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RAILWAYS 海道畑の夕日

観光地の夢の跡…
ちん電の歴史遺産・海道畑


さてみなさん、お待たせしました。(浜村淳風にw)
「ちん電どんぶらGO!」第6回(ありすちゃん編3回目)の舞台は、待望の、海道畑編です!!
・・・って、誰が待ってるねんw
そりゃーもちろん、わたくし自身が!!ですよ!!
まさにこの海道畑編を描きたくて、わたくしこの新シリーズ・ありすちゃん編を始めたと言っても過言の滝でも華厳の滝でも水の江滝子でもないのですよ!!(KANちゃんのギャグです。パクリました。すいませんw)

海道畑。(かいどうばた、と読みます)
阪堺電車の浜寺駅前と船尾の間にかつて存在した駅です。
海道畑駅跡は、阪堺電車がちょうど南海本線と交差する地点にあります。南海電車が下を、ちん電(阪堺電車)が上を通る、上町線の神ノ木と同じ構図の駅です。
今は上下線ともホーム跡だけが残っています。
ホーム跡のすぐ横が鉄橋になっており、鉄橋の土台はレンガ造りです。電車に乗っているとあまり見えませんが、外からこの鉄橋を見るとレトロな雰囲気でとても風情があります。

久実子さん1

この海道畑駅がいつまで使われていたのかはっきりとはわからないのですが、おそらく戦中・戦後くらいまでは現役だったようです。戦前までは、浜寺は旅館や別荘が立ち並ぶ風光明媚で名高い観光地でした。かつては、昭和初期頃までこの駅から浜寺公園へ降りる観光客でたいへん賑わっていたそうです。
有名な辰野金吾設計のレトロ名建築、南海本線の浜寺公園駅舎も、この優雅な景勝地にふさわしく実に優美なデザインで、駅舎には特別に貴人たちをもてなす貴賓室まで作られていました。実際に皇族の方が訪れた際には、この貴賓室にお通ししていたとか。
さらにさかのぼると万葉の時代から、高師浜より浜寺へとつづく白砂青松の風景は定番の歌枕として、和歌にも多く詠まれてきました。小倉百人一首にも、高師浜を詠んだ有名な和歌があります。

音にきく高師の浜のあだ浪はかけじや袖のぬれもこそすれ(祐子内親王家紀伊)

「音にきく」とまで言われたのですから、それこそ知らぬものはないほど有名な浜だったということでしょう。今でいうなら、湘南みたいなイメージでしょうか。歌謡曲の定番の舞台、という意味でも。(知らんけど)

そんな浜寺も、太平洋戦争によって悲惨な運命をたどることになります。戦時中に観光地としての賑わいは失われ、戦後はアメリカ進駐軍によって接収され、広大な松林は無残にも伐採されてアメリカ進駐軍の宿舎が立ち並ぶ光景へと姿を変えます。昭和33年に返還されるまで、浜寺に立ち入ることはできませんでした。

おそらく海道畑駅も、そのために需要がなくなり廃駅になったのではないかと推測されます。
今はただ、コンクリートとレンガのホーム跡の土台が残っているのみです。誰もこのホーム跡に目を留めて見る人はいませんし、近隣の方でもこの海道畑について知っている人はほとんどいません。

久実子さん2

海道畑に降りてみたい…!
長年の夢をマンガに託して


一度でいい。この海道畑に降りてみたい…
ずっと、そう思い続けてきました。

そんな私の見果てぬ夢が、今回マンガに描いたことで、ようやく長年の念願が成就しました。そう、私に代わって、登場人物たちが海道畑に降りてくれました。マンガって便利だなぁ。と、しみじみ思いました。

このシーンを描くために、何時間もかけて海道畑の周辺をうろうろしては動画を撮りまくったり、スケッチしたり。
さらに、このホーム跡をちゃんと確認して見ようとしても、電車に乗ってると一瞬で通り過ぎてしまうので、それならば!と、てくてく切符を最大限利用して、浜寺駅前〜船尾間を、5回も6回も往復して、通り過ぎるたびに写真を撮りまくり、しっかりと目に焼き付けてきました。

