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持って生まれた軽薄

人は気分屋である。程度の差こそあれ、誰しもがそう。
『忘れる』機能がうまく作動していると言えばその通りだが、諸行無常のスピードが早すぎるのが人の気分だ。

 ノートルダム大聖堂が燃え落ちた。
頭を殴られたようなショック。850年も前から人々に敬われ、世界中の人が旅先に夢見、信仰の対象になってきた存在が、半日もかからず燃え落ちた。

 私の祖母がノートルダム大聖堂が大好きで、死ぬまでに行きたいと幼い頃から聞いてきた。物心ついた時には祖母に海外旅行を経験させてあげる最初はフランス、パリと決めていたものだから、酷い衝撃を受けた。

この悲しみを昨日背負った私は、今朝起きた時にはこの悲しみを忘れていた。とんだ気分屋である。

 心揺れ動く映画を見ても、数時間後にはその感動は忘れているし、美味しいご飯を食べた後の感動は食後の薬の時間までももたない。ふと思い出すと悲しくなる出来事は沢山あるんだけれど、恋人と笑い合っている時にはその全てを忘れている。

数分前まで楽しく笑い合っていたのに、一言をキッカケに喧嘩になる。持って生まれた軽薄。人は気分屋である。

 日々自己嫌悪し、自分を戒めようと思うのがこの『軽薄さ』だ。
 自分は理不尽な差別のある社会に対して反吐がでるほどのヘイトを持っている。それは小さい頃程強かったようで、障害者や難民、被災者、病人、何らかのハンディキャップを持つ人達の力になりたいと思いつつ、それを理解できない人達とは一線を引いてきた。障害者で特別学級(今思うと特別学級という響きも虫酸が走る)にいた友人を馬鹿にし、日々からかっていた学友を、階段から蹴落とした事もある。その当時は同じ障害を負わせてやろうと本気で思って蹴落としていたのだから恐ろしい。
 そんな極端な事は大人になるにつれしなくなったが、それは理不尽に対する怒りが冷めてきたのかもしれないと、自己嫌悪に陥る。

最近は今まで芯からは理解できていなかった『ハンディキャップ』について腑に落ちる部分が出るかと思っていた。しかし、自分の事で精一杯で、何の行動も起こせないし、今までで1番、何の社会貢献も出来なかった地獄のような期間でもあった。

自分の具合が悪いから、大事にする価値観が薄れる。反吐が出るほどの気分屋である。

この『持って生まれた軽薄』を根源から叩き潰してやりたいと思うのと同時に、誰よりも理解したいとも思う。

 人の気分は、自分の気分は、その瞬間にいつでもどうにでも変わる。大事なことを忘れる瞬間の方が多い。感情は刹那に消える。
れを踏まえて、気分を察する、タイミングよくコミュニケーションをとる、行動する。

 自分は軽薄だ、他人も自分ほどではないが軽薄だ。そう自覚、他覚して生きなければ気分に流される人生を送ってしまう。

 行動が伴わない言動や思想はビールの泡みたいなものだ。時間が経てば消える。一口で消える。多ければ鬱陶しがられる。もはや無くてもいい。気分とはそんなものだ。人が持って生まれた軽薄。
 この『気分』という鬱陶しくも捨てきれない悪友と、付き合う術を知らなくてはいけない。

 世の中のジレンマと矛盾は必ず存在する。

ノートルダム大聖堂の焼け跡を、再興した姿を、祖母と楽しめる人生でありたい。諸行無常、もののあはれ、欠ければまた満ちるものである。

#コラム #自己否定 #自己嫌悪 #自己検証

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