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『人生の隙間に見つけた "道なき未知"』 Hiroto Kawaguchi

留学支援、就職支援があるなら、休学支援があってもいいじゃないか。
そんな想いから、様々な休学の形を伝える『ギャップイヤーBrothers』のnote。


休学ライフは百人百色。留学しても、働いても、何もしなくたってもいい。
どんな時間の使い方をしてもいいのが休学。
このnoteで様々な休学ライフを伝えることによって、皆さんの選択肢が1つ増え、休学へのハードルを取っ払うことができたなら、僕たちの活動にとっての本望だ。

今回の記事は『人生の隙間に見つけた "道なき未知"』Hiroto Kawaguchiというテーマ。僕たちは、学生期間が終わる前にギャップイヤーBrothers、それぞれのギャップイヤーライフを振り返ることにした。これまで、様々なギャップイヤーライフを届けてきた僕たちが、この活動に至るきっかけとなったそれぞれのギャップイヤーライフを当記事にて届けようと思う。

"ヒロトってほんま人生楽しそうやんな。ハルキって楽しそうにしてるよな。あ、そういえば2人とも休学して、自分に素直な人生進んでたな。じゃあ、休学っていう選択肢もありなのかな。"
あくまで休学は選択肢。その上で、自分に素直な選択を一助できる文章を書き上げました。

ぜひ、ギャップイヤーを通じて自分で敷いたレールを歩み出したHiroto kawaguchiのギャップイヤーライフ、最後までお読みください!

はじめに

今回の記事は、ギャップイヤーBrothersの2人が大学を卒業する前に伝えておきたいことを綴った記事だ。これまで行ってきた計9回のインタビューと同様に、インタビュー形式でそれぞれのギャップイヤーライフをお届けする。

この記事を読んでくださるにあたり、まず、最初に伝えておきたいことがある。それは、休学やギャップイヤーはあくまで1つの選択肢であるということ。僕たちが選んだ道が、偶然「ギャップイヤー」であっただけで、皆さんにとっては他の道があるかも知れない。

だが、これまでは選択肢にはなかった道「ギャップイヤー」について知ってもらう事で、自分の辿り着きたい目的地へ近づくことが出来るかも知れないというのも事実だ。
僕たちの記事では、偶然「ギャップイヤー」という未知の道へと足を踏み入れ、踠きながらも自分たちの目的地に少し近づいた人たちを紹介している。もちろん、ギャップイヤーの最中に目的地を見つけたという人もいる。
だから、ぜひこのインタビュー記事を読んでいる最中は不安を捨てて、希望とワクワクを持っていてほしい。

今回、自分たちの記事を書くことは、正直にいうと、楽しんでますよ自慢、もしくは、休学の正当化と思われるのではないかという不安もある。
だが、自分たちが経験した、とことん自分を素直にしてくれた「ギャップイヤー」という道を、自分たちだけの経験に留めておくにはあまりにも勿体ない。
決して、ギャップイヤーがネガティブな選択肢ではないこと、決して難しい選択肢ではないことを伝えたい。
そして、必要だと感じた人がいるならば、その人たちの背中をドーンッ!と一押ししてあげられる文章を書きたい。

僕たちは、この記事を通じて1人でも多くの人に「少し今まで頭になかった選択肢」を届けられたら幸いだ。しいては、自分と向き合い、本当に素直な想いの実現に寄与出来たならば、それほど嬉しいことはない。

5年後、10年後の自分に「この時の決断は正解やった」と思わせてあげるために、これからも頑張らなあかんと思ってる。それが、休学を選択するか迷っている人の大きな勇気につながるはず。で、それを証明するには何が必要やねんって言うと、人生をクッソほど楽しんでる姿を見せることやと思うねやんか。
Hiroto Kawaguchi

1. Who is Hiroto Kawaguchi

高倉:じゃあ、一旦学生期間が終わる前に、節目ということで。
2人のインタビューを始めてこうか!今回は対話形式で、ダイアログとしてこの記事を作れたなと思います。と言うことでまず、簡単に自己紹介から!

(と言いながら、簡単な自己紹介は画像で割愛しちゃいます。)

川口:ある程度の自己紹介は省いてと(笑)
画像にもある通り、小中高、それから大学と野球を続けてきました。
でも野球を今続けているかと言うとそうではなく、高校までの充実感が大学では得れんくなった時に、俺は果たしてこのままでいいのかと。

ちょうどこの問いを持ち始めた時に、周囲の高校時代の友人たちは海外に行ってて。
俺もあいつらみたいにカッコいい事したいなと思った結果、2年生でタイに。このタイ旅行をきっかけに、様々な外国諸国に行くような生活になった感じかな。

それから、海外に行っている中で俺もっと勉強したいってなって思うようになって(笑)で、その時ちょうどゼミもあって。1番勉強したいっていうモチベーションのままにめっちゃ勉強した。

そんな中で迎えた就活期やったから、正直就活っていうモチベーションが全くなくて。今したいことは、イヤイヤする就活じゃなくて、勉強とか海外での経験。今、自分が1番したいことをしたい!っていうモチベーションやったから、休学を決断したと。
ただ実際は、コロナで海外に行くことは叶わず。それでも、1年間の休学中には色々な出会いのもと、色々な事に取り組めた。この辺は後ほど(笑)

で、休学を終えてからは、いろいろな事情で就活をすることとなり、春からは不動産で働きますって感じですかね!