やってみて初めて知ったのですが、浜寺駅前から船尾に着くと、まるで申し合わせたかのように、すぐに下りの浜寺駅前行きのちん電が向かいからやって来るんですねー。ほんでまた浜寺駅前に着いたら、今度は次の電車が数分後に発車してくれるんですね-。

そんなんでアホみたいに乗っては降りて乗っては降りてをくり返し、海道畑駅跡を見るためだけに往復しまくりました。
そんなわたくしのあつくるしい海道畑愛を、たった4ページの紙面にこれでもかこれでもかとつめこみまくりました今回の「ちん電どんぶらGO!」もしよかったらお読みください(文末に掲載)

近隣のお店から貴重なタレコミが!
謎に満ちた海道畑の手がかりを得る

さて、この号を描くにあたって、船尾駅前にある二つのお店から、海道畑駅に関する貴重な情報を提供していただきました。

ひとつは手作りケーキのとっても美味しいcafe nomoriさん。
いまはテイクアウト専門ですが、オープン当初はカフェを併設しておられ、よくお茶しにいきました。若いご夫婦で切り盛りしておられるのですが、奥様がレトロな建築など古いものがお好きだそうです。このカフェ店内に、なんと古い海道畑駅の写真が飾ってあったのでした。

聞いてみると、お店を周旋した不動産屋さんが近隣の古い写真をデータにして保存されており、それをいただいたとのことです。
海道畑を知る貴重な資料を目の当たりにした私は興奮しました。しかし、cafe nomoriさんも海道畑についてはそれ以上のことはご存知ないとのことでした。写真にあるホームから降りる階段も、一体どこに存在していたのか、知る術はありませんでした。

久実子さん3

このcafe nomoriさんの線路を挟んで向かい側に、昨年オープンしたのが雑貨店のmomo choconさんです。
TRAMさんというお店と共同で経営されていますが、なんとこのお店で、常連客のおばあちゃんが海道畑のことを知っているという情報を教えてくれました。しかもその話をしていたところに、当のおばあちゃんがたまたま登場。直接お話を伺うことができました。もーびっくりです。

そのおばあちゃんは「かいろばた」と発音していました。いつまで使われていたのか聞くと、「さあ、昭和30年くらいまでちゃうやろか」という、あいまいなお返事でした。子供の頃のお話ですし、やはり正確なところはわからないようです。
ただ、私は海道畑のことを知っている方のお話を聞けただけでも、とても嬉しかったのでした。

momo choconさん、cafe nomoriさんには海道畑についての貴重な資料やお話の機会を与えてくださったこと、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、この話にはさらに後日談がありまして、海道畑編の「ちん電どんぶらGO!」を描き上げてFacebookに投稿したところ、知らない方から海道畑の情報を教えて頂いたのです。なんと、cafe nomoriさんで拝見した写真にあった、あの階段の跡が一部残っているというのです。

さっそく確認しにいったところ、確かにありました。上り線のホームの下の土手のところに、土の下にうずもれていましたが、草の間から階段のほんの一部だけが見えている部分があったのです。
ああ、あの階段はここにあったのか。と、やっと見つけることが出来て、なんだか気持がホッとしたのでした。これが、海道畑駅から浜寺の松林と浜へと降りて行く階段だったのです。かつては、どれほどたくさんの老若男女たちのあこがれやさまざまな高揚する想いをのせて、浜へと送り出したことでしょうか。そう思うと、私も胸が熱くならざるをえませんでした。

久実子さん4

数十年の眠りを終えて…
消えゆく運命の海道畑


悲しいことですが、この海道畑駅跡はもうすぐ取り壊されてなくなる運命にあります。
南海本線の高架化のため、ちょうどこの海道畑跡から浜寺駅前までの線路は廃止され、現在の南海本線の東側に移動する予定らしいです。もうすでに工事も始まっているようです…。

