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友と、新しい約束をした日


20代前半のある夏の日。
「特等席があるよ」という友人Aの誘いに乗って、私たちはある大学の構内をそそくさと歩いていた。手には近くのコンビニで買ったばかりの、よく冷えた缶ビールと酎ハイ数本。そして少しのお茶。

その日は市内の花火大会。
Aの通う大学の屋上は、目の前に大輪の花火が上がる絶好のロケーションなのに誰一人いない、まさに特等席だった。


昼間の暑さがまだやんわりと残る屋上のコンクリートに腰を下ろし、みんなで乾杯をした。
きんと冷えたビールが、乾いた喉にしみていく。
特等席に招待してくれた人のいいAは、いつものようにお茶をグイっと飲んでいる。

「あーっ!」

誰かが声を上げた。

目の前にあがる花火とは違うその声の方向に目をやると、伸ばした片方の手のひらにふんわりのるくらいの、別の花火が上がっていた。
しばらくするとまた別の方向から、さらに一回り小さな花火。
そしてまた別の方向から。音もなく打ちあがっては消える、ビー玉程の花火が遠く見える。


思いがけず四方から打ちあがる大小さまざまな花火で彩られた夜空は、今まで見たことのない光景で。だけど、ロマンチックのかけらもない私たちは、そんな美しい夜空を眺めながら、静まり返った構内に大声を響かせた。



かれこれ30年とか、40年とかの付き合いなる、大切な仲間がいる。
男も女も入り混じっているので、世に言う「異性間の友情」が成り立つ勢、というやつなんだろう。

でも正直私たちにとって、性別なんかは取るに足らないもので。
そんな事を意識しないくらい幼い頃からの付き合いのもいるが、そもそも『人と人』として、心で向き合い繋がってきた、気の置けない仲間たちだ。

大学時代は各々離れていながらも、夏や冬の休みの度に集まっては、たわいもない話や誰かの恋バナやらをつまみに、雑魚寝をしつつ朝まで飲み明かした。
いや、まとまった休みなんかなくても、暇さえあれば誰かが誰かしらと遊んでいた。

各々恋人ができても、社会人になっても、仲間たちとの付き合いは何ら変わらなかった。


やがて各々結婚し、随分と大人になった今。
子育てやらに忙しい日々となり、会う頻度こそ少なくなったが、昔と変わらず自分の真ん中を支えてくれている大切な存在として、今なおみんなが傍にいる。

そして更に歳を重ね、やがて定年を迎える頃には。
みんなで、できうれば皆の家族も含めて、どこかの縁側に集まって乾杯するのが、ずっと変わらぬ一つの夢だ。



みんなを特等席に誘ってくれたAは、その中でも一番付き合いが長いうちの一人だ。

私の中に残っている最初の記憶には、既にAがいる。
里山の広がる、過疎の町の小さなコミュニティで生まれ育った私たちはきっと、記憶として残るよりもずっと幼い頃から一緒だったのだと思う。


小学生の頃。女友達がなかなかできなかった私は、Aを含めた男の子たちと遊ぶことが多かった。
もしかするとAたちは、私の孤独に気付いて手を差し伸べてくれていたのかもしれない。

中学生になり、仲間が増えた。
私には、一生涯の女友達もできた。
高校生になり、大学生になり。
仲間はまた少しずつ増えていった。

そして私たちは、時に盛大なバカ騒ぎをし、時に悩みを分かち合いながら、一緒に大人になった。


やがてAは、私の大人になってからの友人Nちゃんと恋をし、結婚をした。
仲間と友人が結婚したことがうれしくて、お邪魔虫と知りながらも私は度々A夫婦の家に遊びに行っては、お酒好きなNちゃんと乾杯をした。
下戸のAは嫌な顔一つせず、むしろ楽しそうな笑顔で、気持ちよく酔っぱらった私の送り迎えまでしてくれる、相変わらずの人のよさだった。


