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【読書記録10】抜群に面白い!梅崎春生のユーモア溢れる文章に触れよう。

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 今回紹介する本は、梅崎春生著『怠惰の美徳』(中公文庫)です。

 『怠惰の美徳』という題名に惹かれて本書を購入しました。ゆえに、勉強不足で本書を読むまで梅崎春生という作家の名前を知りませんでした。そこで、梅崎春生について知らない方もいると思うので、まずはそこから始めます。

戦後派を代表する作家

 梅崎春生は戦後派の作家として分類されることが多いです。「戦後派」とは、一般に第2次大戦後に登場した作家や批評家の一派のことです。梅崎春生以外には、大岡昇平や埴輪雄高などがいます。彼らの特徴として、戦時下の重圧の中で文学的な自己形成をとげなければならなかったことが挙げられます。梅崎春生は正確には「第一戦後派」に分類されるそうです。
 梅崎春生は、1944年に海軍に召集され、九州で敗戦を迎え、このときの体験をもとにした『桜島』や『日の果て』などによって戦後派の代表的作家となりました。また、梅崎は『ボロ家の春秋』で直木賞を受賞しています。

『怠惰の美徳』の魅力

 本書『怠惰の美徳』(中公文庫)は、梅崎春生のエッセイ短編が収録されています。本書は、文筆家の荻原魚雷氏が編者として選んだ、全ての怠惰な人に送る作品集となっています。
 荻原氏は解説でも次のように述べています。

 やる気が出ない。働きたくない。できれば、酒を飲んで寝ていたい。
 そんな症状にお悩み相談の、この方にこの本をおすすめしたい。
(中略)
 裕福な暮らしがしたいとか、もてたいとか、うまいものを食いたいとか、そういうことにまったく興味がないわけではないが、基本、面倒くさい。それより二度寝がしたい。

解説

 この文章に共感する読者はきっと梅崎の文章の虜になると思います。また、本書『怠惰の美徳』は難解な書物ではないので、梅崎文学の入門書のような役割を果たしており、本書を読み終えた読者が、梅崎の他の作品を読みたくなるような構成になっていると感じました。

エッセイ

 本書『怠惰の美徳』に収録されているエッセイは、題名に入っている〈怠惰〉をテーマとしている珠玉の作品群です。
 私は、最初の「三十二歳」という文章から心を掴まれました。稀代の怠け者である梅崎の文章は、怠け者としてまだひよっこの私の心を掴んで最後まで放しませんでした。ただ、〈怠惰〉ではありますが、〈頽廃的〉というわけではありません。そこが他の作家と一線を画す梅崎春生の魅力の一つなのかもしれません。
 収録されている中では、「オリンピックより魚の誘致」、「只今横臥中」、「閑人妄想」などは特に面白かったです。
 「近頃の若い者」では、次のようなことを書いています。

 しかし現代において、近頃の若い者を問題にするよりも、近頃の年寄を問題にする方が、本筋であると私は考える。

「近頃の若い者」

 一方、青年期に戦争を経験した梅崎の鋭い洞察も、収録されているエッセイで読むことができます。戦中の状況や、戦後に豹変してしまった日本人や日本社会に、卓抜な観察眼で本質を抉り出します。しかし、その鋭さにもユーモアを混ぜるのが梅崎の真骨頂だと思います。

短編小説

 本書には7編の短編小説が収録されています。どれも面白いですが、主人公の周りに対する態度や考え方に笑わせられたり、考えさせられたりします。
 例えば、『寝ぐせ』という作品の冒頭は次のようになっています。

 寒くなると、蒲団が恋しくなる。一旦蒲団に入れば、そこから出るのがいやになる。いやになるから、朝眼をさましても這い出さない。

「寝ぐせ」

 まさに怠惰の教科書という文章です。文芸は、人情、世相、風俗を描くものだと言われます。「人情を描く」とは、人間の感情をそのまま描くということです。小説や文学は、人間の様々な本性を描写しますが、梅崎は人間の「惰性」を見事に表現していると思います。

 次の文章も魅力的です。

 病的とは何だろう。また健康とは、どういう形であるものだろう。今の時代において、僕はそれらを理解できなくなっていた。自らが時代からはみでたコブのようなものであることは感じていたが、そうかと言って、コブであることに腹立てたり、恥ずかしがったりする神経は、とっくに失っていた。しかし、生きてゆくについての、不快な手ごたえと、ざらざらした抵抗感は、おおむねそこから出ていることも僕は同時にかんじていた。

「一時期」

 この文章に共感する人は多いのではないでしょうか。勤勉な現代社会で生きていくうえで、怠惰に生きていると、どうしても異質な存在となってしまいます。社会の中で怠け者であり続けることの難しさと不安定さをこの文章は見事に表現していると思います。

そんなに無理に頑張らなくても

 本書『怠惰の美徳』を読み終えて、なぜか前向きになっている自分がいます。ユーモア溢れる文章はどれも面白く、短編小説も美しい作品ばかりでした。
 梅崎春生という人間から見れば、「私たち現代の日本人は働き過ぎ」だと見えるでしょう。「そんなに無理に頑張らなくても、やる気がなくても、なんとかやっていけるよ」というようなメッセージを私は受け取りました。
 偉い文学者先生が厳格な道徳を説いても、あまり響かないのですが、梅崎のようなだらしない(ように見える)人が、ボソッと本質を突くようなことを言うと、なぜか心に深く突き刺さります。


 日々の日常に忙殺されている人、「成長」という言葉に憑りつかれてる人はぜひ、梅崎春生の『怠惰の美徳』を読んでみてはいかがでしょうか。


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