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ゲームの思い出

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僕が昔プレイしたゲームの思い出を綴ったものです。
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記事一覧

ゲームの思い出:バーチャロンシリーズ その7 電脳戦機バーチャロンマーズ part2

ツインスティックをPS2で動かすのには時間を要した。動いたと思っても片方だけしか動かなかったり、そもそも認識すらしなかったり。あのころの僕は手探りで作業するには圧倒的に知識が足りていなかった。 僕は仕事から帰ると毎日ツインスティック制作に精を出していた。しかしなかなか上手くいかない。DUALSHOCKをいくつダメにした頃だったろう。 当時ハマっていたガンダムウォーと言うカードゲームの大会に後輩と参加することになり、大会を行うショップの最寄りだった僕の家に久しぶりに集まった

ゲームの思い出:ロックマン4

あなたがゲームBGMを最初に意識したのはどのタイトルだろうか? 僕の場合、それはロックマン4だった。 ある日のことだ。珍しくいとこのお兄ちゃんが家に遊びに来た。 いとこのお兄ちゃんはスポーツがとても得意で、マラソン大会等ではいつも上位に入賞していた。もう何年も会っていないが今でもスポーツインストラクターとして活躍しているらしい。 そんなお兄ちゃんが、僕がサッカーの試合でゴールを決めたと聞いてゲームソフトをプレゼントしにわざわざうちに来てくれたのだ。 いとこのお兄ちゃんは

ゲームの思い出:スーパーマリオワールド

毎日のようにテレビでマリオが歌うCMが流れていた。 あのスーパーファミコンがついに発売する。 僕たちの期待は否が応でも盛り上がった。 スーパーマリオワールドはスーパーマリオブラザーズの4作目。一応小さくスーパーマリオブラザーズ4と書いてあるが、案外知っている人は少ない。 1990年11月21日、スーパーマリオワールドは、スーパーファミコンのローンチタイトルとしてFZEROと共に発売した。 初めてスーパーファミコンのコントローラーを、ワクワクしながら握り、マリオを動かす

ゲームの思い出:モンスターコンプリワールド

モンスターコンプリワールド。 それはCDからダンジョンを生み出し、そのダンジョンに潜って、モンスターを捕獲して育てる、そしてそのモンスターを使って大会を制覇する。そのようなゲームである。 ざっくばらんに言えばこのゲームはこのゲームの少し前に流行った色々なゲームの要素を組み合わせたゲームだった。というかドラゴンクエストモンスターズ・テリーのワンダーランドから配合システム抜いてダンジョンがCDから出るようにしたものと思って貰えれば大体あってる。 このゲームはスペクトラルシリ

ゲームの思い出:バーチャロンシリーズ その3 電脳戦機バーチャロンフォース part1

人生で一番お金を使ったゲームは何か? たまに聞かれるこんな質問。僕は正直に答えて引かれたことが割と多い。 僕は電脳戦機バーチャロンフォースを中古で筐体が買えるほどプレイしていた。 総額350万はフォースに使っているのではないだろうか。 あの日、模型部の部長に誘われ、ゲームセンターに来た僕たちは5台並んだ筐体を見つけた。 電脳戦機バーチャロンフォース(以下フォース)。 4台は普通のゲーム筐体。 そして残り1台はターミナルと言って、色々な事ができるものらしい。 僕たち

ゲームの思い出:バーチャロンシリーズ その6 電脳戦機バーチャロンマーズ part1

就職をしてしばらくした頃、部長から1本の電話があった。 「バーチャロンの新作が出るみたいだ」 バーチャロンの新作!!遂に出るのか!! 僕はアーケードで新たなるバーチャロンが出る事を期待していた。しかし、現実はPS2で出るのだという。 PS2?なんで? 正直な話、世間一般の評価と違い、当時僕達の中でPS2はそれほど評価の高いハードでは無かった。 大作RPGとアーマードコア2、スーパーロボット大戦IMPACT等はプレイしたかったが、未だ現役のPSとセガサターン、ドリームキ

ゲームの思い出:星のカービィ

まるかいて♪ おまめがふたつ♪ おむすびひとつ♪ あっというまに……ほしのカービィ! あの頃の僕は任天堂のCMが好きだった。 当時の任天堂のCMと言えば歌だった。 有名な歌を替え歌したもの、絵描き歌、オーケストラ、ダンス。その殆どに専用の曲があった。 その殆どが今でも当たり前のように口ずさめるものが多い。 その中でも僕が印象的なものはやっぱりカービィの絵描き歌だ。 冒頭の絵描き歌は分かりやすく、本当に誰にでもカービィが描けた。 人気があったのかファミコンで出た