そんなAは、どこの空にも花火が打ちあがらない今年の夏、あの時遠くに見えた、音の聞こえない小さな花火のように、静かに空へと昇って、ぱっと消えてしまった。


Nちゃんとの結婚が決まる少し前。
20代後半だったAに、病気が見つかった。
ステージ、という言葉でその程度を表す病。
Aのステージは、あまりいい数字ではなかった。

手術をしてもなお残る厳しい現実と将来を、二人はしっかり向き合い、話し合い、そしてともに歩んでいくことを決めた。


いつも笑顔の二人に、いつしか安心感を覚えた。


数年経った頃。Aはいつもと変わらぬ調子で、転移が見つかってさ、と、いたって明るく話して見せた。


それからAは、何度も入退院を繰り返し。
いろいろな治療をしながら、治療の副作用とも闘いながら、その時々の自分の体と向き合っていた。

でも、いつ会っても、二人とも変わらず明るくて。時にこっちが拍子抜けするほどだった。



気づけば、最初の手術から14年が過ぎたある日。
Aと同じ職場で働く仲間の一人、SからLINEが来た。

最近、Aの様子がおかしいと。


動揺を抑えながら急いでNちゃんに電話をかける。


「今日、また入院したのよ」


いつも、何があっても穏やかだったNちゃんの声が、涙で微かに震えていた。



そして、その数日後。
Aは空へと消えてしまった。



Aとの最後の別れの日。
導師の読経が始まると同時に、外はいきなりの豪雨になった。
あまりにすごい雨音で、読経は全然聞こえない。

残された者の勝手な思い込みなのだろうが、雨男のAが直ぐそばで大騒ぎしているようで、思わず天井を仰いだ。

やがて、旅立ちの時に合わせるかのように。
あんなにひどく降っていた雨は止み。
洗われた空には、雲の切れ間から、突き抜ける夏の青が見え始めていた。
うだるような暑さが、雨のおかげで随分と凌ぎやすい。

小さな肩に全てを背負い、腰に大きな花の章をつけ。涙を見せず、凛とまっすぐ前を見つめるNちゃんへの、Aからの最後のプレゼントのように思えた。


時勢の影響で、最後の別れはごく少人数だった。
見送りに来れない仲間もいた。
そんな仲間の想いも抱えながら、色とりどりの花で埋め尽くされたAの棺を、Sと、幼なじみの仲間のYが最後にしっかりと支えた。



「あいつ、骨太だから重いんだよ」

「そういえば雨男のくせにさ、『俺は微妙に違う』っていって、あいつ絶対認めないんだよねー」


微かに雨のにおいをまとった爽やかな風が、額の汗を拭うようにかすめていく。

あっという間に空に広がった、吸い込まれそうに綺麗な夏の青を時折見上げながら、みんなでいつまでもAの話をした。



その夜。
コンビニで缶ビールを1本買った。
母となってから8年ぶりに口にしたビールは、ほんのり苦くて、しょっぱかった。



数年前。何度目かの入院をする朝。Aは珍しく電話をかけてきて、少しおどけながらこう言った。


「何かあったらさ〜、Nのこと、よろしくね」



大丈夫だよ。
そんなこと言わなくたって。


時がもう少し経ったら。冷えた缶ビールと酎ハイ、それからお茶を1本持って、また君達の家に遊びに行くよ。そして、尽きない君の話をつまみにして、あの頃のように、またNちゃんと飲むからね。


それから。


君の素敵な子供たちが大人になるころ。
みんなでどこかの縁側に座って、笑顔で、空にむかって大声で乾杯をするからさ。
みんなのことがよく見えるその特等席から、ちゃんと見ててよね。
勿論、君のお茶も用意しておくよ。

あ、雨だけはほどほどに。よろしく。


Aからの返事はもうない。
けれど。

やけにしおからいビールをぐっと飲み干しながら。
瞼に浮かぶ、変わらぬ笑顔のAと、
この日、新しい約束を交わした。


ちょっと遠くはなったけど、またいつか。
お茶とビールで乾杯しようね。


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