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【格闘ゲーム】お気持ち長文は何故燃やされてしまうのかという話【GGST/ストⅤ/鉄拳7】

KOF15にストリートファイター6発表と続き、春の訪れと共に
新たなお気持ち長文の季節を感じる今日この頃ですね。

格ゲーマー村にお便りとして届くと大体炭になるまで燃やされてしまうこの「お気持ち長文」ですが、一方で一般層のプレイヤーからは多くの共感の声もあったりするので

「何故ここまで言われなきゃいかんのか」

と理解出来ない方は結構多いんじゃないでしょうか。

一言で言えばこのギャップは格闘ゲームというジャンルに対する両者の認識の乖離からくるものなんですが、今回はそんなお気持ち長文にまつわる

「格ゲーマーサイドの視点」

をひとつ提供してみようかなと思います。

この手の話を中立的な立場で書いてる記事ってあまり見たことがなかったので、たまにはこういう燃えそうな話題に手を伸ばすのもいいでしょう。

(たぶん過激派から見たらこの記事も中立には見えないと思いますけど)


1. ゲームというより①

端的に言うと格闘ゲームの対人戦って「習い事の世界」なんですよ。

たとえば小学校でピアノを習っている子がいるとして、
義務教育でピアニカ吹いてただけのクラスのお友達が突然

「お前次のコンクール見とけよ」

と、いきなり勝負を吹っかけたりは普通しないですよね。

仮にきちんとした教室に通った上で挑むにしても真面目に取り組もうと思ったらピアノは数ヶ月、或いは数年がかりになる先の長いお稽古です。

相手が1ヶ月早く始めただけであったとしても
この時点で優劣を競うとなればそのアドバンテージたるや相当なもの

ですし、一週間やそこらで結果が出せるなどとは(たとえ子供であっても)思わないのが正常な思考というものでしょう。

格闘ゲームの"対人戦"(←重要)も基本的にはそれと同じです。

初心者向けのトレーニングならいくらでもありますが、初心者が初心者のまま短期間で経験者に勝つ方法はありません。

デジタル・アナログを問わず
「運要素の無い1対1のPvP」というのは基本的にそういうものです。

※上のお気持ち長文などはその辺の認識を誤ったままピアニカを担いで
ピアノコンクールに強行参加したお友達の成れの果ての姿と言えます。




2. 「"対戦"格闘ゲーム」という勘違い①

ご存知のように令和の格ゲー初心者が折れる原因の大半は

「対人戦で勝てない」

ことに起因していますが、ここでも格ゲーマーとライト層との間には
大きな認識の齟齬が生じています。

個人的には両者を隔てる最も大きな溝はここにあると思っています。

格闘ゲームを始めるにあたり、

「”対戦”格闘ゲームなのだから対人戦がメインのゲームだろう」

という認識でスタートする方が恐らくほとんどではないかと思いますが、

実はこれがまず大きな勘違いです。

何故ならば格闘ゲームの対戦モードとは
基本的に「1人用のアクションゲーム(CPU戦)」という土台の先にある

「エンドコンテンツ」だからです。

格闘ゲームは元来アーケードゲームであり、初めから家庭用での対人戦を前提に作られている後発のスマブラやApexとはその成り立ちが違います。

「1人用を遊び尽くしたプレイヤー達の為に用意した更なる上のステージ」

というのが格闘ゲーム本来の対人戦の立ち位置なので、
バトロワFPSを始めとするパーティゲームのように何も知らない初心者でも勝てるようにはそもそも出来てません。グリードアイランドです。

家庭用と違い、アーケードでのプレイにはどれだけ対戦が盛んだったとしても間にCPU戦を挟む時間が必ず存在します。

このCPU戦の存在は格闘ゲーム初心者が「攻撃・ガード・対空」といった
対人戦に必要な基礎力を身につけていく上で実は非常に大きなウェイトを占めているのですが、

ネット対戦の普及により不幸にもこの導線の絶たれた
昨今の家庭用から入る初心者はとかくこのステップを軽視しがちです。

実際にお気持ち長文を並べて読んでみても
「ネット対戦の勝敗やトレモを自分がどれだけ頑張ったか」の話は
頻繁に出てくるもののCPU戦について言及している記事は皆無に近く、

