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履歴書に書ける美徳と、弔辞で読まれる美徳。(2023年も生き延びた事へ感謝のお話)

 来年のテーマは「余白」と既に決まっているのですが、改めてタイトルにある通り、「履歴書に書ける美徳」を重要かつ緊急なものだと責め立ててくる資本主義にいながら、どこまで「弔辞で読まれる美徳」を貫けるか、が大切だなぁと思います。そして今の枠組みで1兆円企業をつくったところで、それはあくまで前者のように受け止められる危機感。合理性を追求する方が思考停止で凄く楽なのですが、敢えて考える余白を持ちたいと思います。また元日に松蔭先生にお参りをしながら考えようと思いつつ。

 今年のテーマは「中庸とか寛容とかバランスを取りながら、常に止揚する活路を見出す想いは捨てず、思考停止しない1年」で、「常に自分達のコミュニティと関わるコミュニティをより良くする気持ちで、明日と明後日で考える基準を変え続けながら、手を動かしていきたい」という意思表明を元日にしていました。

 基本考えることは変わっていませんが、今年も沢山の挫折と挫折と挫折があったので、途中からは「必要な経験をください。もしまだあるとするのなら。それを私にください。」という心構えで生きてきました。挫折やそれによる新しい当事者性の獲得をする為に生きているようなものなので、お陰様で、経験したくもないこと、自分ではどうにもならないこと、それも経験として腐らずに生きていたら少しは報われること、など短期間でも面白い変化がありました。

 抽象度の高い理想を追い続けることも大切ですが、一方で明確に人の課題を解決するテックや研究やアート、そうした手触りのあるものを作り続ける覚悟と学び続ける芯のある人達、ないしは無意識かつ無目的的に永続性のある生を全うしている人達にこそ、やはり敬意を抱きたい。

という思いはずっと変わっていません。

2023.9の記事

  “多様性とか社会貢献とか言ってる後付けソーシャルアントレプレナーシップにこそ、反骨心とハンマーで殴られたような、恐らく想像もつかない貧困と虐待と学習の機会損失を幼少期に経験していただきたい。”
 ...と思っていた若かりし自分も、実存している人を誰でも愛せるくらい大人になりました。

2023.9の記事

 誰でも愛せるのは変わりないんですが、先日の落合さんのプロフェッショナルを見ていて、やはり当事者性の獲得を人ごとにせず、それをどこまで具体化できるかに命を燃やしているような人たちとチームでいたいと改めて思わされる素晴らしい言葉もありました。

「でも社会に対して少しでも何かしたいと思って,多様性とAIの研究プロジェクトを始めたんです.私は音と光と波動の研究者だから,障害の研究もしたことないし,できることは限られているから,でも何かしたい,なんかしなければならない,そういう衝動が自分を動かしたんです.それで障害の研究をしている友達に話しかけて,そしてAIが得意な友達と話して,仲間ができて,無い知恵を絞りながら始めたんです.障害というのはいつ当事者になるかわからない.当事者になったときの驚きや焦りは皆が持つことです.病気になったときに気づく人もいるし,足を切った時に気づく人もいる,親になったときに気づくこともある.もちろん医療やテクノロジーの発展で過ぎ去ってしまうこともある.過ぎ去ってしまったらそのときのことは正確にはもう思い出せない.でも人生の困難や岐路に,何かなすべきことがある,そういった自分を突き動かす熱が生まれたとき,自分がプロフェッショナルとして何ができるか,どう貢献できるか.その能力を持ち寄れる社会を作っていくことが,多様性ある社会になるための条件だと思います.だから僕は一番深い瞬間は,自分が当事者として自分を自覚したときがだったと思います.それはその瞬間にしかない熱があるんだと思います」 

#xDiversity の成果報告シンポジウムで号泣した話 by落合陽一さん

 普段「本質的」などの抽象的な言葉で誤魔化される内容の具体性が詰まっている言葉で、心に残っています。彼が障害に対して当事者意識を持たず、別の研究ばかりしていたら、弊社のオフィスに置いてあるレルクリアも、xDiversityの様々のプロジェクトもなかった世界線があると思うと、恐ろしくさえ思えるのです。

原爆の日は平和への祈りと共に「スティグマのない社会をつくるために、私に必要な経験を、百難を、もっと、全部、ください。」と祈る。

2023.8の記事

 今年も原爆ドーム、平和祈念資料館へは行きます。「一生けんめいすると、何でも面白いと思った。」と私も思えるように。

 アウフベーヘンだけでは足りないし、ダブルバインドだけでも足りないので、その両方を持って他者と関わること。永遠に分かりきったような口を聞かない謙虚さを持って、「道に唾を吐く人」も「本を読まずにその事象を語る人」も「ダサさを認識できていない人」も全て理解し、否定せず、時には協創しあいながら時には大きく距離を置いて、互いに好きなように生きていけばいいと思いつつ、協創する時にはやはり相手への想像力を最大限に働かせたい。
 本気で新しい景色を見るためには日進月歩の早さを超える心づもりで、自身の人間性を拡張していく必要がある。

