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ウォールデンの森で見つけた魔法の粉 - スティグマを超える旅路の記録

森での内省と本質の探究

 ソローがウォールデン湖畔での孤独と内省の果てに到達したように、私もまた様々な森という名の思索と実験の場に足を踏み入れてきました。ソローは次のように記しています。

「私はウォールデンの森を、そこに入った時と同じくらい十分な理由があって去ることにしました。」

ソロー「森の生活」

この言葉は、私が今の森を去り、新たな挑戦へと向かう決断を下すにあたって深い共鳴に繋がっています。次の挑戦はこれまでに積み重ねてきた思索と行動の必然的帰結だと感じています。仕事自体はまだまだこれからなのでまた追記しますが、今の想いを綴っておきます。

社会人を機に、10歳前後の頃からはじめたプログラミングと、10年以上デジタルに触れていたバイアスから離れ、本質的な生き方の追及と、課題ドリブンでスティグマの解決策を発見するために私も森に入りました。

私の「森」は福祉人間工学科での学問の探求から始まり、スターバックスでの実践的な経験、リクルートでの新規事業の挑戦、そしてHERALBONYでのアートと共に歩む日々へと続いています。それぞれのステージが私にとって一つの思索の場であり、同時に実験の場でもあり、苦悩の日々でした。私はそこで、単なる技術的な挑戦を超えて、人間存在の根源にまで触れるような問いを抱え続けてきたと思います。

人生に苦悩と挫折があることの素晴らしさを30代に入りようやく肌で分かるようになりました。

普段は上記のスタンスで執筆しているのですが、改めてこれまでの軌跡を振り返る為に割と具体的な記述をしておきます。

技術と人間性の融合の萌芽

 社会モデルでいう”障害”は人類における医療やテックの敗北だと思っていました。経済的障壁を除けば多くの選択肢がある中、大学名ではなく研究ドリブンで選んだのが、当時日本に2つしかなかった福祉人間工学科でした。

視覚障害のある方が晴眼者と対等に楽しめるオンラインゲームの開発や子育てアプリの開発などは、単なる技術的挑戦ではなく、ハイデガーの「存在と時間」を想起させる、人間の在り方そのものへの問いかけだったと思えます。技術が持つ解放の可能性と、同時に新たな規範を生み出す両義性について、デカルトの合理主義やフーコーの権力論を考えつつ、技術が持つ解放の力と、それが生み出す新たな規範の両義性を深く思索してきたと思います。

大学時代のワクワクと社会実装を振り切って挑戦し、周囲から見ると異色な仕事選びだったスターバックスのPTRとして奔走していた5年前から、30代はテクノロジーの道を歩むことを宣言していたようです。植松努さんのTEDでのお話をふと思い出します。

実践と変革への挑戦と挫折

 大学院への進学という一般的なキャリアパスを選ばず、私はスターバックスでの実践的な経験を積む道を選びました。常に私の挑戦の指針は下記の言葉と結びつきます。

「この世で一番重要なことは、自分が"どこ"にいるかではなく、
 自分が"どの方向"に向かっているかだ」

Oliver Wendell Holmes Sr.

大学院への進学やあらゆる企業への選択肢も捨てて選んだスターバックスでの経験は、障害のある方々の雇用と、コーヒー生産者の貧困問題という、一見無関係に見える課題の深い結びつきを探求するものでした。

大学選び同様、“どこ”にいるかを気にするような、所謂キャリア論のようなものに根差した考えをしたこともなく、ひたすら稚拙で愚かながらも“方向”だけはブレずにいたつもりです。

日常にあるカフェという中で当たり前のように障害のある方が働いている景色、そんなものを追い求めた日々であり、一番苦悩を重ねた時期でもあります。社会人最初の経験は、挫折と視野狭窄な選択の連続でした。同時に多種多様な人と関わりながら自分の人格形成を確認するような日々でもあります。

