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悪いことばかりの中で、もがき続ける

 この年の瀬に、以前にレビューをした論文がまとめて2本届いて、しかもXX日間で返事をしてくれ、ということで仕事が増えてアップアップしている。押し寄せる仕事の波は酷い有様で、相も変わらず、アンニョイな日々が続いている。そんななかで、ボスから「この論文の面倒をみてあげて」という案件も追加発生。ボスが非常勤でいっているところの知り合いの論文が酷い有様なので、論文投稿まで面倒を見ろと言うことらしい。

 メンタル的にギリギリの綱渡りを続けている。当然ながら、実験なんて1秒も出来ないし、自分の論文を書く暇も1秒もないままだ。書くことで愚痴を吐き出し、メンタルケアを試してみたら何日も追加しながら書いていたので、かなり長い文章になってしまった。


 某新聞社から電話がかかってくる。学会としての回答が欲しいらしい。普段なら無視する電話だが、今回の件は違った。確かに学会として対応すべき内容だし、あの委員会の委員長の先生なら取材を受けてくれるだろうなと頭の中で道筋を描く。こちらの相槌すら無視して永遠と自説をしゃべり続ける記者の方に、「すいませんが電話ではメモを全部とりきらないのと、より適切な方に回答を出来るかどうかお尋ねをしますので、問い合わせ方法にも記載している通りメールでお送り下さいませんか?質問内容も具体的に書いてお送り下さい」といって電話を切ろうとすると、あわてた様子で別の方が回答するのであればその取材を1両日中で、と宣う。

 途端にカチンときて「それは取材する側の都合であって、新聞社の都合を取材対象におしつけるのは違くないですか?」とハッキリと強い口調で言うと、先方が言葉に詰まる。ごにょごにょ言っているので、もうこれ以上の時間を割くのは無駄だと思い、「時間内に答えられる方を探すのではなく、ご質問の内容から回答するのに最も適した方に連絡をとります。取材時間等については取材をお引き受け頂ける先生のご都合によります。それでも宜しければメールをお送り下さい」と言って電話を切った。

 こういう場合、もう連絡はないだろうなと思っていたら、2時間後くらいにメールが来た。構成的にどうしても必要だったようだ。理事長に連絡し、ある先生(理事)に回答をお願いしようと思う旨を報告し、了承を貰う。その先生に記者さんの質問内容を入れたメールを送る。回答するのがOKだと返事が来る。しかも本日中に対応しましょうと仰って下さる。記者さんに該当の先生の連絡先を送り、この時間に連絡して下さい、とお伝えする。

ーーー結果的に、先方の思うままだ。良いことばかりの話なのに、なぜかモヤモヤする。

 分かっている。原因は一つだ。あの記者だ。延延と電話口で喋り続け、それに対して「そうですね、そうだと思います」と私が回答すると思っていたのだろう。それをもって学会の回答とする予定だったのだろう。私みたいな面倒な堅物が窓口にいるとは思いもよらなかっただろう。ほいほいと「そうですね」と答えてくれる人を探すのであれば、うちの学会になんて連絡しなきゃいいのだ。研究者をお墨付きマシーンとして利用しようなんてのは二度と思わないで欲しい。


 数年前に引退した副学長だった某先生から忘年会に誘われる。とっても忙しかったのだが、愚痴を聞いてもらいたくてお伺いした。

 引退した某先生「大学はどうですか?」
 私「終わりですね。全てが末期的です。良いニュースはありません」「誰も必要としていない(が、文部科学省は絶賛する)○○○○なんて作って維持費をどうするのか、正気の沙汰とは思えません」「毒饅頭を食べるために既存組織の予算や人員が減らされて、うんざりです」「さらに悪いことにうちのボスが機能停止してます。全方位で終わってます」とにっこりと全力の笑顔で答える。
 某先生「・・・・」

 とても悲しい顔をされる。○○○○やら、△△△△やらの話になる。これらは全て文部科学省様から作れと言われるやつだ。一度作ったら最後、どんなことがあっても絶対にその通りに計画を進めなければいけない「呪いの書」だ。呪いの書以外にも、あれやこれやと作れと言われて作るものや申請がたくさんある。何度もダメ出しをされてご意向に沿って修正して応募したりするのに、文部科学省から見れば「大学が自主的に計画した」となる。呪いの書に至ってはちょっとでも計画通りにいかなければ、大学の評価を下げる。戦争も電気代高騰もインフレも円安も想定して作らなければならない。まさに悪魔の契約だ。思いのままに、意のままに大学を動かすための首根っこをつかんでいるのに、文部科学省は「大学様が望んだこと」とする。つい先日に決まった、これだってそうだ。

 ここで注意すべきは下記だ。

当面は、(中略)5法人が対象となります。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b6c741f1a4a6ca9056a69d3a42706df5a012f1d

 この「当面は」というのは「すぐに色んな大学に広げますよ」ということと同義だ。そして、こうある。

「大学の自主性・自律性に十分に留意すること」「運営方針会議の審議事項が教育・研究の内容や方法にわたることがないように運用」

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b6c741f1a4a6ca9056a69d3a42706df5a012f1d