2023.3の記事

 分かりきったような口を聞かない、永遠に生きるように学び、今日死ぬかのように生きる、というスタンスも変えずに生きたい。AIよりも速いスピードで、AIと協力しながら、新しい景色がつくれる予感がしてきていることは喜ばしいことです。

「梓龍さんは命を燃やしても灰にならない」。その言葉が、自分の命を燃やす行為が無駄でないことを確信した。一度や二度といった程度ではなく、何度も生まれ変わる程に底辺を這いずり回ってきたからこそ、今目の前に広がる景色を変えたいと思う。

2023.6の記事

 今年は良いメンターに出会うことができて嬉しい。結局7月〜9月は色々な人との関係性で心身共にボロボロになりましたが、そのお陰で、まさに「必要な経験」を経ることができて、「灰にはならない」ことを実感しました。
 余白がないと誰かの言葉に耳を傾けることもできなければ、余白がないチームの中で心が動くような言葉に気付けることも少ない。そんな中で意図的に余白の時間をつくってくださるメンターの方々には感謝してもしきれません。

 抽象と抽象の対話とは、具体的な例や現象に縛られずに、理論や概念同士の純粋なやり取りを指します。このような対話は、思考の最深部に触れることができる一方で、一般の人々がアクセスするのは難しいという問題も確かにあるのかもしれません。
(中略)
今こうして記述している言葉でもそうで、よくエクリチュールとパロールのジレンマに陥りますが、私が文章にしている時点で、脳の中にある抽象概念の次元は幾つか落とさざるを得ないのです。
(中略)
”ビジネスの中では「抽象化」と「具体化」の行き来が大切だとか、賢い人はわからない人にも分かりやすく(≒具体的に)伝えることができる” といった凡庸な例からは逸れて、自分だけが分かる表現にすることも多々あります。SNSは(あくまで今現在において)最も出し入れしやすい、脳にとっての外部HDだからです。
(中略)
抽象と具体の脳の行き来に慣れすぎると、イメージがイメージだけで伝わる、伝えられる、といった体験や習慣が薄れていきます。そうした時は、絵を描くこと、それも抽象画を描くことで少しリハビリができるでしょう。アートを鑑賞して敢えて言葉で理解しないようにすることも重要です。

2023.10の記事

 今年一番人に読んでいただいた記事はこちらでした。あくまで自分のためだけに書いているnoteなのですが、「イメージ、それでもなお」と「ビルケナウ」が繋がった時の感動を分かち合える人と出会えたりするとそれは嬉しく思います。

お金を払ってでも様々な痛みを経験し、障害とか虐待とか機会格差と闘い続けて、その境界を自在に行き来していたいからこそ、痛みは感じ続けて乗り越え続けていきたい釈迦の初心に近いようなお気持ちです。

余白。
余白を持って人と関わり続けること。

 "Do you feel the sun shine for you. The moon light's sleeping now Just closing my eyes and try to feel The world exist. -STAY REAL."

生き続けること。
狭くても深く刺すこと。
そして刺されるだけの余白と感性を持つこと。

家族がいない人、家族も友達もいない人、そこまで想像して「”STAY REAL”の一言だけ伝えたかった」と言ってこの世を去ったK君は、やはり自分にとって1番格好良い人でした。

2023.11の記録

 資本主義や誰かの都合によって余白なく生き続けていると、結果やキャリアや、一見大事そうに見える、死ぬ時に偽物だったと気付くような光に騙されて、変なものに執着して、大事なものを見過ごして生きてしまう。
 タイトルで言う、履歴書に書ける美徳です。

 弔辞で読まれる美徳、としてうまくバランスが取れているのはヘラルボニーの仕事です。勿論資本主義の合理性や忙しさ故の思考停止、そんなものと戦えるのも良い経験で、私に必要な経験を与えてくれています。

 2023年唯一、誇れるなぁと思った仕事も「履歴書に書ける美徳」の枠を出ないので、もっともっと経験を積みます。

 資金調達に奔走する中で、改めてこれまでヘラルボニーを支えてきてくださった作家さんやご家族、契約施設の皆様、メンバー、あらゆるステークホルダーの皆様に感謝する日々であり、ヘラルボニーの描く未来を強く信じながら奔走した濃厚な日々でした。

仕事と生活との境目なく、20年以上”障害やスティグマのない社会をつくる”為に生きてきて、少しだけ自分の生きている価値が見出せた一瞬だったので記録しておきます。

ヘラルボニーでも引き続き、そしてそれ以外の仕事でも生活でも、これからもロドスで跳び続けます。

2023.12の記事

 来年からはヘラルボニーの仕事、コーチングの仕事、事業企画の仕事、に加えてメタバース企業のCFO候補としても働くことになりました。MBAもまた通う予定です。信頼できる友人と、起業する年にもなるでしょう。

 唯、そのどれもが殆ど「履歴書に書ける美徳」でしかなくて、それらを仕事の中でも「弔辞で読まれるような美徳」に昇華させる為に、余白を作り続けたいと思います。

 来年の考えは今日明日全力でアートに触れて、休んで、フレッシュな頭で松陰先生と対話しながらまとめます。

 2023年、関わっていただいた皆様、こうしてnoteを読んでくれている皆様、本当にお世話になりました。皆様が思うそれぞれの幸せを感じられる2024年でありますように。

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