社会の周縁に置かれた存在が、実は社会の本質を照らし出す瞬間にもよく立ち会いました。火花が散る瞬間の価値を肌で感じながら、ひたすら現場感と職人感を養った日々です。職位や役割によらず色々な人と心を交わすことで恩師と思える方にも何人も出会えました。

暇と退屈の差分を感じながら

 「必要性とは、可能性の隣人である」というピタゴラスの言葉を胸に、そして松蔭先生にいち早く追いつくための術を探してリクルートでの挑戦に臨みました。新規事業の立ち上げと、3ヶ月の離職で貧困に陥るリスクを抱える層の問題解決。この経験は、結果的にシュンペーターの「創造的破壊」の難しさを身をもって理解する機会となりました。同時に、現代社会の構造的問題への理解を深めつつ、自分が大きな組織の歯車として音を立てずに回る不気味な体感も得られた素晴らしい期間だったと思います。

「アウラ」の再考と異彩の社会彫刻

 HERALBONYでの日々は、ベンヤミンの「アウラ」概念を再考する機会となりました。ベンヤミンの提起したアウラの消失は、技術によって複製可能となった現代アートの運命を象徴しています。しかし、HERALBONYで出会った異彩作家たちの作品は、単なる複製不可能なオリジナルとしてのアートを超え、社会的メッセージの強烈な発信装置として機能していました。アウラと時代の潮流、様々なものが絡み合い実質と実体の境界を曖昧にしながらも、意識変容の機会は多かったと思います。

創業者である松田兄弟(崇弥さん、文登さん、翔太さん)の挑戦と存在、そして異彩作家たちのアートは、単なる表現ではなく、社会に対する強烈なメッセージを秘めており、既存の概念を覆す力を秘めていました。その唯一性は今も揺るぎなく信じているものです。そして何より私のあらゆる未知への挑戦を遮らずに共に燃え続けてくれた仲間たちのお陰で、私も灰にならずに燃え続けることができました。

HERALBONYで出会えた全ての人々と経験は、私にとってかけがえのないものです。清濁含めて敢えて一番と言いたいほどです。これからもご縁が続いていくと思いますし、ずっと“向かう方向”を信頼する存在です。願わくば“障害”の概念が”本当の意味”で変容されますように。

同時に私は茶道から少し離れてフィルムカメラを手にするようになり、5,000枚以上のフィルム写真を撮影しそれらをデータベースとするAIを構築していく中で、デジタルとアナログ、AIと人間、自然と技術の境界を行き来しながら、存在の本質に迫る試みを続けました。いつも考えることは環世界のことばかりです。

余白の再定義と新たな挑戦

 yohaku Co., Ltd. の設立は、私の中で重要な挑戦です。この起業は、それまでの経験と思索の集大成であり、同時に新たな挑戦の始まりを意味しています。そもそも「余白」という概念には深い意味があり、再定義の必要性を感じています。現代社会では効率性や生産性が重視され、富の再分配や創造性を育む余地が失われがちです。yohaku Co., Ltd. は、この「余白」を人々の生活に取り戻すことを目指しています。

起業の背景には、「スティグマのない社会を築く」という強い思いがあります。またHERALBONYでの経験や、これまでのキャリアで直面した社会課題への取り組み、そしてそこで余白を失っていく大切な人々の存在が、この思いを強固なものにしました。対外的に素晴らしい企業も、多くの人の心身を疲弊させることもあり、心を病んだ人に責任を負うことは滅多にありません。それは構造主義的問題であると考えると同時に、AIがもたらす効率化の先にある社会の姿を問い続けています。

yohaku Co., Ltd. は、「メンタルが強い、弱い、などの言葉が当たり前に存在する(そしてそれが全て自責になりがちな)二元論的分断のない世界」を目指す私の挑戦の一形態です。アンコンシャスバイアスの自覚を促し、スティグマのない世界の実現に向けて邁進しています。