 もう乾いた笑いしかでない。また大学の退路を断っている。首根っこをがっつりとつかんでおきながら「大学が望んだこと」と宣うためだ。これは本気でそうさせたいのではない。そもそも大学の自主自律を潰そうとしているのは文部科学省だ。これはあくまでも「大学が望んだこと」にするために文部科学省が使うエクスキューズだ。そうして「大学が自主的に」というエクスキューズを用意したうえで「産業界の人間を入れると良いですよ」「産業界の人間をいれたところにお金を用意しますよ」とかやっていくのだ。そうやって「大学が自ら望んだ」をエクスキューズに大学のクビを閉めていく。毒饅頭どころじゃない。

 そもそも、どこの大学にも文部科学省から出向してきている事務方がいる。そういう出向だって、下記にあるように、あくまでも「大学の要望に基づいて行われる」だ。

 そうやって全ては「大学が望んだこと」が文部科学省の言い分だ。そうやって大学を意のままに操る。でも責任は絶対に負わない。自分たちの方針じゃない、これは大学が望んだことだと。そう言い続ける。

 忘年会に話を戻そう。引退した某先生が言う。

「そうやって文部科学省から送り込まれてきた役人にね、媚をうる事務とか理事がいるんだよね、困ったことに。各大学の事情なんて何も分からない癖に、その役人が文部科学省に戻った時に出世できるようにするために、絵空事を描くんだ」

 でも確かに実際にお金も取ってくる。文部科学省のニーズに合わせたポンチ絵が出来る。けれども、そうやって「無理な何か」が出来上がり、それを維持するための地獄がやってくる頃には、その役人は文部科学省に戻っている。そしてお金を引っ張って「○○を整備しました」みたいな業績が出来上がる。その後のことなんて出向してきた役人は意にも介さない。文部科学省の思う方向に大学を進めたことで、大きな業績なのだ。

 末期的なのは、文部科学省の人達は、どうもこれらが本気で「正解だ」と疑っていないことだ。文部科学省の力で、大学に自主的に変化して頂く、これを理想に掲げて、自分たちがどれだけ愚かな政治をしているのか気づいていない。



 そういえば、自宅の近くに「オーガニック」「ヴィーガン」「高波動」「食品添加剤不使用」「地球に優しい」「自然農法」「無農薬野菜」「瞑想」「ヨガ」と、もう全部盛りの明らかにヤバい店が開店した。インスタを見ると、メニューやテイクアウトの説明に「有機」と「自然」と「波動」という言葉に溢れている。絶対に近寄ってはいけないタイプの店だ。店の前を通る度に、その手(化粧をしていなくて、80年代のワンピースから色とベルトを抜いたみたいな服を着ていて、髪の毛がパサパサしてまとまりがないかタオルみたいなのを巻き付けていて、とっても楽しそうなんだけれども、なぜか不健康そうに見える)の自然派な人達が集っている。

 田舎に住んでいると、この手のやつは定期的に出現する。どこかのボロ家を改装した感じで出現して、時がたつと消えてまたボロ屋に戻っていく。なんだか蜃気楼みたいだ。ただコロナ禍で、この手の人達の連帯感は強くなっているようにも思う。勢力を広げて居るというか。思想自体は宗教のようなものなので自由にやればいいと思うが、なんというか布教に一生懸命なタイプは迷惑でしかない。

 しっかし、「オーガニック」だの「ヴィーガン」も勝手にやればいいが「食品添加剤不使用」はヤバいし、「高波動」を言い出した時点で御里が知れている。基礎的な科学を理解していないことが明らかであって、この手をうたいあげる人達が作るモノやサービスを自分は信用しない。

 この手の人達はプロフェッショナルを騙るくせに、拘る範囲があまりに狭すぎて、体系的な知識を身につける素養そのものがない。だから自分の目の前で起きている現象を理解出来ないので、勝手な解釈をつけるか、非科学的な思想もしくは精神世界に絡めて強引に納得しようとする。そのくせに世界の理を謳うから目も当てられない。教養人を振る舞いつつ、教養を身につけるプロセスを身につけることが出来ずに、教養とは最も遠いところに着地した(のに気づかない)人達だと私は思っている。



 暮れの挨拶にきた業者の方と話をしていて、分析の外注の話になる。どこもかしこも、戻ってきたデータの分析屋さんが不足していると業者さんが嘆く。みなさん、その後のデータ解析をやってくれるヒトを探しているんです、と業者さんがいう。去年までは、そういうことの駆け込み寺となっている先生がいたのだが、某有名大学に教授として異動していった。あの先生は、3人分じゃすまないくらいの仕事をしていた。あの優秀な人を残せなかったのは、うちの大学の損失だが、あそこの教室の天上人は狂人なので出て行こうとするのも仕方ないとも思う。