ゲームの思い出:バーチャロンシリーズ その5 電脳戦機バーチャロンフォース part3

VOX-Mariko。 脚部をホバーに変え、ガトリングガンを携えたVOXのバリエーション機体である。 その特徴は足の速い地上ダッシュとダッシュ旋回、早いジャンプをうまくつかぅて逃げまくり多段ミサイルとナパームをばらまいて戦う機体だった。 ガトリングは小気味よく弾が連射できる武器できちんと当てれば驚異的なダメージを与えられる武器だった。 ……きちんと当てることが出来れば。 ガトリングガンはほとんど誘導しないという特性があった。つまり狙った敵が大きく移動してしまえばほと

ゲームの思い出:でるでるでるじゃん

でるでるでるじゃんというアーケードゲームがあった。  当時プラモデルに飢えていた僕は休日買い物についていってこのゲームをプレイするのが常だった。 このゲームはハイパーバズーカをもったガンダムのトリガーを左右に動かし、ランプが付いた敵を撃っていくもぐら叩きのようなゲームだ。 反射神経と連打力が全てのゲームで30点以上を出せば景品が貰える。最高ランクのニュータイプまでいければ景品が3個貰える。しかし僕は一度もニュータイプまでいけたことはなかった。 僕はこれでしか貰えない限定の

ゲームの思い出:バーチャロンシリーズ その4 電脳戦機バーチャロンフォース part2

 バーチャロンフォース(以下フォース)が出てしばらくすると、うちの部で爆発的にバーチャロンが流行り始めた。 最初は僕と部長、後輩一人の三人だけだった。  毎日授業が終わってすぐ、部室の鍵を開けると僕たちはすぐに自転車を走らせた。最寄りのフォースが設置しているゲームセンターへは自転車を飛ばして10分ほどかかる。三人ともに無言で自転車を飛ばし、フォースをプレイ。大体3回ほどプレイした辺りで強いプレイヤーがたくさん来て対戦台となってしまうのでそうしたら部室に戻る。 帰り道はフォー

ゲームの思い出:スーパーロボット大戦

僕はスーパーロボット大戦シリーズが大好きだ。 多分ガラケー時代に移植されたスーパーロボット大戦R以外は全てクリアはしているはずだ。 そんなスーパーロボット大戦シリーズとの出会いはゲームボーイを初めて買ってしばらくたった頃のことだ。 ゲームボーイ発売からしばらくたって、お年玉でゲームボーイ本体とソフトをようやく買えた。 最初に買ったソフトは魔界塔士Sa・Ga、あやかしの城。そしてジェムジェム。箱も説明書もついていない裸ソフトだったが全て480円だった。 この中でもSa・

ゲームの思い出:エストポリス伝記2

 物語においてネタバレは必ずしも物語を台無しにするものではない。 ここに1本のRPGがある。 エストポリス伝記2。 エストポリス伝記の続編である。  エストポリス伝記のオープニングはエストポリス伝記2の最終決戦から始まる。 なので、エストポリス伝記をプレイした後にエストポリス伝記2を開始すると主人公のマキシムがどうなってしまうのか最初からプレイヤーは知っているのである。  このゲーム。スーパーファミコンのRPGの中でトップクラスに出来がいい。 ストーリー、キャラ、や

ゲームの思い出:バーチャロンシリーズ その2 電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム

 かつて、ドリームキャストというゲーム機があった。SEGAがPS2に先んじて発売したのだが、ハードの生産が追いつかず、一番売れる時を逃してしまい、そのままPS2に負けてしまったとされているハードだ。CMの効果などで発売当初の人気はかなりすごいものだった。生産が追いつかなかったのが悔やまれた。 このハードの特徴はアーケードのゲームがそのままにプレイできるものが多かった事だ。 当時もう最盛期を終えていたものの定番ジャンルとして定着した格闘ゲーム。弾幕シューティングというものが

ゲームの思い出:ニンテンドーオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ

 ストリートファイター2の流行により格闘ゲームというものが流行り、定番のジャンルとして定着した。 しかし、操作の複雑化などにより、新規でプレイする人がどんどん減っていた。 そんな時、一本のゲームが現れる。 ニンテンドーオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ。(以下スマブラ) このゲームは僕たちの対戦ゲームの環境を一変させた。  「なんか任天堂のキャラだけの格ゲーが出るらしい」  たまに他のゲームで遊ぶことはあっても、依然としてポケットモンスターをメインで遊んでい