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033手で考える

日常バックパックを使い出して今背負ってるものはもう何代目だろう?中学生の頃から今使っているのがたぶん13代目かな?もういろんなメーカーのものを試しました。ここ数年はドイターの連続ですが。

なぜそんなバックパックだけに固執するのかといえば手にものを持ちたくないからです。なぜものを持ちたくないかといえばモノが考えられなくなるからです。

イタリア人は手を縛ると何も言えなくなる、なんて冗談がありますが、アレあながち冗談じゃない気がします。特にぼくはおしゃべりな方ではありませんが、やはり両手にものを持つとほとんど何も言えなくなってきてしまう。

移動でも電車やバスなどを使うほどでもない半端な距離であればよく歩いちゃうんですが、やはり両手をあけてモノを考えてます。進行中の仕事のことや今考えているアイデアなど空中に浮かんだイメージを手があくことで描くことができる。歩行中なので両手はスイングしてはいますが要所で空中に手でなんか描いたりしています。

逆を考えてみれば何かに集中(手作業)している時はほとんど何も言えなくなりませんか?体の回路が手と頭とをスイッチングしているかのようです。

もちろんケータイ(スマートフォン)なんて握りしめないし、ながら歩きなんてもってのほか。多少の雨ではカサ(常時折りたたみ持参)もさしません。雨止んだらカサなんて濡れたままのもの持ち歩かなきゃならないし。

ぼくは文章もイメージ(絵)もまずは書(描)かなきゃカタチになりません。けどその実際のスケッチの前に空中にスケッチの素がフワフワ浮いていて描き足したり展開したりしてるんです。

手に馴染んだものを持つと気持ちが落ち着ついて考えが進む人も居るでしょう。けどスマートフォンは違うな。街で見かけて覗いてみてもありゃほとんど気の紛らわしにしか見えない。
ぜひ手はフリーにしておいて、あれこれ歩いながら考えてみてはいかがでしょうか。
ちなみに習慣づくと忘れ物しませんよ(最悪でも途中思い出す)。

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