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【しらなみのかげ】国家の助成を得た理性の公的使用は国家社会の為にも資さねばならない #29

六月の長い間、何故だか全然文章が書けなかった。
 
 
その理由は、上旬から中旬に件の裁判関係のことにかかずらわされており、その余りの疲労で暫くは何も出来なかったことである。ありがたいことに多くの人の助けもあって結果的には良い方向に向かったが、一時は進退窮まったかとも思われた。資料集めから何から非常な疲れを要し、一旦全てが落ち着いてから丸一日寝込む日もあった。東京への旅程において友人に勧めてもらった美味いカレーを食べに行き、帰りの京都駅でさえも回転寿司でのどぐろなりガス海老なり塩水雲丹なりを日本酒で流し込むようなことをしていたのだが、やはり今回は事が事だけにそのようなレベルではその後回復しなかったのである。様々なことに思考は巡るが、ここ最近の惨憺たる人生を省みざるを得ず、抑鬱状態に陥るということを繰り返していた。
 
 
その間、烟草だけは手離せなかった。ゆっくりと流れていく紫煙を見詰めながら、ただ焦燥感だけが募っていた。
 
 
ひと段落を迎えて漸く再起動にかかれると思っていたものの、読む方は兎も角として、書く方が全く進まないのである。私の場合、読むことに関してはそれほどエネルギーが要らずに興味関心のままに取り組めるのだが、当然のことであろう、書くことはそうはいかない。とりわけ初めの一押しがとても重要であり、その一押しさえあれば一日に一万字書けたりすることもある。正に「起動」において、多大なエネルギーと精妙なコンディショニングを要するのだ。しかし日が経つと共に、読書や様々な人との会話で様々な刺激を受け直しながら、それも少しずつ変わってきた。
 
 
それで、月が変わったから気分が変わったのも一助となり、今こうして筆を執ることが出来た。もがいている間に、色々と自分の生き方についての整理もついてきたからであろうか。
 
 
私が書きたいのは、否、書かざるを得ないのは、大学の人文系のこと、文学部のことである。
 
 
私は今、「人文系」と敵対する「人文系」という立ち位置にある。
尤も、正確な意味での「人文学」の学者という訳でもない。Twitterでのこの言葉の用法を見ても、北村紗衣に悪口めいた批判を向けていた呉座勇一氏を糾弾するために「オープンレター:女性差別的文化を脱するために」に名前を連ねた千人以上の連中などを指す(勿論、その多くは哲学・文学・歴史学という狭義の人文学の学者も含めた文系の学者であった)。その署名者の中には、私が直接知っている者や話したことのある者も少なくない。
 
 
兎も角私は、北村紗衣、そしてその北村を擁護して呉座をパージしにかかったオープンレターを批判してきたが故に、北村から、先ずは私の非常勤先だった大学に通知書、そして訴状が送られてきた。それに対する否応無く強いられた対応の故に、大学から出講停止処分も食らった。要するに、業界から半ばパージされた。今や、連中との敵対は、単なるイデオロギー的な対立を超えて、正に社会的に絶対的なものとなっている。
 
 
九州大学文学部に通っていた大学生の頃から研究の道を志すようになり、二十代のかなりの部分を哲学の研究に費やしてきた人間として、そしてそれ以上に上述の如き境遇にある人間として、大学人文系を巡る社会的歴史的な問題を正に我が事として受け止めざるを得ないのである。
 
 
文系学部を巡る状況の厳しさについては、既に多くのことが言われてきた。
思い返せば、2015年に「文系学部廃止」の通知の噂が、同年6月8日に文科省が各国立大学法人学科に出した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通知に関して飛び交った。結局、それは話に尾鰭がついただけのものであったが、文系学部の研究者達の恐れ慄きと怒りは、法令に過剰解釈を行う程までに強かったと言えよう。
 
