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『鳴り砂の浜辺』(#シロクマ文芸部)

 海の日を首を長くして待ちわびていた。
何故なら海の日になったら田舎のお祖母ちゃんの家で、私は毎日海遊びが出来るから。幼い頃は、毎年夏休みになると小さな漁村にいる祖母の家に預けられていた。
 長期の夏休みになると、小学生の私や従弟たちは祖母の家に大集合するのだ。
 いつも4~6人くらい集まって、さながら合宿のような生活をしていた。
 朝は6時に起床。
 祖母が朝ごはんの支度をしている間、私たちはラジオ体操をしたり、近くの茂みで虫取りをしたり、それぞれ好きなことをして過ごしていた。
 朝ごはんを食べると、10時までは祖母の言いつけで夏休みの宿題をする。
 その日の天候で祖母が海で遊んでも良いかどうかを決めるので、みんな宿題よりも、窓から見える海の様子が気になって仕方ない。
 天気が良くても、波が高ければ祖母のOKが出ないからだ。
 穏やかな浜辺だと「今日は海へ行けそうだね」と、宿題になんて集中できなかった。

 ようやく10時になると、みんな水着に着替えサンダル履いて浜辺へ走って行く。
 なにせ目の前が海なのだ!
 波けし用のテトラポットが並んだあたりでサンダルを脱ぎ、浮き輪で泳いだり、波打ち際で砂遊びをしたり。
 小学高学年になってくると、テトラポットの隙間に潜ってサザエやアワビを獲ったり、砂を掘ってアサリやハマグリを獲ったりもした。
 今から50年ほど前の当時はまだアワビやハマグリも珍しくなく、子どもでも獲ることができていた。
 今から考えるとテトラポットの隙間に入り込むなんて、命がいくらあっても足りないと思えるほど恐ろしいことだけど、子どもながらにこれ以上はヤバいという境界線を探りながら遊んでいたように思う。

 散々遊んで12時頃になると、祖母が日傘をさして「ご飯だよー」と呼びに来てくれる。
 そして薪で焚いたお風呂で、レディーファーストの順で体を洗う。

 お昼ご飯はだいたい素麵か黄粉を塗した白玉団子。
 デザートは祖母が畑で育てたスイカか瓜。

 お腹いっぱいになると、これも祖母の言いつけでみんな昼寝をする。
 扇風機を首振りにして、蚊帳の中でお昼寝タイム。

 夜は花火をしたり、ボードゲームをしたり。
 晩ご飯を食べて21時になると就寝。

 こうした一日が全て祖母の指示で過ぎていく。
 当時祖母はまだ60歳代だったと思うが、足はリウマチで杖が手放せくて、昔話に出てくるようなおばあさんだった。

 小さな田舎の漁村で生まれ育った祖母は、ここでの生活しか知らない。
 目の前の浜辺は、歩くとキュッキュッと音が鳴る。
 祖母は鳴き砂にちなんだ、この地に伝えられる『琴姫伝説』を聞かせてくれた。
 源平合戦で敗れてこの地に流れ着いた平家の姫は、村人に助けられたお礼に毎日琴を奏でていたが、姫が亡くなると、砂浜が琴の音のように鳴るようになったというもの。

 その伝説を確かめるように砂浜を歩いてみる。
 キュッ キュッ キュッ キュッ

 子どもの頃は海があれば長い夏休みも退屈することはなかった。
 浜辺で貝殻を拾って自由工作の宿題を作った。
 お盆には浜辺に櫓が建てられ、太鼓とお囃子に合わせて輪になり盆踊りを踊る。私たちも浴衣を着て、慣れない下駄をはいて、砂を蹴ってキュッキュッと鳴らしながら踊った。
 祖母からもらったお小遣いで、露店で当てくじをしたり、綿あめを買って食べた。

 今年は祖母の33回忌法要で、久しぶりにいとこたちと再会した。
 遠く懐かしい思い出をひとつひとつ、キュッキュッと鳴く砂に刻み込むように歩く。
 皆それぞれの人生を歩んできて、白髪もシワもそれなりにたくわえて、当時の祖母の年齢に近くなった。
 キュッ キュッ キュッ キュッ
 砂浜は当時と同じ琴の音を奏で、夕波が辺りを優しくする。
 そして大きな夕日がジューッと音を立てて沈んでいった。
 



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