社会に出て働いて分かったこと【前編】
バブル経済直前に就職をした。
私は就職先にマスコミを志望したので、普通の就職活動とは一線を画すような動きをしており、製造業や商社、金融機関など、いわゆる一般的な会社への就職活動は経験がなかった。
当時、友人たちは次々と内定をもらい、残りの大学生活を謳歌しようといろいろ計画をしていたようだが、特に製造業や、当時、最も人材を採用していたのがSEといわれるシステムエンジニアだったと記憶している。
なぜか知らないが横文字の名前の会社が多く、職種としての希望というよりは、就業条件が抜群によかったらしく、特に休日を含む福利厚生が注目されていた。これだけであれば現在とあまり変わらないような気がするが、人材不足という課題は同じであり、需要が見込まれる企業ほど、その待遇で差別化しなければ学生が選んでくれないという事情がある。
恐ろしいことに、就職活動解禁日に友人たちは“軟禁”された。つまり、他社の面接を受けないようにさせるため、軽井沢などのホテルで研修という名の囲い込みをされたという訳だ。不思議なことに、軟禁されている彼らには特別感を感じる人たちが多く、むしろ優越感に浸っているという印象さえ受けた。
こうやって社会への扉が開かれて、社会人としての一歩を踏み出すことになる。
もちろん、仕事というのは毎日のことなので、面白くなく、興味も薄れ、社員が多くて競争が激しくなれば、当然のように離職する人も出てくるわけで、私の知り合いでSEになった人材は、ほとんどが転職している。
さて、そこで考える。働くってなんだろう、と。社会人になって30年以上経つのに、何を今さら言っているのかと思うかもしれないが、私たちはこれまで、働くことの意味を考えたことがあるだろうか。
自己実現?食っていくための必要条件?働かない人や無職という肩書きを付けられた人に対してネガティブな感情が湧き立つのは、どこにも属さない人の存在を疎ましく思うからだろう。端的にいえば、まともかまともではないかに分類されてしまう。
つまり、私の結論としては、働くことそのものは、あくまでも生きていくための手段でしかなく、生きていくための手段を他で見つけることができれば、何も働く必要なんかないはずだ。例えば、実家が裕福で資産を運用して利益を得られればそれでいいし、自分でアパート経営して家賃収入があればそれもいい。元手がなければ、貧乏だったら無理だという人に限って、最初から働くことでしか生きていく手段を考えていない人だ。
働いていること、どこか有名な企業に就職していることなど、実は瑣末なことであって、どうやって生きていくかを考える機会も与えずに社会に放り出されるから、いつまでも労働という名の闇に束縛され続ける訳だ。
では、どうあれば良いのか。
その答えは、実際に働いている人たち仕事を見ると少しずつ分かってくる。
【後編】に続く。
#いま時のジブン
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