余白への挑戦は、私にとって新たな「森」への入場です。それは同時多発的にソローの言葉を体現するものとなっています。「余白」を創造すること、人々がありのままでいられる場所を実現すること、スティグマを超えること。その為に必要な場所を作ったに過ぎません。

批評家にならずに手を動かし続け、今ないものをつくる為に

 今後はPixie Dust TechnologiesでのR&Dを通じて、技術と人間性の融合による社会課題の解決を追求することになりました。"All the world is made of faith, and trust, and pixie dust" という言葉が、新たな挑戦への指針となります。これまでの経験すべてを統合し、連続的な課題ドリブンの社会実装を目指していくことが、今の私が選んだ場所であり、変わらない方向です。

「世界は信頼と信念、そして少しの魔法の粉でできている。」

— J.M.バリー『ピーター・パン』

ここでの挑戦は、単なる技術開発ではありません。テクノロジーを通して社会課題を解決し、社会的意義や意味があるものを追及すること。それは、技術と社会の新たな対話の場の創出です。「絵を描けなくても、描かなくても良い」「ありのままにいられる場所」「家族の居場所を見つけられること」「技術を技術と感じずに生活に溶けませること」これらの必要性に応える技術と機会を生み出すこと。それは、レヴィナスの言う「他者への無限の責任」を、技術を通じて実現する試みとも言えるでしょう。

ウォールデンの森と永劫回帰

 「自分にしかできない仕事なんてこの世に無い」と散々自覚してきましたが、HERALBONYの松田兄弟と異彩の作家たちのアートが唯一無二であるように、私も独自の視点で社会課題に向き合います。世界は信頼と信念と、少しの魔法の粉でできています。そして、その魔法の粉こそがテクノロジーであり、それを作り出せる人々も唯一無二の存在です。

小学生の頃から抱いてきたニーチェの「永遠回帰」の思想を胸に、私はこの新たな挑戦に臨んでいきます。これまでの経験すべて—幼少期の経験、青春時代の自死未遂、大学での研究、スターバックスでの社会貢献、リクルートでのビジネス経験、HERALBONYでのアートとアウラの邂逅—これらは単なる過去ではなく、常に現在に立ち返り、未来を形作る力となると思っています。曹操の言葉と沢北栄治の言葉を思い返す日々です。

そして、再びソローの言葉を思い出します。

「私はウォールデンの森を、そこに入った時と同じくらい十分な理由があって去ることにしました。」

ソロー

私も同じように、十分な理由を持ってこの新たな挑戦に踏み出します。Pixie Dust Technologiesという新たな森で生み出される魔法の粉が、誰かの人生を変える可能性を秘めています。障害の概念を変え、スティグマを超え、すべての人が「ありのままにいられる場所」を創造する。それは、技術だけでは成し得ません。人間の思いと、技術の力が融合して初めて実現する夢です。

信念と信頼と魔法の粉、そしてスティグマへの挑戦

 新たな挑戦の始まりに際し、静かに、しかし力強く宣言しておきます。

『私は十分な理由があってこの旅に出ます。そして、魔法の粉を作り出す喜びと偏愛、社会課題の解決と社会価値の追求をする使命を胸に、前進し続けます。これまでの経験すべてを糧に、テクノロジーと人間性の融合という新たな地平を切り開く日が来ることを信じて。そして、いつかまた森を出るとき、より豊かな後悔の多い経験と、社会に貢献できるだけの情熱と反骨心を胸に抱いていられることを心から願って。全てはスティグマと障害の無い社会を作る為に。』

5年前に30代はテクノロジーの道へ行きたい、と言った私は日々フラペチーノを作りながら何故今自分がこの単純作業をするのか、と自問し続けてもいました。今自分がこんな新たな挑戦をできているのはこれまで関わってくれた、そして私も認知できないところで関わってくれている全ての人と、経験と、この世に命を与えてくれた存在のおかげです。

とある山で祈ったことはいつものこと
鈴木大拙と宮沢賢治、空海とヘーゲル、そして松蔭先生を想いながら


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