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027イッパツじゃ終わらない始まり

ものすごいヘビーローテーションで某J-popの歌が街の中で流れている時がある。突然のヒットでTVやラジオにも出ずっぱりだったりするが、自然とその歌のいくつかの中で「この人の歌コレで終わるな〜」って何となくわかっちゃう時がある。いわゆる一発屋の歌。

普段自分でモノをつくったり、また人のつくったモノを見ていると全てではないがそのできたモノのバックグラウンドが見えてくることがある。いわゆる一発屋のそれってそのバックグラウンドが見えてこないんだよね。バックグラウンドというよりもう開けっ広げな感じ。なので二発目はないだろうという感想になる。

通常何か創作しようと思えばその作者の知識や考え方などが必ず影響すると思うんだけど、やっぱ一発屋のそれって見えて来ない気がして、バックグラウンドを備えた人のってできたモノにその厚みを感じるんだよね。

ネット社会の世の中、知識の量だけ持っててもなかなか使えない。知った上で消化して何か実践してやっと「知」が「肉」になるとも思ってる。またそれを頭のタンスにしまっちゃって放っとくままじゃどうしようもない。あるシーンによってそれをひっぱり出して利用するものだと思ってる。よく言うけどその人の「ひきだし」なんて言われるけど、あれだなって感じる。
そういう意味ではポッと出のアイデアよりも、できた!と思ってからの粘りが重要かなとも思う。

その知識や考え方ってあればあるだけいいってもんでもなくって、その時々によって適宜入れたり出したりして一生懸命盛り込もうとする。そしてその積み上がったものをギュ〜〜っと圧縮して何か一個のモノができあがると信じている。

知識で得たものが表に見えすぎちゃうと「影響されてる」みたいなモノになるし、しっかり消化した上で発揮するのも簡単じゃないところ。また新しいことを取り入れていかないと妙にまとまったつまらないものになっちゃったり……なかなかうまくいかない。

えらそうなことを言ってはいますが、一発当ててるだけ一発屋もすごいんだけどね。

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