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アブラモビッチとプーチンの関係についての覚書

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 フットボールが好きな人の中には、フットボールが国際政治の影響を受けたり、逆に影響を与えたりしてきた歴史を知ってる人は少なくないと思います。今回はロシアのウクライナ侵攻の欧州フットボールへの余波についての話です。

アブラモビッチがチェルシーと距離を置く

 現地2022年2月26日に、ロシア出身の大富豪・アブラモビッチ氏がチェルシーの管理・運営権を譲渡することが明らかになりました。アブラモビッチは事実上経営から身を引く見込みとなりましたが、ただオーナーとしてはチェルシーに残ります。

 この記事で書かれていることは、アブラモビッチがプーチン大統領との繋がりが強いとされていること、そしてそのため、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、英国内での経済活動を禁じる、もしくは資産を差し押さえるなどの制裁が科される可能性があることです。
 このような状況を考慮して、アブラモビッチはクラブと少し距離を置く決断をするに至りました。

 このような事態を受けて、「昔読んだ本で、アブラモビッチとプーチンの関係についてチラッと言及されていたけど、何の本だっけ?」と思い、本棚からその本を探し続けていると、やっと見つけたので、覚書程度にこのnoteに残しておきたいと思います。

プーチン、ベレゾフスキー、アブラモビッチ

 その本は、2015年に出版された『佐藤優の実戦ゼミ  「地アタマ」を鍛える!』(文藝春秋 2月臨時増刊号)です。

 佐藤優氏は、外務省の主任分析官として対ロシア外交に携わり、その後に作家として多くの著作を発表しています。アブラモビッチとプーチンについてチラッと言及されていたのは、フランス文学の専門家である鹿島茂氏との対談においてです。
 以下の引用は、佐藤優氏が、プーチン政権になって政権とロシアのマフィアで戦争が起こったときについて述べている箇所です。

佐藤 プーチン側の完全な勝利で終わりました。負けた方々は亡命したり、収監されたり。唯一、新興財閥ロゴヴァズの総師・ベレゾフスキーだけが、ロンドンに亡命して果敢に戦っている。彼の家にも行ったけど、おもしろい男ですよ。ベレゾフスキーを叩くためにロシアは国策映画まで作った。DVDにもなった『大統領のカウントダウン』です。出資したのはチェルシー(イングランドのサッカークラブ)を買ったアブラモビッチなんですが、彼はもともとベレゾフスキーに目をかけられて金融資本家になった人物。しかし政権に「内側へ来るか、外側へ行くか」と問われて「はい、内側へ行きます」と言ったんでしょう。
鹿島 日本の戦国時代みたいですね。恩人を討って成り上がるという。
時流にこびない反逆者たち 鹿島茂×佐藤優」

 つまりここで述べられていることは、アブラモビッチはベレゾフスキーの下で資本家になりますが、ベレゾフスキーがプーチンと対立したため、ベレゾフスキーではなく、プーチン政権を選択したということです。

アブラモビッチのかつての師ベレゾフスキー

 アブラモビッチとプーチンの関係を考えるにあたって、ベレゾフスキーについて触れなければいけません。

ロシアの実業家ボリス・ベレゾフスキー

 ベレゾフスキーは応用数学で博士号を取得し、後に実業家に転身した人物で、新興財閥の1つであるロゴヴァズの総帥として富を築きました。彼はエリツィン時代に台頭したオリガルヒ(新興寡占資本家)の代表的な人物の1人で、リアルポリティクスに大きく関わり、影響力を多分に行使していました。
 ところが、プーチンが大統領に就任すると潮目は変わり、プーチンはオリガルヒの影響力を削ぎにかかりました。プーチンがオリガルヒを締め出すのは、あくまでベレゾフスキーのように政治に口を出すからであって、お金を儲けているからではないとも言われています(特にプーチンとベレゾフスキーが対立したのは第二次チェチェン戦争であり、ベレゾフスキーはこのチェチェン戦争に反対を表明していました)。要するに、エリツィン派の一掃による自身の政治基盤の安定化を図るためというのが実情でしょう。
 プーチンはベレゾフスキーに対立姿勢を見せたため、ベレゾフスキーは国外へ亡命します。そして、亡命先のイギリスでプーチン政権を公然と批判し続けます。

 そんなベレゾフスキーが目をかけていたのがアブラモビッチです。ベレゾフスキーはロゴヴァズの管理をアブラモヴィッチに任せ、共同でトラストを設立しました。ちなみに、ロゴヴァズは石油企業や自動車販売を中心とする複合企業です。
 アブラモビッチは2003年にチェルシーを買収します。チェルシーはアブラモヴィッチの財力を背景にビッククラブの仲間入りを果たしますが、その財力の原点となったのはビジネスパートナーのベレゾフスキーです。