 実際、あの先生がいなくなってからは、私のところにも「外注先からデータが戻ってきたが、解析が分からない」という依頼が来る。マジでクソみたいな話だが、今の若い研究者は実験そのものを外注して、戻ってきたデータの解析も専門家に依頼する。じゃぁ、お前は何をやったんだ?と聞きたくもなる。うちの若い先生をみても、何もかも外注しようとする。研究力はどんどん下がるなぁと思いながら見ている。

 ただ研究者は基本的には自分で解析をするのが好きな類いの人種だ。だから時間さえあげれば、ぜんぶ自分たちでやるようになると私は思っている、と業者さんに話すと、「そうなんですよ、みなさん時間がないので、誰かやってくれないかなと言うんですよね」と仰る。うん、そうだろうね。業者さんは続ける。

 「このままだと、本当に昔みたいに全部自分でやれる研究者はいなくなっちゃうでしょうね」

 なんというか、私よりもはるかに長い期間、大学の研究者とつきあってきたからこそ見える世界もあるのだろうなと感じる。なのでこう答えておいた。

 「もうそういう研究者がいなくなった後の世界で立て直すには、明治時代みたいに再び海外から優秀な研究者をたくさん入れて日本人研究者を育てて貰うしかないでしょうね、きっと」

 すると業者さんは「OIST」ですね、と。そうだね、OISTですね。そう思うと、OISTは希望の星なのかもしれない。あそこには文部科学省の意のままには出来ない。内閣府のニラミがどの程度なのかも知らないし、実情を知らないので適当に言っているけれど。


 
 うちのボスは、仕事納めの前日に「あと宜しく」と学生のことなど放り出して帰省していった。卒論も修論も進めなくてはいけないなかで、ボスの指導をうけているはずの学生のD論を完成させ、丸投げされた論文を完成させなければいけない。ボスは最近は卒論も修論も読もうとすらしない。しかもザ・中間管理職としての運営に関わる業務も大量にこなさなければならない。そんな状態なんだからよそのPJは放っておけばいい、とも思うが原稿を書いた本人は悪くないので(実力がないことはおいておいて)、ここで私が放り出せばあまりに無惨だ。知らない仲でもない。やるしかない。

 論文以外にもありとあらゆることが丸投げだ。うちは、正月も盆もなく、あるメンテが必要なものを維持している。うちのボスは、このXX年、それを一度も「手伝うよ」と声をかけてくれたことなんてない。新婚の時も、子供が赤ん坊の時も、私が盆と正月にそれを担ってきた。今年も、私が年末年始に出勤する(職員さんも数名残ってくれる)。それが当たり前になっていて感謝などされない。

 うちのボスは、もうPIとしてはダメだな。PIとしての職責は果たさなくなった。何度も思い直そうと思ったが、冷静に考えれば考えるほどダメだ。頭は抜群にいいし、頭も切れるのだが、いかんせんキャパシティがなさすぎる。偉くなるにつれて引き受けた仕事のほんの一部でアップアップして、残りの部分を丸投げして人にやらせることで体面を保っているのに、キャパ超えからイライラしていたり、最近は投げられた仕事をやり遂げても感謝の言葉すらなく、お前がやって当たり前という態度だ。

 もう愛想が尽きた。部下がどれだけ忙しくて首が回っていないかを見渡せる能力もないし、PIがやらなければいけないことを部下がどれだけカバーしているのかも分からなくなってしまった。おまけに昔のような思いやりもユーモアもなくなった。遊び心がなくなって人としての魅力も消えた。知識のアップデートも出来ていないから、サイエンスの会話も成立しない。人間味が薄っぺらくなった。学内で、学外でいい顔をして、本来ならうちのものではない、余計な仕事をたくさんひきうけて、許容量を超えた部分を丸投げする。その積み重ねで部下達がどれだけ疲弊しているのか見えていない。そのくせ、自分は大変だ、自分は忙しいと大仰そうに振る舞う。

 決めた。もう論文の方は自分でコレスポとろう。ささやかな反抗だ。ボスのためと思ってうちから出る論文はファイナルオーサーとコレスポをボスにしてきたが、そもそもはハンドリングをしている人間がコレスポをするべきなのだ。当たり前に戻すのだ。何もしないくせに、コレスポだけもっていくのがおかしいのだ。そんなことを許してしまっていたから、外でいかにも自分の業績のように人が書いた論文の成果を語り、ほいほいと「それなら、うちで面倒をみますよ」なんて言って余計なものを持ち帰ってくる。論文を見もしなくなって、やがて投稿作業すらも丸投げするようになった時に、はっきりと宣告すべきだったのだ。あなたは研究者としては終わってると。

 ボス不在の仕事納めの日、職員さんにケーキを振る舞う。1年の感謝を伝える。自宅に戻り、玄関先でタバコを吸いながら、来年は良い年になるといいなとひたすらに願う。でも、悪いことばかりのなかでも、もがき続けるしかない。そうやって生きていくしかない。まだだ、まだ終わらんよ、と頭の中で声が聞こえる。家族のために、ぐっと全てを堪えて踏ん張るしかない。

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