逆に下のブログ主のように
CPU戦の意義に気付いて途中で方針転換したタイプの稀有な初心者
折れることなく格ゲーを続けていたりします。





3. 「"対戦"格闘ゲーム」という勘違い②

もちろん温泉卓球のように気心の知れた者同士で対戦する分にはこの限りではありませんが、全く面識のない不特定多数を相手にするネット対戦は

RPGで言えば「ドラクエⅢで勇者一人旅」のような

「通常プレイを終えた2周目以降の特殊なプレイ」

に本来相当するものであり、ゼロから格闘ゲームを始める姿勢としては
むしろ対人戦に敷居を感じて敬遠してしまうぐらいの方が正しいのです。

しかしながら昨今の家庭用はそんなことは初心者に一切教えてくれません。

それどころかむしろ積極的にネット対戦を奨励する始末です。

作っているメーカーですらこの事に気が付いていないぐらいですから、
パーティゲームのつもりで家庭用から参入してくる令和の格ゲー初心者が

「対人戦=エンドコンテンツ」

という本質に自力で辿り着くことなどまず不可能でしょう。

この点に関して言えば私はわりと同情的です。

ランクが10に達するまでランクマ(ガチマッチ)がプレイ不可かつ
PvPの前に「PvE」のヒーローモードで操作を学ぶ導線が用意されている
任天堂のスプラトゥーン2などは格闘ゲームメーカーの倣うべき手本といえる。




4. 「"対戦"格闘ゲーム」という勘違い③

ちなみに既存の格ゲーマーは

「自キャラが思い通りに動かせない」
「何をしたらいいか分からない」

状態で対戦をしても格闘ゲームは楽しくないということを経験則で
知っているので、新作格ゲーを買うと大抵最初はまずトレモに籠もって

「勝つための武器」を揃えることから始めます。

つまりこの時点では多くの格ゲーマーが対人戦を避けるのです。

何故ならば「負けたくないし、楽しくないから」です。
トレモと対人戦を往復してトライ&エラーなどはもっとずっと先の話です。

自分自身が対戦を楽しめる(=対人戦で得るものがあるということ。必ずしも勝つ必要はない)ラインの実力に達するまでは普通に逃げます。

たとえば先のMBTLで言えば私は最終的には勝率7割前後でランクマッチにおける最高位であるS+常駐まで行きましたが、最初の一週間ぐらいは一切対戦せずにずっと1人用でのんびり自分のペースで遊んでました。

格闘ゲームを10年以上触ってたような奴でさえ"こう"なのです。

上達の仕方さえ掴んでしまえば1人用は苦になるどころか
誇張でなく対人戦以上に楽しい時間をも過ごせるものに変化します。

トレモに満足してランクマ突撃する時のがんがるさん、なお

格闘ゲームの対人戦は「対戦相手との心理戦を楽しむツール」ですから、読み合いを成立させるためには互いにある程度の選択肢が見えているということが大前提です(=予期した通りの展開に相手がハマるからこそ面白い)。

そして土台になっているのはカードゲームでもボードゲームでもなく
「アクションゲーム」なので、持っている選択肢を適切なタイミングで切るためには一定の操作精度やそれらの状況に対する慣れも必要になってくるでしょう。

そのための前準備の段階として1人用があるのです。

翻って自キャラの操作もおぼつかないままにネット対戦の世界に飛び出してしまった格ゲー初心者の方はといえば、例えるならこれは
ガンダム1話でアムロの乗ったガンダムが事あるごとにエンストするようなものですから、これで格ゲーが楽しいと思えるタイプの人っていうのはまぁまぁ変態なわけです。普通の人はつまらないと思います。

※尤もこれは初心者が悪いわけではなく家庭用を作っているメーカーの責任なんですが、そのへんの私見は過去記事で既に触れているので割愛します。
興味のある方は下の記事の4. 初心者狩り、その正体あたりからどうぞ。

ちなみに蛇足ですが昔、発売直後にランクマへ特攻していく格ゲー初心者が何を考えてるのかが知りたくて

「過去作も含め一切プレイしたことのないゲームを購入 →即ランクマ」

の立ち回りを自分で試してみたこともあるんですが、やはりというかストレスしかありませんでしたね。そのゲームはとても面白いゲームでしたが、この遊び方では何も面白くなかったです。




