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期待と他人と私

春の匂いは、清々しくふんわりとした、気持ちのいい香りがする。アンジェラ・アキが「恋しくて目を閉じれば あの頃の二人がいる」と歌っていたが、花粉で目を閉じて擦ったら涙が出てくる人もいるか。

いや、大多数の人には、暖かい気温、新たな出会いにわくわくするそんな季節だろう。そんなサクラ色を感じる季節に、私はサクラ色の服を身に纏っていた。

「陸くんって、毎日どこかにサクラ色のアイテムを使ってるよね」

大学一年生の私は、新しい出会いと東京でのキャンパスライフに浮かれていたのかもしれない。好きな色をコーディネートに取り入れ、それを同じ学科の仲良くなった女の子に気付いてもらう。そんな嬉しいことはないだろう。

「オシャレだから、陸くんのコーデ毎日写真撮ってアルバム作ろうかな」

そのセリフに驚きつつも、嬉しいことなので「毎日お洒落してこないと!」と意気込んだ。彼女とは意識的に会うわけではないが、なんだかんだすれ違っては写真を撮ってもらっていた。

久しぶりにすれ違ったある日、いつもの通りに「撮って撮って〜」と話しかけに行った。

「え〜まだ撮るの〜。はい撮ったよ」

と、全く想像もしてない反応が返ってきた。悪く言えばうんざりという様な、よく言っても呆れるという様な感じ。元からアルバムを作ってもらう気もなかったし、めちゃタイプの子でも無かったし、これは強がりでも無いし、コミュニケーションの一環として、そういう「くだり」があることが面白かった。しかし、とても面倒くさそうに放たれた言葉に、ショックを受けてしまった私がいた。それ以来、彼女とすれ違う事はあったが写真のくだりが復活する事はなかった。


私は素直で真っ直ぐな性格なので、大抵のことは受け入れてしまう。気持ちの良い区切りがあるまで信じ続ける。

好きな服に対して褒めてくれて、毎回写真を撮ってくれて、気分が良くなっていた。素直なので、明日も写真を撮ってくれるかもしれないから、しっかりサクラ色を入れてお洒落をして行こうと、彼女の期待に応えようとしていた。


誰かの期待に応えたい
そんなことを思うから、誰かに期待しちゃうのかもしれない。

すでに「期待」の住人になっている私には、期待の矢印が双方向に向いていて、期待に応え合い期待し合うことが一般化されている様な感覚があったのかもしれない。

先輩からの威圧的な上下関係が嫌いだけど、後輩にラフに接せられるのも嫌だ。
みたいな感じで、「上下関係」の住人は上下関係の中に無意識に住んでいるのかもしれない。


期待が悪いことではにのだが、自らの中で収まるのであれば誰も悲しまないだろう。しかし、他人への過度な期待の末、思い通りにならなかった時に、誰かが悲しむ結果になる。


期待に応えたいし、期待したいし、期待して欲しいし、わくわくする言葉として「期待」を使っていきたい。ただそれが自らを苦しめていることもあるだろう。期待と他人と私。向き合い方は私が決める。

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