師との訣別、親プーチン派へ

 ベレゾフスキーとプーチンの対立が激しくなり、アブラモビッチの立場は難しくなりますが、佐藤優氏が述べるようにアブラモビッチがプーチンの側についたのは明らかです。反プーチンとして活動したために、資産を没収されたり、逮捕されたり、暗殺されたりした人を多く見てきたからでしょう。
 アブラモヴィッチがプーチンとの関係を強めたことで、かつての師であるベレゾフスキーとの関係は当然悪化します。2011年に、ベレゾフスキーは、アブラモビッチに石油会社の持ち分30億ポンド(約4270億円)の返還を求めて訴訟を起こしています。この裁判では、ベレゾフスキーの証言は信憑性に欠けると判断されました。ただ、この民事訴訟により、アブラモビッチが関わってきた不透明な取引やプーチンとの金銭的なやり取りの一部が明らかになりました。

 この裁判の一年後、ベレゾフスキーの死体がロンドンの自宅で発見されます。死因は自殺であるとされていますが、死因は不明だと結論づけた検視官もいて、真相は分かりません。
 プーチンが、自身を批判する逃亡者やジャーナリストに暗殺も厭わないことは有名で、たとえばリトビネンコもその1人です。リトビネンコはチェチェン軍事介入の闇を知るロシア連邦保安局(FSB)の人間で、後にイギリスに亡命しロシアに対する反体制活動家となりますが、彼の後見人がベレゾフスキーでした。そのリトビネンコは、2006年にロンドンで致死性の放射性物質ポロニウム210を盛られて毒殺されました。

 海外へ亡命したオリガルヒの多くが不審死に見舞われる中、アブラモビッチは逃れることに成功しました。敢えて目立つチェルシーのオーナーになったことで、暗殺から逃れたという意見もありますが、それがどこまで妥当なのかは分かりません。
 ただ、アブラモビッチがプーチンの活動に出資したり、ロシアW杯の誘致に一役買ったりしているため、英国では、アブラモビッチがプーチン(の独裁政治の基盤)を手助けする人物の1人だという見方もされています。幾つかのメディアで、アブラモビッチが親プーチン派と紹介されるのはこの辺りの事情からなのでしょう。

非民主主義国とのつながり

 今回の一連の件で、アブラモビッチを批判するのはあまりに可哀想ではないか、という意見があります。たとえばアブラモビッチがプーチンのウクライナ侵攻のための資金援助をした証拠がないのだから、と。
 ただ、プーチンが西側諸国の許容できない行為をしたのは、このウクライナ侵攻が初めてではありません(ここまで大規模な戦争はいままでかつてなかったことですが)。第二次チェチェン戦争のみならず、グルジア紛争、クリミア半島占拠、シリアでの戦争などがそれに当たります。ゆえに、プーチンとの強い繋がりは英国をはじめとする西側諸国にとって、歓迎されるものではないどころか、危険視されるものなのです。実際にイギリスでは10年くらい前から、アブラモビッチとプーチンの関係に政界から懸念の声が上げられています。

 フットボールは世界で最も人気のあるスポーツであり、イングリッシュ・プレミアリーグは世界中に視聴者を持つリーグです。そんな世界的なコンテンツであるリーグに属する人気チームのオーナーがプーチンと強い繋がりあるとなれば、英国政府にとって対外的に決して良いものではありません。よって、英国政府からの何らかの制裁や資金の凍結を逃れるために、アブラモビッチはチームと距離を置く決断をしたのでしょう、愛するチームを護るために。

 欧州を中心とするフットボール市場は巨大であり、世界中に視聴者を持っています。近年では、オーナーによる莫大な資金を背景にスター選手を獲得することによってビッククラブの仲間入りをするチームが増えてきています。しかし、ヨーロッパでは以前からずっと民主主義ではない国との付き合いは慎重でした。ところが、今の欧州のフットボールシーンを見渡せば、非民主主義国のオーナーやスポンサーとの繋がりなしに、クラブ経営は成り立たないことは明らかです。
 そして、今回のように、ロシアや中東のオイルマネーやチャイナマネーが時としてリスクになる可能性があるということです。改めてフットボールは政治と不可分だと実感します。もちろん、プーチンと繋がりのあるアブラモビッチと、他のチームのオーナーやスポンサーを類比的に語ることは正確ではないかもしれませんが。

まとめ

 アブラモビッチは、自身の(家族を含む)資産と生命を守るために、プーチンの側につきましたが、プーチンがウクライナへ侵攻を決意したことにより、彼が英国で公に活動することが難しくなったというのが、今回の出来事だと思います。
 政治とスポーツは不可分です。逆に、世界的なスポーツであるフットボールが政治と無関係な所を見たことがありません。W杯の開催地誘致、CLの出場リーグの割り当て、ユーロやW杯での出場チームの拡張、スーパーカップの中東での開催、これらが政治と無関係なわけがないですし、政治と関係があるほうが自然です。だからこそ、よりクリーンな政治(民主的な手続きなど)との付き合いをすることがフットボールにとって良いことであると改めて感じました。


 今回は以上です。

参考文献


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