 
往時、私は大学院生であったが、当然ながら人文学を擁護する立場であった−ただそれは、所謂「人文系」の人々には大きな違和感を感じながらであった。中長期的に考えるならば人文学こそが人間の叡智として大学に欠かすべからざるものであり、大学を技術家主義的に考えることは理念的にも実際的にも誤りである。ここまでは良い。しかしながら、そう唱える「人文系」の多くは、当時もう一つ大きな議題となっていた安保法制を「戦争法案」と称して、反対の絶叫を上げる者達であった。
 
 
カントやフンボルトやヤスパースが説いた「国家や宗教など「権力への従属」から大学を切り離すべきである」という大学の理念は、よくよく考えればすぐに理解出来ることだが、飽く迄も「真理の生成にのみ責任を負う」ということであって、「時の権力に対して常に反権力の立場を取れ」という命令では必ずしもない筈である。反権力も又、時局に於ける政治的党派を形成することは殆ど例外無い事実であり、それを鑑みるならば反権力の立場を取ることが「真理の生成にのみ責任を負う」ことには直結しない。学問的真理は、権力が真理を捻じ曲げるのが常であるにせよ、権力か反権力かという情勢論と同義ではない。
 
 
しかし、「文系学部廃止」に反対していた文系研究者達は、研究者であれば安保法制やそれを可決させた安倍政権に反対するのも又当然であると言わんばかりであった。これは、嘗てのマルクス主義者達の態度が学術界において復権した瞬間であった。私が疑義を抱いたのはその点であった。
 
 
そして、その懸念が現実化したのが、日本学術会議の軍事的安全保障研究の実質的拒否である2017年の声明であった。これで明らかに、学術界の多数派が嘗てのマルクス主義者達よろしく、「真理の生成」と「反権力」を同一視していることが図らずも証明されてしまったのである。伝統的な宗教なり文化なりに反対する形で権威と教義と伝統を自ら立ち上げた嘗てのマルクス主義者達の伝統が、ここではっきりと示された。そして、2020年の日本学術会議任命拒否問題が起こる。安保法制反対で絶叫していた類の多数派文系研究者達は「学問の自由の侵害」であると主張したが、政府機関の任命拒否が法令の解釈慣例に基づかなかったこと、またその理由が提示されないことという全く別種の問題である。私には、恰も自分達にしか学問の自由は無いと言わんばかりの権威主義が、そして件の「反権力こそが学問的真理」という党派的な学問観がそこには潜んでいるように思われた。
 
 
そして、翌2021年には件のオープンレター騒動、そして呉座裁判と私の裁判である。これについてはこのnoteにも色々と文章を書いてきたし、『正論』や『情況』や『国体文化』にも投稿してきたので最早贅言を要しない。要するに、「ウォーキズム」的な「キャンセル・カルチャー」が学術界で表立って(勿論陰には今までにも行われていた、ということである)行われるようになった、ということである。
 
 
ここからより根源的なことを書くのは、稿を改めてからにしたい。ただ私が根本の所で考えているのは、大学における学問というのはカントの言う如く理性の公的使用を行うものであるが、(大部分が)国費で賄われる「国立大学」という制度上、理性の公的使用がそのまま同時に「国家と社会の為になる」という理性の私的使用にも資さねばならないのではないか(少なくともそのような形態を目指すべきではないか)、ということである(この点から考えると現在の大学改革は、国立大学を法人化して半ば独自経営としつつも「国家と社会の為になる」ことしか大学にさせないという点で本末転倒した道へと向かっているように思われる)。国立大学が少なくとも制度的な意味でのネイションを相対化することは正しく制度上許されないことであると思われる(この点は学術振興会特別研究員制度や科学研究費助成制度も同様であるだろう)。
 
 
国の助成を得た理性の公的使用は国家社会の為にも資さねばならない。
 
 
(この文章はここで終わりですが、皆様からの投げ銭を心よりお待ち申し上げております。)

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