高倉:改めて聞く自己紹介おもろいな(笑)

川口:知ってるっちゅうねんな(笑)

タイムライン
中学3年:「野球」を続けるきっかけとなった先生との出会い

大学1年:ひたすら野球に打ち込む1年間。しかし、自分の目線が高校生の頃から変わっていないことに不安を覚える。

大学2年:夏休みのタイ旅行がきっかけで、海外に魅了される。海外に興味がないという自分への偏見が覆される。

大学3年:春休みには、友人のいるドイツを中心としたヨーロッパ旅行に。夏休みにはカナダにワークアウェイをするも、予定よりも早く帰国する。秋にはゼミ旅行で高校生以来の台湾に。

休学:海外に行くという目標は叶わず。しかし、偶然の出会いから、大人たちと社会福祉事業の立ち上げに取り組む。

大学4年:人生で1番勉強に励んだ時期。卒業論文研究、会社で必要な資格勉強、読書などを重ねる。その結果、学部で最優秀卒業論文として表彰される。

2. 中学3年生

(左下が恩師、右上が川口)

川口:よーっし。大学入る前にあった1番のターニングポイント「中学3年生の時の顧問との出会い」から!
中学3年間、ずっと野球を続けて来たんやけど、うちの野球部は毎年顧問が変わってたのね。1年2年と顧問と全然相性が良くなかった。それもあって、この2年間は憤りがあって野球してたのね(笑)

2年生前半の時には、溜まってた感情が爆発して「もう野球はいいや。」と思った時期もあってんけど、少し我慢した先で出会った中3の時の顧問が野球にすごい情熱を持ってる人で。
初めて、自分の野球への感情をぶつけれる人が来てくれた!って興奮した(笑)

期間こそ、引退までの数ヶ月間だけやったけど、中学野球で1番充実した時間を過ごせた。
もし、この出会いがなかったら、野球も続けてなかったし、夕陽丘(通っていた高校)にも行ってなかった。だから、中学3年生で俺の野球への情熱を受け止めてくれる先生と出会えたってのが1番大きかった。

(高校野球時代)

高倉 :その後、野球を続けていたかどうかっていうターニングポイントやったんか。もし、ヒロトがその先生に会ってなかったら、ここ2人も会ってなかったな(笑)

川口:そう(笑)野球続けてるかどうかって意味でのターニングポイント。野球してるかしてないかが、俺の人生では大きなポイントやから、多分その先生と出会ってなかったら、今ここにはおらんくて。

この出会いがある意味、自分のスタート地点になったんやと思う。

3. 大学1年生

理想と現実の矛盾 野球編

(大学の野球時代)

川口:まあ、そのままの流れで、高校では野球部も含め充実させてもらって(笑)
大学での部活・サークル探しの時には、遊びの野球はなんか違うよな〜って思っていた中で、関西大学人間健康学部の準硬式野球サークル、まあ、学校公認の準体育会みたいな部活があって。

そこが、程よくサークル感もありつつ、ちゃんとリーグには所属してるって感じ。
そんな部活があったから、人間健康学部に行きたいって思った節もあってんけど、自分の理想に近かったその部活に入ることにした。

1年の時は、無事入れた人間健康学部で、ひたすら野球に打ち込む1年間。感覚的には、高校の延長線上みたいな1年やったかな
技術的には周囲と比べても敵わん部分もあった一方で、練習態度と情熱を見てくれた先輩が1年生の時から試合に出してくれて。1年の時は、高いモチベーションで野球に没頭できた。

川口:それから、月日が経って先輩たちが引退して代が変わりましたと。
この準硬式野球部は、監督が居ない分、選手の代が変われば一気に方針もグッと変わるんよ。
「楽しい野球をしながら勝つみたいな野球」から、初めてサークルでありながら全国大会に行った代の先輩たちが抜けて、「勝ちを目指しつつも楽しむ野球」に変わってん。

中々、勝てない野球が続いた上での変更やったかな。気づけば、試合のメンバーも固定されて、試合に出られへん状態。
徐々に練習試合とかに行くモチベーションが下がってきてたのね。今まではずっと試合に出れてた環境から、一気に出れない環境になって、初めての挫折を感じたんよ。
それと同時に、1年生の終わり頃には、チームの方針に合わない自分は「ここではしたい野球はできないかもな」って思い始めた。

大学1年生 野球編
先輩の引退とともに、環境がガラリと変わる。
→初めての挫折を味わう。

4. 大学2年生

小室先生との出会い

(ゼミ旅行@台湾:左が小室先生で、右が川口)

川口:2年生になって、まず1年時と違ったのが野球以外の情熱を注げる場所を探し初めてたところ。具体的に行動として変わったのが、2年生の履修。まず、2年生になったら自分で選択できる授業が増えるねやんか。で、これまでは、同じサークルの子らと授業とるのが普通やってんけど、自分が取りたい授業とってみようと思って。そこでちょっと福祉の授業を取り始めたのと、偶然取った授業で小室先生と出会えた。

高倉:ここで気持ちの変化が行動に移り始めたんか!

