来年のテーマは「余白」と既に決まっているのですが、改めてタイトルにある通り、「履歴書に書ける美徳」を重要かつ緊急なものだと責め立ててくる資本主義にいながら、どこまで「弔辞で読まれる美徳」を貫けるか、が大切だなぁと思います。そして今の枠組みで1兆円企業をつくったところで、それはあくまで前者のように受け止められる危機感。合理性を追求する方が思考停止で凄く楽なのですが、敢えて考える余白を持ちたいと思います。また元日に松蔭先生にお参りをしながら考えようと思いつつ。
今年のテーマは「中庸とか寛容とかバランスを取りながら、常に止揚する活路を見出す想いは捨てず、思考停止しない1年」で、「常に自分達のコミュニティと関わるコミュニティをより良くする気持ちで、明日と明後日で考える基準を変え続けながら、手を動かしていきたい」という意思表明を元日にしていました。
基本考えることは変わっていませんが、今年も沢山の挫折と挫折と挫折があったので、途中からは「必要な経験をください。もしまだあるとするのなら。それを私にください。」という心構えで生きてきました。挫折やそれによる新しい当事者性の獲得をする為に生きているようなものなので、お陰様で、経験したくもないこと、自分ではどうにもならないこと、それも経験として腐らずに生きていたら少しは報われること、など短期間でも面白い変化がありました。
誰でも愛せるのは変わりないんですが、先日の落合さんのプロフェッショナルを見ていて、やはり当事者性の獲得を人ごとにせず、それをどこまで具体化できるかに命を燃やしているような人たちとチームでいたいと改めて思わされる素晴らしい言葉もありました。
普段「本質的」などの抽象的な言葉で誤魔化される内容の具体性が詰まっている言葉で、心に残っています。彼が障害に対して当事者意識を持たず、別の研究ばかりしていたら、弊社のオフィスに置いてあるレルクリアも、xDiversityの様々のプロジェクトもなかった世界線があると思うと、恐ろしくさえ思えるのです。
今年も原爆ドーム、平和祈念資料館へは行きます。「一生けんめいすると、何でも面白いと思った。」と私も思えるように。
分かりきったような口を聞かない、永遠に生きるように学び、今日死ぬかのように生きる、というスタンスも変えずに生きたい。AIよりも速いスピードで、AIと協力しながら、新しい景色がつくれる予感がしてきていることは喜ばしいことです。
今年は良いメンターに出会うことができて嬉しい。結局7月〜9月は色々な人との関係性で心身共にボロボロになりましたが、そのお陰で、まさに「必要な経験」を経ることができて、「灰にはならない」ことを実感しました。
余白がないと誰かの言葉に耳を傾けることもできなければ、余白がないチームの中で心が動くような言葉に気付けることも少ない。そんな中で意図的に余白の時間をつくってくださるメンターの方々には感謝してもしきれません。
今年一番人に読んでいただいた記事はこちらでした。あくまで自分のためだけに書いているnoteなのですが、「イメージ、それでもなお」と「ビルケナウ」が繋がった時の感動を分かち合える人と出会えたりするとそれは嬉しく思います。
資本主義や誰かの都合によって余白なく生き続けていると、結果やキャリアや、一見大事そうに見える、死ぬ時に偽物だったと気付くような光に騙されて、変なものに執着して、大事なものを見過ごして生きてしまう。
タイトルで言う、履歴書に書ける美徳です。
弔辞で読まれる美徳、としてうまくバランスが取れているのはヘラルボニーの仕事です。勿論資本主義の合理性や忙しさ故の思考停止、そんなものと戦えるのも良い経験で、私に必要な経験を与えてくれています。
2023年唯一、誇れるなぁと思った仕事も「履歴書に書ける美徳」の枠を出ないので、もっともっと経験を積みます。
来年からはヘラルボニーの仕事、コーチングの仕事、事業企画の仕事、に加えてメタバース企業のCFO候補としても働くことになりました。MBAもまた通う予定です。信頼できる友人と、起業する年にもなるでしょう。
唯、そのどれもが殆ど「履歴書に書ける美徳」でしかなくて、それらを仕事の中でも「弔辞で読まれるような美徳」に昇華させる為に、余白を作り続けたいと思います。
来年の考えは今日明日全力でアートに触れて、休んで、フレッシュな頭で松陰先生と対話しながらまとめます。
2023年、関わっていただいた皆様、こうしてnoteを読んでくれている皆様、本当にお世話になりました。皆様が思うそれぞれの幸せを感じられる2024年でありますように。