5. ゲームというより②

上の引用Tweetを見ても分かるように、遡れば格ゲーおじ連中も
皆初めはトレモやCPU戦といった「ぬるま湯」に肩までどっぷり浸かり

「自キャラをコントロールする面白さ」

を知ることからスタートしているのが一般的です。

そうして簡単なことからひとつひとつ段階を追って上達を実感しつつ
運や第三者の介入なく100%己の力で相手をねじ伏せるカタルシスの得られる格闘ゲームの対人戦は内実的には

「上達の仕方」(+その過程)
「楽しみ方」

共にテニス・バドミントン・囲碁・将棋といった運要素を排除した
1v1の競技のそれであり、そういった側面に長年触れてきた背景のある
既存の格ゲーマーらには(ゲームであることは大前提とした上で)

「技術介入度の高い、ある種の競技の一つである」

という認識が広く浸透しています。

(※e動雷十太みたいで正直あまり使いたくない表現ではあるんですが)

ところがライト層のプレイヤーはといえばそもそも

「対人戦がエンドコンテンツである」

という認識さえ持ち合わせていませんから、
そんな格闘ゲームの内実などは知る由もありません。

運要素(≒逆転要素)の介入が多いほど初心者は勝ちやすくなるが
反比例するように技術介入度の天井は低くなる

故にその言説は格闘ゲームを「競技」として見たものではなく

誰もが勝ちうる

「マリオカート」(=パーティゲーム)

として見た場合の欠点を指摘するものが大半となるわけですが、
指摘した結果どういう反応が返ってくるかは皆さんも御存知の通りです。

両者共日本語で話しているにも関わらず
絶望的なまでに会話が噛み合わない裏にはこういった事情があるのです。

同じゲームをやっててもこのぐらい認識が違う




6. 格ゲーマーは妖怪仙人である

さて、なんとなく敵方の視点が見えてきたところで
次は外からは見え辛い格ゲーマーの内情を少し掘り下げてみましょう。

恐らく世間一般的に格ゲーマーは初心者に非常に辛く当たるイメージが強いと思うんですが、これは半分正解で半分間違いだったりします。

それを端的に表したセリフが下の封神演義の一コマです。

ここの張天君が言わんとするところは、ざっくり言うと

「同類」=やる気勢
「人間」=勝てない理由を内ではなく外に求めてしまうプレイヤー

ということです。

以下の引用Tweetを見てみましょう。

SNS上でしか格ゲーマーの立ち居振る舞いを知らないプレイヤーにとってはまぁまぁ衝撃的な光景に映るかもしれませんが、ゲーセンでは割とよく見る光景だったりします。

では初心者であれば誰彼構わず手を差し伸べるのかというと勿論そんなことは全然なくて、例えばこのTweet主の場合で言えば
(※このリュウが実際どの程度の腕だったのかは一旦置いておくとして)

・このご時世にゲーセンで
・旧作タイトルもいいところのXをプレイし
・連コしてくる新規のプレイヤー

という3点だけを取っても
「同類」と判断を下すに足る充分な要素が揃っており、
それだからこそフリプというコミュニティにも招き入れているわけです。

そしてそこに腕前の巧拙は関係ありません。
妖怪仙人はやる気勢の初心者が基本大好きです。

私自身ゲーセン通いを始めたきっかけはこんな感じで常連のにーちゃんが話しかけてきてくれたことから端を発してますし、ゲーセン育ちの人間は大体みんなこの手の経験をしてきてるんじゃないでしょうか。

しかしながら妖怪仙人は「人間」に対してはやはり残酷です。

自分が勝てない責任を対戦相手やゲームに求めるような唾棄すべきプレイヤーに対し「初心者」などという区別は格ゲーマーにはありません。

彼らには同情どころかSNSでの激しい死体蹴りが待っています。

皆さんがよく知る「正しい格ゲーマー像」は恐らくこっちでしょうね。
これも偽らざる格ゲーマーの一面です。




7. 何故お気持ち長文は燃やされてしまうのか

そうしてまたタイトルに戻ってくるんですが、ここまで読んでくれた奇特な方ならもうなんとなく答えの想像はつくんじゃないでしょうか。

一言で言うならこれはもう「文化が違う」からです。

1v1のPvP出身のプレイヤーとバトロワのようなパーティゲーム出身のプレイヤーとではその文化形成が全く異なります。

私も一時期Apex Legendsをプレイして
攻略記事など出していた身なので分かるんですが、

所謂パーティゲーム出身のプレイヤーにとっては

負ける=「味方のせい」「野良のせい」「運が悪かった」

が基本であり、その原因は常に内ではなく外にあります。

何故ならばゲーム自体がそうやって
ストレスを外に吐き出させるようにデザインされているからで、
彼らにとってはそれは自然で当たり前のことなのです。

(※一応補足しますが別にけなしているわけではないのであしからず)

