが好きだった。4人のメンバーが好きだった。
CDを買って聴くだけでは満足できずに、インタビュー記事やメンバーの近影が見られる写真を求めて、B-PASSとかJAPANとかの音楽雑誌を買うようになったのもこの頃。
中学の卒業式で卒業生が歌う合唱の選曲は投票制で、わたしは自分のエゴで何が何でもfire signが歌いたかった。なんとか周りに普及しようとするも、あえなく失敗に終わる。やはり絶望的に人望がなかった。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONはこれまでの音楽観を覆すような曲のセンス、語感の良さと抒情を兼ね揃えた歌詞がお気に入りだった。
後々、大学時代に死ぬほどバンドでコピーすることになるんだけど、当時ドラムは一生真似できないなと思っていた。

BaseBallBearは中3の終わり頃に出会った。まだデビュー前のバンドだったけれど、音楽雑誌で見て気になったのでAmazonか何かでポチった記憶がある(この頃からそんなことできたのね)。
バンドBについてという伝説のアルバム(後に完全版としてリメイクされている)、初めて聴いたときは本当にぶったまげた。何だこれは。聴けば聴くほどどっぷりはまっていった。

アジカンで言えばリライトとか、アニメやドラマのタイアップ曲はみんな聴いてる。それはそれで名曲なんだけど、ちゃんとこのバンドが好きでCD買ってて、カップリングやアルバム曲もめちゃめちゃかっこいいねんで!って言いたかった。
自分だけが知っているみたいな特別感。
こんな曲や詞があるんだ、という発見。

そんな思いにさせてくれる曲を作ってくれるバンドはとにかく素敵であこがれだった。家庭環境もあまり良くなく、憂鬱なことがたくさんあった時期で、音楽に救われた側面は大きい。


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既に5000字に達しそうなので、中学時代はこのくらいで。


長い、長すぎる。
これでもかなりのエピソードを端折っている。

なめてた。

正直言って、音楽とわたし、というテーマで書き始めた自分を呪いたいくらいに骨が折れる。今わたし繁忙期デスヨ?


書ききれるのか、果たして。

次は高校生編。
#週1note vol.5も折り返しです!


では。


↓全メンバーのnoteはこちらから。
やめられないとまらない、素敵な記事がいっぱいです。


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