川口気持ちが変わって、具体的に行動も変えたときに、飛び込んでくるものも変わってきたんよ。
そこで、実際に小室先生との出会いもあったわけやんか(笑)

小室先生の授業で印象的だったこと

川口:小室先生の授業で、自由ってすごい難しいよねっていう話があって
「自分で道を決めないと、誰かの真似をしてるだけじゃ自由じゃないよね。自分で選び取れる力があって、初めて自由って言えるよね。」って。

そんな話を聞いた時に、何ゆうてるんやこの先生って思って(笑)

小室先生の最初の授業では、1枚の白紙を渡され、縦・横・斜どんな方法でもいいからルールに囚われずに感想を書くというワークがあったそう。枠を設けずに、自分で考える力を養うスタイル。

川口:でも同時に、自分の心にズシンとくる何かがあって。
人が敷いたレールを歩いていくのか、自分でレールを敷いて歩いていくのか
そこで、今までは人が敷いたレール歩いてきてたけど、ちゃんと自分で道を作って歩いて行かなあかんなって感じて。それもあって海外行ってみようって思ったんやと思う。

高倉 :自分でレールを敷く。

川口:そう、この「自分でレールを敷く。」っていうフレーズは今でも覚えてるから。人の真似してるのは自分でレールを作ってるようで、他人が敷いたレール歩いてるだけじゃないかって(笑)

海外への偏見が無くなったタイ旅行

(アユタヤの寺院にて@タイ)

高倉:で、夏休みには2泊3日のタイ旅行に。

川口:今までは、修学旅行で行った台湾が唯一の海外経験やって、そんなに海外には興味なかってん。今まで英語なんかめっちゃ嫌いやって。

ずっと、「なんで英語なんか勉強しなあかんねん!海外で働くわけでもないのに!」って言っててん(笑)でも、そんな考えを打ち破って、海外も楽しいぞって思わせてくれたのが2年生のタイ旅行やった。

高倉:なんで、2年生っていうタイミングでタイに行こうと思ったん?

川口:やっぱり、野球サークルの環境が大きかったかな。先輩が引退した後に自分の中でギャップが生まれてたから。

やっぱり、野球以外になんかしたいな、居場所見つけたいなと思いながらの2年生やったんよな。

高倉:心のギャップがあって、1年とは違う心意気やったんか。

川口:そうやな。それと同時に、周りの友人の目線とのズレも感じてたな。
周りの友達が海外の話をしてる中で、自分だけ高校の延長線のままで話をしてる気がして、自分のレベルが高校生のままで止まってるんじゃないかと思えて(笑)
自分の学部らしさ(体育会気質)に誇りを感じてた一方で、周りの話を聞いてる中で「自分の目線の変わらなさ」にも気づき始めてた。

そんな中で「あれ?気づいたら1年生が終わった。ヤバいぞ。。。」っていう。このまま野球だけしてたら、周囲との目線のズレとか、ずっとモヤモヤを残したまま時間だけが過ぎていく。

で、気づくんよ

「俺、脳筋なってないか?って(笑)」

脳筋とは、いわゆる体育会系の肉体派で、思考が単純・バカ、といった性格の者を評して言う語。 「脳みそまで筋肉」の略。
copyright @脳筋ヒロト

川口:で、その脳筋モードを変えてくれたのが当時の彼女との別れやったんかなって気がしてて(笑)脳筋モードやから、昔の侍みたいに頑固な考え方やってさ。
自分がいいと思ったことを頑固に続けてきたけど、恋愛面も野球も学校面でも全部裏目に出てた。
でも、ここでの別れがきっかけで「不器用やけど頑張ってる俺、すごいでしょ!」っていうだけではあかんねんなって気付かされたかな。
もちろん、恋愛だけじゃなくね(笑)

高倉:なんで、行き先はタイに決めたん?

川口:Youtubeで観てたジョーブログの動画に影響を受けてんけどさ。タイのカオサン通りで「10,000円使い切らないと帰れまテン」みたいな企画をしてる動画を見て、「何これ?!海外ってこんなんなん!」ってなって(笑)
値切る文化も面白いし、英語を使えずとも身振り手振りだけでちゃんと意味が伝わってるのを見て、これめっちゃ面白そうや!って思って、タイに決めた!

で、実際にドンムアン空港に着いて衝撃やったんが、タイ語が本当に読めない聞けない。空港出てすぐにタクシーを捕まえて、どうにかこうにか「アユタヤに行きたい」って伝えれたんやけど。
そのタクシーの中では、正直ワクワクよりも「あれホンマに俺、最後日本に帰れるんかな?」って不安が強かったな(笑)
めっちゃ不安やったことを覚えてる(笑)

(タイのタクシー、トゥクトゥク@タイ)

川口:でも、いざ踏み出してみると、日本語を話せる人に出会ったり、英語がカタコトでも通じたりとか。
このタイ旅行で、「意外と一歩踏み出してみたらなんとかなるやん!」っていうのをひしひしと感じて。
ジョーブログの中で見てた景色を実際に見たり、動画には載ってない街の景色を見てる中で、これが海外の面白さなんかって気づいた。

「当たり前」をぶっ壊してくれたのもタイ旅行やったかな
タイ語が分からなくても生きていける。

高倉:なるほど、ジョーブログか(笑)
で、実際にタイに行って、当たり前と不安への気持ちが変化したわけか。何とかなる精神、大事やな。

大学2年生
春:小室先生との出会い
履修科目や海外旅行など、行動を変える。
現在の自分を築く出会いや新しい気づき
夏:タイ旅行:自分の目でしたいことを経験(自分でレールを敷いた)
秋〜冬:自分の考えを熟成する期間

5. 大学3年生

春休み、悔しさと憧れを与えてくれたヨーロッパ旅行

(世界一綺麗な広場、グランプラス@ベルギー)

川口:3年生になりたてのこの頃はまだ野球は続けてる状態。
でも、海外に行くお金を貯めるために野球よりもバイトに注力してた時期。野球第一やった1年生とは、優先順位がだいぶ変わりつつあった。

で、この春休みにヨーロッパ旅行に行くねんけど。「この長期休みはどこ行こう?」って考えてた時に、高校の友人がドイツに留学してたことを思い出して(笑)
行き先をヨーロッパにしたのはそんな些細な理由やな(笑)
やから、メインとしては「海外に行くぞ」っていう気持ちがあって、偶然行き先がヨーロッパやったって感じ。

高倉:なるほどね。どこの国を周った??