さらにパーティゲームにおける敗者とは「常に複数人」存在するものであり「一人負け」という事態に遭遇することが基本ありません。3on3のアリーナシューターなら敗北感は3等分ですし、100人のバトロワなら99等分です。

このように「負け」の実感の薄いパーティゲームで育ってきた彼らは敗北の責任を己一人が問われるという状況にそもそも慣れていないわけです。

(※逆に1v1のPvPである囲碁+ピアノの経験を持つ上の初心者の方などは
一般的な格ゲー初心者に比べ「負け」に対するストレス耐性が異常に高いことが記事を読むと分かる。感情的なものを廃してロジカルに攻略を組み立てることが出来るので、放っといても強くなる初心者の典型です。)

翻って格闘ゲームの方を見ると画面内には
「自分」と「対戦相手の二人しかおらず、敗北の責任を求めるべき

「味方」「3人目、4人目のプレイヤーの介入」
「ランダム要素のある強力なアイテム」「マップギミック」etc

の類がどこを探しても見当たりません。

パーティゲーム出身者からすればこれは未知のストレスだと思います。
何せ敗北の憤りをぶつけようにも格闘ゲームにはその対象が存在しないのですから。

それでも多少なり勝つことが出来れば気も紛れるでしょうが、
あいにくと格闘ゲームの対人戦はエンドコンテンツです。
そもそもが対人戦をするレベルに達していない以上はそれも叶いません。

そうして矛先を見失った負の感情がネット上に形を成したものが
所謂「お気持ち長文」と呼ばれるものなのだと私は勝手に解釈しています。

とはいえ、残念ながらそれはやはり
「パーティゲームの論理であり道理」なのです。

繰り返しになりますが一番初めに書いたように
格闘ゲームの対人戦は「習い事の世界」なので

「ピアノは鍵盤が広すぎるし、両手を使うのも難しい」

と素直な感想を述べても

「じゃあオモチャの鍵盤で指一本で弾ける曲から始めましょう」

という答えが返ってくるだけで、
そこで先生が気を利かせてトライアングルやカスタネットを
持ってきてくれたりすることはありません。

自分に合わせた難易度から始めたり、ペースを落としてゆっくり歩くことは出来てもショートカットをすることは出来ないのです。

なのでここはもう本当言ってもしょうがない部分ですね。
勝てなくてそのゲームをやめることそれ自体は経験者でも珍しいことではありませんし、一定の理解を得られることはあるかもしれませんが

運要素のない1v1のPvPというジャンルは

・やり込みが報われる
・強い方が正しく勝つゲーム

という2点が根っこの部分にあるので、
そこを捻じ曲げてしまうとそれはもう別なゲームになってしまうのです。

端的に言うと「やり込む価値の低い、底の浅いゲーム」になります。

(※これは面白い/面白くないとはまた別の話です)

加えてお気持ち長文の原動力となっているのは
基本的に「負の感情」ですから、感情のままに書き連ねたその文章は
往々にして語気が荒く主語も大きくなりがちです。

(※お気持ち長文自体の主語は小さくてもSNSにそれを引っ張ってくる人の主語がデカかったり攻撃的だったりするとそれも火種になる)

「自分はこうだった」

で終わっていればそれは別にドンマイで終わる話なんですが、
そこからさらに飛躍して

「ゲームなのだから格闘ゲームの対人戦もこうあるべきだ」

まで話が飛んでしまうと燃料が満タンになり、よく燃えます。

理由は先程も言ったように
それは1v1ではなくパーティゲームの論理だからです。

(※対人戦ではなく1人用の問題点に言及する場合はこの限りではないが)

気持ちはわかる




8. おわり

大体こんなとこですかね。

オチはないんで、最後に私なりの格闘ゲームの向き/不向きについて触れて終わろうかなと思ったんですが、書いた後読み返してみたら思った以上に汚い言葉が並んでたんでやっぱりやめておくことにします。


オプーナちゃんは生まれつき心臓が弱く 一カ月以内に心臓移植が必要です しかし移植には100万×7140円という莫大な費用がかかります オプーナちゃんを救うためにどうか協力をよろしくお願いします