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夢を追いかけない人へ言いたいことがある。好きな唄は叶うぞ。

クサイ台詞なんですが、夢って叶うものです。

正確には叶うまでチャレンジする価値のあるものが『夢』と呼ばれるべきだと考えています。

小学校低学年の頃は、サッカーがスキでした。
スキが仕事になればいいと思って、サッカー選手になるのが夢でした。
しかし、残念ながら運動神経は良い方ではありませんでした。
何故か妙なガッツだけは持っていたようで、マラソンを頑張っていた記憶があります。
今でも実家に、6年生の時に出場した陸上大会の表彰状が飾ってあって、帰省する度に学生時代のガムシャラなエネルギーをふと心の奥底で感じます。

中学生になった時には、自分の運動神経レベルがとてもじゃないけど人を喜ばすほどではないと気が付いていました。私のすぐ近くに、スーパーマンがいたからです。先輩ですが、家が近かったのとよく遊んでくれたので『Nちゃん』と呼んでいました。『Nちゃん』の運動神経はバツグンで、とにかく小さいころからタフでした。泣き虫のいじめられっ子(今思えばいじられっ子でした)だった私とは対称に、滅多な事では涙をみせず、スポーツも万能。小学校の時点で群を抜いた身体能力を見せつけて卒業していきました。
もちろん同じサッカークラブに所属していて、生まれ持った差というのをガッツリ感じました。

中学は基本的に部活は必須でした。
このままサッカーを続けるか、音楽にも興味があったので、吹奏楽部に入ろうか真剣に悩みました。両方に所属する『かけもち』は、とてもじゃないけど時間が足りません。
結局、吹奏楽部は女子ばかりだったので、トゥーシャイシャイボーイの私は存在する事が楽なほうのサッカー部を選びました。
今考えれば男としてあり得ない選択です。ブサメンでもモテ放題じゃないか!たぶん!!ドラクエ5だったらゴールドオーブをすり替える代わりに吹奏楽部に入れと助言したい!玉ついてんのかと!!言ってやりたい!!いや!!言う!!

思えば、逡巡と後悔に『恐怖する流れ』が始まっていました。
小学校高学年から、夢と現実について、よく考えるようになったのです。
サッカー部に入ったところで、私はサッカー選手にはきっとなれないだろう。でもスキではあるので続けるのもいいかもしれない。
ただ、将来私がなりたい職業はなんなのだろうか。今からできることは無いのだろうか。将来の事を考えるたびに、私は逡巡と後悔を恐れるようになりました。

この時の私の夢は声優になることでした。アニメとゲームがスキだった私は、本当に興味があるのは作り手にまわる芸事でした。

当時は『マクロス』という『歌が物語の中心にあるアニメ』が流行っていました。私は音楽もスキだったので、強く影響を受けました。
歌で世界を救えるなら、どんなにいいことか。
よくアニメの歌を歌っていたのを覚えています。

しかし、声優にはなれるわけがないと
チャレンジはしませんでした。
目指す事で後悔するのを恐れたのです。

怖いから、単純に逃げられるほうに逃げていったのです。
都合のいい逃げ場所は、正論の中にありました。『継続は力なり』の言葉を信じているふりをして、サッカー部に入ったのです。
逡巡が怖かったから、真面目なふりをして勉強に打ち込んだりしました。

結果、成績はよかったのですが、私は解離性障害に悩まされるようになりました。本当の自分がどれなのかわからない。本当の自分はこんなんじゃない、と本気で思っていました。俗にいう中二病のひどいやつです。
心が抑圧されると、吹き出すエネルギーはマイナスに向かう事を中学の生活で学びました。

幸い、真面目なふりをして勉強したかいあって高校には推薦で入れました。
努力が実を結んだとも言えますが、少なくとも私は満たされていませんでした。心のよりどころは、結局アニメとゲームだったのです。

二重人格に近い状況の生活を送りながらも、スキな世界は私を繋ぎとめてくれました。それは息抜きの為に楽しむとか、心を豊かにする道具としてではなく、生きるためにスキを利用する自分なりの処世術でした。

高校では演劇部があり、夢に向かって進むルートが開けたように感じました。しかしながらまだ『恐怖する流れ』は続いています。
なれるわけがないチャレンジに向かう事、それ自体がなのかもしれないのです。取り返しのつかない人生になってしまうかもしれない。その時、親はどんな顔をするのだろうか。私はどうなってしまうのだろうか。

そんな時、私は唄う事にしました。
私の世界平和は、唄う事で保てると気付いたのです。

足りなかったのは、なんてことの無い少しの勇気でした。
『勇気を振り絞る術』を、それまでの私は知らなかったのです。
私にとって、それは唄う事でした。
アニメとゲームと音楽は壁を破る力をくれたのです。

そして、その唄こそが、本当は私の夢だったのだと、今は思っています。
うまく唄う事が大事なんじゃなくて、しっかりと唄いたい内容を見つめる事が大事なんだと、思っています。

中学も高校も、私は学校で生徒会長を務めました。
ですが、中学の時の私はウソばかりついて苦しかったのに対して、高校の生活はだいぶ本音で戦うようになったせいか、とても楽に感じました。
勉強もしましたが、ケンカ好きだった私は不良とも付き合い、好きな音楽とも少しだけ向き合い、夢である世界を見つめ、演劇に打ち込み、市で活動していた劇団にも参加し、時には学校をサボって先生に怒られ(生徒会長なのに学校をサボってはいけないという言葉は今でも理不尽に感じています)、かなり自由に過ごしていました。

さすがに厳しい声優の世界でずっと生き残り続けるのは難しかったですが、端くれながら声優の仕事をゲットすることはできました。
唄う事で夢は叶ったのです。

なれの果てが今の私なわけですが、今のところ後悔はしていないようです。
というか、後悔をするかしないかという判断自体がマイナスなので、そのベースでものを考えるのをやめました。今あるのは、『次にできる楽しい事は何か』です。

では、大人になった今。
私の夢は何でしょうか。

大人は夢を見てはいけないなんて誰も言っていないのに、周りの声や情勢や歴史に押されて諦めていきます。

何かが足りないとき、私は今でも少し唄ってみることにしています。
常識や一時の意見に惑わされない為に。

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