川口:えーっと、ドイツ・オランダ・ベルギーやな。この3カ国を10日間で回ったから、、結構詰め詰めのスケジュールやったな。
これは、旅っていうよりかは、旅行に近かったと思う。

(オランダの風車村にて@オランダ)

高倉:タイに行った時は、「海外旅行への偏見がなくなる」っていう変化があった訳やんか、今回ヨーロッパ行った時にも何か変化はあった?

川口:やっぱり英語かな。
1人英語を話せる友人がおったから、その子に任しといたらなんとかなるって感じやってんけど、確かに楽な一方でどっか歯痒さもあって。
これ、自分で話せるようなったらもっと楽しいんやろなって。

ゲストハウスにもアジアの学生、確か香港の子とかがおったんかな。でもあんまり話せずやってさ。
修学旅行で、台湾の高校生が英語めっちゃ話せてたのを見た時と同じ感覚(笑)

それから、やっぱり教会とか見たことないものを見たからこそ、世界ってこんな広いんやって改めて思えた経験でもあったかな。

悔しさと世界への憧れを与えてくれた旅行。

(アントワープ@ベルギー)

あとは、トルコに行った(2022.3月)時と違ったのは、トルコではいろんな人と写真を撮ったり友達になったりってイベントが沢山あったけど、このヨーロッパ旅行では、友人がパッケージしてくれた観光ツアーやったから、色んな人と友達なるとかはなくて。

今考えると、その時も出会いはあったはずやのに、旅行に出かけた友人同士で楽しむみたいな旅行になってしまってたなってのはあったかな

ヨーロッパは確かに楽しかったけど、もっと楽しみ方はあったよねっていう。

高倉:そういう意味でも「旅」じゃなくて「旅行」やったわけね!それと、向上心を与えてくれた経験と。

川口「世界をもっと見たい」っていうプラスの向上心、それから「英語を勉強しなあかん」っていうマイナスから湧き出る向上心が芽生えた旅行やったかな。
その時は、ただただ楽しかったでよかったんやけど、もっとできたなって思った。

川口:で、日本に帰ってきてから新学期で、2年生の時に出会った小室先生のゼミが始まるわけですよね。
野球部での葛藤が深まってきてた中で、次の居場所となる場所が見つかったんよ。変なやつ多いけど、みんな色んな考え持ってて、面白い話し合いができる(笑)

そんな感じで、ゼミの中で知らないことをどんどん知っていって、「勉強は楽しい!!」って思わせてくれたのが小室ゼミやった。
野球は、夏前の春リーグで引退。
最後の試合でサヨナラ打を決めて、最高の締め方で終われたから、もう野球に対して未練はないって思った(笑)

(大学野球最後の打席のサヨナラ打)

休学という言葉を知った時期

高倉:そういや、休学ってワードが頭に浮かび始めたのはいつ??

川口:休学ってワードがチラつき始めたのは、2回生の授業やねん。小室先生の授業でナルさん(第3回のインタビュー記事)の話が出てきたのね。

焼肉食いながら、就職企業を決めてきた話とか、「川流れの生き方」とか(笑)休学ってコンテンツを使って、授業を展開してくれてたから、ギャップイヤーとか休学に対する知識は2年生の時から、すでにあったって感じかな。

夏休み、人生初のひとり旅 in カナダ

(シアトル@アメリカ)

川口:春はヨーロッパに行ったし、次の長期休暇、夏休みはどこ行こっかな〜って考えてて。
英語が必要とは思ってたから、俺も留学してみるのが良いかなと。
それと、前回ヨーロッパが10日間やったから、もう少し長い期間にしたら何か変わるんじゃないかな、っていう。

でも、やっぱり語学学校に行く資金はそんなすぐに用意できなくて、何とかお金をかけずに海外に行く方法を探してた時に見つけたのがワークアウェイ

「これで何とかなる!」って思った。

滞在先は英語圏の中から選ぶつもりで、アメリカ?オーストラリア?ニュージーランド?カナダ?って悩んでた中、時期と気候的に暖かいカナダを見始めた。オーストラリアとか南半球やから、寒いやんか(笑)それで、カナダ良い!ってことでカナダに行くことに決めた。

で、約1ヶ月の人生初ひとり旅。

カナダでの目的
・英語を学ぶ
・前回より長い期間の滞在を通じて、旅行とは違う海外生活を知る

川口:トランジットがシアトルやったから、折角やしシアトルも周りたいなと思って。
シアトルに5日間、その後バンクーバーのダウンタウンにも5日間くらい滞在して、ホームステイ先には3週間くらい滞在する予定やってん。

でも、結果的にはホームステイ先には10日くらいしか滞在せずで日本に帰ってきた。わざわざ、新しい飛行機チケット取り直してまで(笑)

(葛藤の中で唯一の癒しの犬の散歩のとき@カナダ)

高倉:元々買ってたチケットをキャンセルしたってこと?中々、思い詰めるところがあったんやな(笑)

川口:そう、お金は払ってたけど、それでも帰りたいってなって。
理由としては、まずシアトルとバンクーバーのダウンタウンで過ごしたゲストハウス生活の楽しさとワークアウェイ生活のギャップが大きかったこと。シアトルでの期間がめっっっちゃ楽しくってさ。

この時は、まずシアトルの友達に案内してもらうって感じで。
その後友達と別れてからも、まだシアトルでフリーの時間があったからひとり旅をしてたら、アジア人のグループと仲良くなってそのまま一緒に遊ぶとかさ。計画してない偶然を拾う楽しさを覚えたのはこの辺やと思うねん