そうなれば、もうちん電で海道畑に向かって坂を登ることもなく、浜寺駅前駅は今よりも浜寺公園から遠ざかり、現在のように降りてすぐ公園には行けなくなります。
ちょうど今作の冒頭シーンで描いたように、福栄堂さんで松露だんごを買ったありすちゃんがすぐにちん電に飛び乗るというようなシチュエーションは、もうできなくなるのですね。

安全と利便性のため必要なことだと理解はできても、そのために浜寺駅前と海道畑を犠牲にしなければならないのは…わたくしとしましては、やはり、納得がいかないのであります。
かつてはたくさんの人で賑わっていたはずの海道畑。
たくさんの歴史と、人々の思いを、飲み込んできた駅なのではないでしょうか。その文化的遺産とも呼ぶべき跡地を、安全性と引き換えのためなら…取り壊してもいいのでしょうか?
そう、疑問に思わざるをえません。

しかしいずれにせよ、もはやどうにもなりません。
ですから、どうぞ今のうちに、ぜひとも多くの方に、海道畑跡と浜寺駅前の良さを存分に味わって、楽しんでいただきたいと思う次第であります。ぜひ、しっかりと海道畑の跡を愛でてあげてくださいまし…

海道畑の沈みゆく夕日を
映すちん電どら焼き


最後に、今回のお話の冒頭に登場するお店、福栄堂さんをご紹介します。浜寺駅前のすぐ向かいにあるお店です。
銘菓・松露だんごで有名な老舗和菓子店です。
こちらに「ちん電どら焼き」というお菓子があります。ちん電の焼き印が可愛らしいのですが、この「ちん電どら焼き」は、まさに海道畑の地点から遠く松林の向こうに沈む夕日をイメージしたお菓子なのだそうです。

福栄堂さんでちん電どら焼きを買ってちん電に乗りますと、浜寺の松林を眺めながら、電車は少しずつゆるやかに坂を上ります。ちょうど坂を上り切った、小高くなっているところが海道畑駅跡なのです。ここからは眼下に広く松林と、石油コンビナートや工場地帯の煙突が遠くに臨めます。うまく日没に合えば、夕日が松林の向こうに沈んでいくさまを見ることができます。さあ、ここでちん電どら焼きを、夕日にかざしてみましょう。
まもなく消えてゆく運命の、海道畑駅跡へ思いをはせながら…

沈みゆく海道畑への落日をはるかに映すちん電どら焼き(久実子詠)

久実子さん5


*cafe nomori
大阪府堺市西区浜寺諏訪森町東2丁112-2
072-283-6506
営業時間/木曜〜日曜、11:30〜18:00 定休日/月~水
*momo chocon
大阪府堺市西区浜寺諏訪森町中2-188-105
*福栄堂
大阪府堺市西区浜寺公園町2-203
072-261-1677
営業時間/9:00〜18:00 定休日/木曜日

ちん電どんぶらGO!6-1
ちん電どんぶらGO!6-2
ちん電どんぶらGO!6-3
ちん電どんぶらGO!6-4

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久実子さん3

【萩原久実子・プロフィール】
大阪・堺市出身。
生後まもなくアトピーを発症し、血まみれの暗い悲惨な幼少期〜思春期を経験。おとぎ話を心の支えに成長する。
26歳で一念発起して兵庫県立尼崎青少年創造劇場(ピッコロシアター)演劇学校へ入学。才能のなさを思い知り、3年目で卒業。以後演劇の道を断念。
その後体調を崩し、ひきこもり生活に。仲間とともに「ひきこもりーノ大作戦」を立ち上げ、ボランティア活動を通じて自立の道を探る。
阪堺電車(愛称ちん電)の魅力を発信するフリーペーパー「ちん電マップ」の発行に携わり、その後独立して「ちん電どんぶらGO」を発行。ちん電沿線をまち歩きしながら、SNS等で勝手に発信し続けている。



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