また、ひとり旅ってのが良かったんやと思う。
やっぱり、自分が必然的に英語を喋らなあかん機会も増えるし、英語が上達した実感があった。

(シアトルでできた友達@アメリカ)

川口:でもやっぱり、バンクーバーのゲストハウスでも1回英語の壁が来て(笑)
最初ノリで喋ってるけど、話が盛り上がるにつれて、聞けるのに言いたいことを英語にするスピードが追いつかんくって。

で、それがきっかけでちょっと人との会話を避けるようになるみたいな。そのゲストハウス主催のツアーとかも参加してみたけど、1人が良いやってなってしまう(笑)

(ゲストハウスにてビールを貰う川口@カナダ)

川口:でも、「折角、カナダまで来てるんやから楽しまなあかん」と思って、気持ちを切り替えてのワークアウェイやってんけど、これが想像とは全く違うかってん。

ワークアウェイって、無料でご飯と宿を用意してあげる代わりに、何か仕事を手伝ってねって制度でさ。俺の中では、平日は仕事して、週末は家族たちと遊んでっていう、いわゆるホームステイみたいな日々を想像してて(笑)
でも、そのホストの人は結構良くも悪くもドライな人やって。俺らはツアーガイドじゃないから、この家を利用する時は今みたいに仕事してもらって、仕事ない日は自分で遊びに行って良いよって言われて。
拠点だけあげるみたいな(笑)

川口:でも、このホームステイ先に来るまでに十分遊び尽くしてきたからもっと遊びたいって感じでもなく、急にカナダの田舎にポツーンて1人ぼっちになったんよね(笑)

最初の5日間は家の仕事を手伝って、これがワークアウェイか!って感じやってんけど、結構1日中フル労働やねんか。
朝9時くらいから昼2時までは薪割りしたり、ファミリーのお父さんが自営業でしてた石膏の仕事の手伝いやったりとかしててんけど、なんか「これって派遣バイトと変わらんやんな…」と思い出して(笑)
で、そこのお父さんに「家の奴隷じゃないねんから、もっと楽しめよ!!」って言われてんけど、俺的にはもうすでに楽しんで来ちゃってんな、、みたいな。

川口:しかも、カナダの田舎って車がないと何もできひんねやんか。国際免許も取ってきてないし、バスもそんなに通ってないような所やったからさ、「どうしろっちゅうんやああ」みたいな(笑)

で、ある日「今日は砂浜散歩したいから、ここで降ろしてください。」って言って、砂浜をポケポケと歩きながら、自分についてとかこの旅を振り返ってたのね。
シアトルとかバンクーバーのダウンタウンって楽しかったけど、「俺はそもそも何しに来たんやろう。」ってなって。
英語を話したいと思ってカナダに来たけど、そもそも英語を話せるようになって何がしたいんやろうとかさ(笑)

最終的には、やっぱり知らないことを知る「旅」が楽しいんやなってことに気がついて。
色んな人と出会って、色んな人と繋がって、「当たり前」をぶっ壊していくあの感覚が好きなんやって。

で、俺は今ここにいてても楽しくないやって思って、もう早く帰ろうってことを決意してん。
確かに、あのファミリーのところにいたら英語の上達はできるっちゃできると思うねんけど、そのモチベーションは完全に無くなってた。

でも正直、そこでの判断が正しかったのかは今でもわからんくて(笑)
時々、残った方が良かったんかなとかも思ったりはするけど、今は今で納得してる。
ただ、英語を勉強することが好きなんじゃなくて、知らないことを知れる旅をするのが好きなんやなって気づけたのは大きかった。

Vancouver編
新たな自分との出会い
自分は、未知と触れ合い、当たり前をぶっ壊すような旅が好き

「旅」の定義 台湾旅行

(台湾ゼミ旅行)

川口:で、ゼミ旅行の台湾があって。
ここで自分の中の旅したい欲が満たされるわけよな。「自分で目的意識を持つ」っていう、旅の方法をがちっと固めてくれたのが台湾で。

高倉:ヒロト的に言う「旅」って言うのは、ワークアウェイで海外に滞在してた状態とは何が違うん?

川口:なんか、ここ行きたいって言うある程度の目的地は決めるけど、どんどんその予定が変わっていく楽しさ?
現地の人と出会って、ここ良いよって教えてもらってそこに行ったりとか、ここ連れて行ってあげようか、一緒に行こうよって。
予定とは違うハプニングを乗りこなす楽しさがあって
その仲良くなった人がまた人を繋いでくれて、
「これこそ旅、たのし〜〜」って言う感じ(笑)
旅先で出会った日本人であっても、予定外の何かが入り込んでくるのが楽しいんやろな。

旅と旅行の違い
旅行とは違い、旅とは予定外の何かが入り込んでくるもの。予定とは違うハプニングを乗りこなす楽しさを含んだもの。

ツールとしての英語

川口:まあ直近でトルコに行ったわけやけど、この時も「旅」の要素はあった一方で、実際やっぱり英語の壁を改めて感じさせられて。
台湾から2ヶ月あったけど、旅だけで良いやって思ってた自分がおって。
今回、旅をもっと良い旅をするツールが英語なんやろうなって、改めて気づけた。

やっぱり、シアトルとかバンクーバーにおった時は、自分である程度英語を話さないとあかん状態で、それなりにちゃんと自分も意思疎通できるくらいの英語は話せてたんやけど、トルコではやっぱりその感覚が鈍ってるのを感じたな。
でも、トルコ旅の途中でちょっとずつ英語に対する反応が早くなってたのも感じれたのは事実。

高倉:確かに、パキスタンの友達アルージュと普通に会話してたもんな(笑)

川口:もっと会話に入り込めたら、もっと良い旅ができるやろうなって。
やから、英語勉強しようって思ってます。はい(笑)

総じて、休学前の海外旅行で学べたのは、「予定外の楽しみを味わうってこと」と「予定に無いものを得れるのが旅って知れたこと」かな。
人生思うようにいかん事もあるけど、その中で自分がどういうふうに持っていくかが大事。

6. ギャップイヤーライフ

ギャップイヤー(休学)を選んだ理由

川口:やっぱり最初に出てきたのは、まだ就活したくないもっと学生したいってところ
卒業して社会人になってるビジョンが見えへんかってんな〜。

なぜ、そもそも無理やり社会人にならなあかんの?って疑問があったのに加えて、もっと勉強も旅行もしたかった。
総じてもっと学生したいって感じかな。

そもそも、旅し始めたのが大学2年生やったからスタートが遅くて(笑)
やっとアメリカ・台湾あたりで旅の楽しさを知り始めてた中で、1年ちゃんとギャップを設けて、もっと旅したいってのがギャップイヤーの適切な目的やったかな〜って思う。
あとは、シンプルに休学っていうモノ自体をしてみたかった。

高倉:休学とは実際のところなんぞやと。

川口:俺らにとって休学はマイノリティな選択肢で、取ったらヤバい奴みたいな雰囲気があったやん(笑)特に、俺はたった1学部しかない狭いキャンパスやったから余計に。
やから、自分がこの制度を経験して広めてみたら面白くね?ってのがあった。

高倉:じゃあ休学って選択肢は、急に出てきたってよりずっと積み重ねてきた上での選択肢やったわけね。

川口:そう、自分でもいつか取るやろうなって思いながら、学生生活してたな。

休学の理由
・もっと学生でいたい
・休学という未知の選択肢を経験したい
→これを、狭いコミュニティに過ぎない自分の所属するキャンパスに還元したい
(これをファーストペンギンと呼ぶんやろうな。。。)

高倉:特に周りからの反対もなかった?

川口:基本的にはなかったかな。
関大の休学費用が半年で60,000円やったから、それくらい自分で稼げるしと思ってたし。

でも、一方でオヤジはいわゆる昭和の頑固親父みたいな感じで、「俺来年から休学するで」っていうたら「は??休学してそんな就職どうすんねん、云々カンヌン…」って感じ。

俺としては、話合わんな〜みたいな(笑)

「なんで大学4年で卒業して、すぐ就職せなあかんの、それって当たり前なん?」みたいなんすぐ返してもうたもんな。
正直、親父の意見はあんまり気にしてなかったな。

休学中にしたいと思っていたこと

(みんな食堂のお手伝い)

川口:そもそも、就活したくないって理由の1つは「社会のことを知らなすぎる」ってトコやったから、身の回りの身近な大人との交流をしようと思ってたかな。

例えば、なんでその仕事してるかを聞いて、自分のための自己分析をしようと思ったかな。
すでに、授業でギャップイヤーを取り扱う大人とか、社会福祉関連で活動してる大人に出会ってて。だから、この人たちから少しでも社会のことを知ろうって。
いわゆる、OB訪問とかインターンとかそういう正攻法とは違うけど、自分に合ってると思ったやり方で社会を知ろうと思った。
自分の踏み出しやすい範囲内で、まずは少しずつ社会を知っていくっていうのが自分に合った自己分析につながると思って。

川口:もう1つのしたいことは、海外に行くこと

自分の卒論のテーマに「死」ってのがあったから、ポーランド(アウシュビッツ)とかカンボジア(キリングフィールド)は周りたかった。ついでに、カンボジア、ポーランドから行ってみたい周囲の国も周るっていうプランを立てた。
けど、結果としては、コロナ禍でもどうせ行けると思っていた海外渡航が叶わずでしたと(笑)
でも、海外に行くことは自分がやりたいことの方法としてのあくまで1つやったから、あまり焦りはなくって。

それはやっぱり、大きな景色を見せてくれそうな人との出会いがあったから。偶然にもその人が丁度プロジェクトを立ち上げるってことになって。じゃあ、この1年はそのプロジェクトに注力する年にしようかなと思った。

これが、休学を決めた直後。
海外にはいけずとも、他の道で学生として学べる場所を見つけたのが大きかったかな。
旅の話にもつながるけど、目的地に行くことだけが全てじゃなくて、プロセスにも意味があるわけやんか

これは仕事みたいに結果を求められることじゃなくて、自分の人生のことやったからさ。
予想だにしないところにたどり着くとしても、その道中を充実させることが大事なわけやんか。
やから、今は海外じゃなくてこれをしなさいって言われてるんやと思って、この福祉のプロジェクトをしっかりやっていこうってマインドになった。

実際にしていたこと & 休学での学び

(全てが始まったみんな食堂)

川口:社会福祉の事業に誘ってくれた人は、困った若者たちを夜の街で支援してる人。
それを仕組み化しようっていうのがプロジェクトの話。で、まずは衣食住の「住」の確保を目指して、困ったらいつでも行ける場所を作ることになった。

色んな福祉の制度があるから、そのチーム内のミーティングで出た情報や制度を、実際に市役所まで聞きに行って、持ち帰ってくるってのが俺の役割。
会議で出た議題について、役所の人にアポとって実際に足運んで「この制度について、こんな場面で使いたいのですが、、、」みたいな感じで聞く。

メンバーの1員として「何が自分にできるやろ?」って考えた結果、他の大人たちと比べて時間がある自分には、情報収集が適任やと思って。
勿論、勉強の一環で参加させてもらってたし、この泥くさい仕事は俺にしかできひんって自負してたから動いたろって(笑)
自分の役割を自分で見つけて動いてたって点が、学校では学べない学びやったかな。

その経験のおかげで、学生でありながら半社会人を経験できてん。大人たちから学べる社会経験がたくさんあった。例えば、見える視座、例えば、経済・不動産・社会制度・税金っていう大人なら必要な知識が、学生にとっても大切ということ。これは、学生の立場でいながら大人の社会に一緒にいれたから学べたことかな
大人の社会に出てみる中で、自分の無知さに改めて気付かされたんよな。

「あ、俺ってこれだけバイトとかで知識を磨いてきたつもりやったけれど、まだまだ足りへんねんな」っていう。どこ大学云々ではなく、全然自分「何者」でもないやんって気付かされたかな。

(夜の街の実情を知る勉強会に参加したときの写真@ホストクラブ)

川口:まとめると「知らないことを知る、それが知るということだみたいな孔子の言葉があってさ。
それを実際に体験して気づけたことが、休学での学びかな。

休学での学び「知らざるを知らずと為す是知るなり」
意味:知らない事は、知らないと自覚すること、これが本当の知るということである。
「論語」為政

川口:さっきの事業の話ね。
結果としては、うまく事業の仕組みづくりができんかってん。
それもあって、もっと勉強しなって思ったところではあるねんけどさ(笑)

伝えたかったのは、結果が出ずともその過程に学べることが一杯ある。結果よりも過程が大事ってこと。

結果は出てないから、いわゆる就活での受け答えとしては「不正解」になるんやろうけど。
でも、自分の中でそこに価値を感じられてるから、俺はそれでOKやと思う。

7. ギャップイヤーを終えて

嫌いだったはずの就活へ

(就活のビデオ面接)

高倉:就活したくないって理由もあって休学して、何がきっかけで就活を始めようと思った??

川口:休学を終えてどうする?ってなった時に、色んな選択肢があってん。
そのまま卒業して何かする、もう1年休学して海外行けるか様子見るとか。

でも、選択肢が色々あった中で、「お金の問題」が頭に浮かんで。
奨学金を背負った状態でもう1年何かするってことは、お金がマイナスになる一方よなっていう現実的な問題があったのが就活に向かった理由の1つ。

それから、周りの意見も聞いてく中で、「自分が休学も含めて色々培ってきた武器をもとに1回就活してみるのもいいんじゃないって言う考え」になって。
実は、休学中にお世話になってた建築会社があって、そこで働く選択肢もあったから、ある意味セーフティネットがあった上で、今しかできない・嫌いやった就活に、今しか持てない「新卒ブランド」を引っ提げて挑戦してみよっかなって
そう考えたら変に嫌う必要もないのかなって思えてきて、就活することにした。

①奨学金による金銭的な問題
②休学中に得た武器が、社会で通用するか試したいという気持ち

高倉:もし休学してなかったらどうなってたと思う?

川口:あんまりイメージは湧かんけど。。。
きちんとってか、納得した就職先には行けてないと思う。
海外行きたかったのにってなる。
そもそも、もっと海外に行きたい自分に気づいてたかすらわからんな。

学生としての変化

(4歳下の子たちと一緒に頑張った中国語)

川口:大人の社会に1回出てみて、学生の立場に帰ってきたってところね。
まず、4回生になって後輩の子達と授業を受けるようになって、授業とかを一緒に受ける人はおらんわけやんか。
でも良かったことは、シラバスを見るのが凄く楽しくなったってこと。

取らされる授業以外にも、こんな授業があったんか!って。

その他にも、色々な本も読んだし、卒論の勉強、それから就職後に必要な資格の勉強もした。
休学前では考えられへんかったくらい、勉強が楽しくなって勉強に励んだ1年やったかな
勉強するようになったのは、やっぱり休学がきっかけ。自分の無知さとかいろんな大人の社会を知れたから。

卒業旅行 in トルコ

(カッパドキア@トルコ)

高倉:で、ついに卒業旅行では念願の海外旅行に行けたわけやな。

川口:休学を選んだときに海外行けなくなって、すぐに諦めがついた理由は、1年遅らせてでもこのタイミングで海外に行けるって信じてたから(笑)

今行けへんなら、勉強していつか海外に行こうと。
勉強してから見る世界ってまた全然違うやんか。

今までの自分って、海外に行って「勉強しな!」って思ってたんやけど、勉強の楽しさを知った上でいく海外は、文化や歴史の勉強とか、新しい楽しさがある場所に映った。

高倉:その学びは、ヒロトのnoteに書いてるんやな(笑)

川口:そう、ぜひ読んでね〜!笑
でもやっぱり、コロナで海外に行かれへんっていう当たり前を無視してまで行った価値があった。

諦めて就活って道を選ばずに、諦めんで良かった。

休学っていう一見「謎」な選択をして、当初したいって言ってた海外旅行とか、したいこと出来てないっていう見方をされた時もあったけど。

でも、諦めんかったから掴めた道やったと思う。もちろん、100%自分のしたいことが出来たわけではないけど、我慢の上に最後にしたいことができたのは諦めんかった結果やったとは思う。

今後について

(卒業証書授与式にて)

川口:休学してから、今後の話やねんけどさ。このギャップイヤーBrothersの活動然り、「休学して結局どうやったんですか、何を得られましたか」っていう、答えを待ってる人らが少なからずおると思うねん。
でも、ずっと言うて来た通り5年、10年経ってみて初めてわかることやと思うねん。就活ではすぐに結果求められるけどさ(笑)

やから今は、5年後10年後の自分に「この時の決断は正解やった」と思わせてあげるために、これからも頑張らなあかんと思ってる。
それが、休学を選択するか迷っている人の大きな勇気にも繋がるはず。

で、それを証明するには何が必要やねんって言うと、「人生をクッソほど楽しんでる姿を見せること」やと思うねやんか。

ヒロトってほんま人生楽しそうやんな。ハルキって楽しそうにしてるよな。
あ、そういえば2人とも休学して、自分に素直な人生進んでたな。

って思ってもらえることが、勝手な使命やと思ってるねやんか(笑)
やから、仕事も全力で楽しみながら活躍するし。休学した人の代表じゃないけど、そういう気持ちを勝手に持ってる。
休学がきっかけになって、こんだけ楽しい人生過ごしてる人もおるんやで、っていうのを身をもって証明していきたいね。

8. 最後に

(先日の棍棒づくり笑)

高倉:こうしてギャップイヤーBrothersの活動をしてるのも、休学したいけどできないって人が休学をとる勇気を持てるように、ってのが根本やんか。
ヒロトはどんな人に休学する勇気を持ってほしい??

川口:そやなあ。前にインタビューした雄大さんが、人生で大切じゃない日なんて1日もないって言ってたやんか。あれにはすごい賛成で。

でもその一方で、毎日が大切な中でも、この休学の1年は特別大切な1年やったなって言うふうにも思ってて。
中学3年生で学校の先生との出会い、高校の野球部に入る、海外旅行、こう言うターニングポイントの1つとして休学はすごく大きな変化やったなと思うねん。

やから、毎日は大切に過ごすべきやけど、こういう特別大切な期間っていうのは存在するなって。
もちろん、皆んながみんな同じギャップイヤーライフを過ごせる訳でもないし、必ずしも大充実した期間になる保証がある訳でもないけど。

それも作っていくのが、休学の難しさでも楽しさでもあるし。でもそれって人生と同じで、何をしたらあかんとかいうルールなんかない中で、いろんな選択をしていく訳やからさ。
俺の場合は、休学が人生の土台を築く1つのきっかけになったって感じ。

やから、何か変化を欲してるとかしたいことがあるのに時間が足りないって人には、休学して欲しいかなって思う。

川口:デンマークでは休学をした人が「この子は自分で決断して、色んなことを経験して来たんだね。少し大人になったんだろうな。」って思われる、って言う話を聞いて。
それは面白いな〜って思ったのと同時に、すごい嬉しい気持ちになったな。
日本でも、そういう価値観を持った人が増えたらいいのにな。

9. インタビューを終えて

(高田松原津波復興祈念公園にて@岩手県)

2020年、突然やってきた未知の状況。彼はその状況にさらされ、思い描いていた理想のレールから追いやられたうちの1人。

それでも腐らず、自分が新たなレールを築くことで、脱線するどころかこれまでは見えていなかった駅を見出すことになる。

個人的な感情が入り込んでしまうことを先にお許し願いたい。
彼が休学を経て、最も変わったと思うところは、間違いなく常に前を見続ける力を身につけたというところであると思う。

野球部で思うような野球ができない、カナダでの初ひとり旅で打ちひしがれる、海外へと伸ばしていた理想のレールがコロナ禍によって閉ざされる、など様々な壁があった彼の大学生活。
当初は、悩みや苦しみも目に見えた。

それが、休学中に自分で新たなレールを敷き、そのレールを自分が納得できるレールにできた経験を経て、悩み苦しんでも目線だけは常に前を向く姿勢を手に入れたように映った。
必ずしも、目的地に辿り着くレールは一つではない。その道中には様々な駅があるのだということを、彼が教えてくれた。

今では、同ゼミの悩める後輩たちは皆こぞって、彼の元へ相談したくて集う。そういう姿を見ていると、経験を経て得た「前を見続ける姿勢」が他の人にも魅力的に映るのだな、と実感した。

「前」は必ずしも1つの方角を意味するわけではない。
あなたが向く方角を変えれば、たちまち「前」が指す方角も変わる。あるレールが閉ざされたら、少し方角を変えてみればいい。
そうすれば、彼がインタビューを通じて伝えてたかったことが、身に染みてわかるはずである。

これまで様々なインタビューファイルを記事にしてきたが、これからはギャップイヤーBrothersとしての活動頻度は減るだろう(元々、そんなに頻度は高くなかったが、、、)。
本当に皆それぞれ、百人百色のギャップイヤーライフを経験しており、それらを記事にするには、読みにくいまでの文字数と時間が必要となってしまう。

投稿を待ってくださっている皆さん、インタビューに協力してくれた皆さん、ごめんなさい(笑)

これから、社会人となり記事作成に割ける時間は減るだろうが、この活動自体は続けていく。
休学を経験した上での社会人生活、それから社会人になってからのギャップイヤーなんてのがあってもいい。
まだまだ、記事にして届けたい社会のレールはたくさんある。
もし、僕たちの記事を読んで、少しでも違う景色を見れたという人が1人でも居たならば、それほど嬉しいことはない。

どんな理由でも、どんな過ごし方でもいい。当初の目標が変わってもいい。自由な期間である『休学』をよりハードルの低い選択肢にするために、自由な期間である『休学』の川流れを楽しめる選択肢を増やせるように、今後も様々な形の休学ライフを届けていく。

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