心にエアバッグを標準装備する
その人がどんな思いで、
どうしたくてそう言ったのか
「自分と向き合うって、どういうこと?」
先日、久しぶりに会ってランチした地元の友人が「ちょっと聞いていい?」と言って、出てきた質問がこれでした。
私の活動を知ってか知らずか。ドキッとしました。
うーん。私の感覚では、創作することが自分と向き合うことにつながる、とは言える気がするんだけれど、その逆は必ずしもそれだけじゃなく。どのような手段なら自分と向き合う時間となるのかは、人それぞれのような…?
よくよく聞けば、とりわけ誰かが反省の弁を述べる際に使う「自分と向き合う」という言葉が、よくわからないというのです。何らかの行為で自ら信頼を失墜させておいて、なお口にする重みを想像するに、具体的に今後どうするつもりだと言っているのか?謎だと。
余程じっくり考えてから行動・発言する、彼女の人柄による疑問だったことが判明しました。
根っから控えめでまじめな彼女には信じがたい現実かもしれないけれど、口先だけで切り抜けても平気な人が実際にいることはおろか、何かを言った気になる、何なら、口にするだけでやった気にさえなるような使い方ができてしまう言葉は確かにあると思う。よくできた張りぼての巨岩みたいなもので、きっとそんなに重くない。「自分と向き合う」という言葉も、本人にその気があろうがなかろうが、少なくともその場はしのげる。
SNSが普及するにつれ、口先だけの人が一部で妙な影響力を発揮すればするほど、何だか不用意に気圧されちゃって、反面、口下手な人の発言から、その人の本来言わんとすることを読み取ろうとする力が、長い時間をかけてじわじわ退化させられてきたような気がする。
それは私にとって、恐ろしく不本意なこと。なるべくなら、発言者が口下手だったとしても、その人がどんな思いで、どうしたくて発言をしたのか。発した言葉がすべてではない前提に立って、真意を汲み取って話を聞ける人でいたいです。
そして口先だけで影響力を発揮しようとする人の発言には、その衝撃を緩和すべくエアバッグ・フレーズを心に標準装備したいと思います。
「口では何とでも言えるわなー」
このフレーズ、いつの間にかすっかり忘れていたけれど。
責めるでも冷たく受け流すつもりでもなく、ただ静かに発言後の行動にのみ期待を寄せるためのフレーズとして、私自身よく使っていた気がするんです。SNSが溢れかえるようになるにつれ、いつの間にかエアバッグが機能しなくなっちゃってたんだな。
今ならば、決して気圧されず、支持せず、噛みつかずのスタンスで居続けるためにも、役立つフレーズかもしれない。
友人の善良な引き出しから唐突に飛び出してきた質問が、こうしたことに気づかせてくれたのでした。
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【つねまつあけみ・プロフィール】
大阪府堺市出身、在住。
2005年、絵本専門のギャラリー「ピクチャーブックギャラリーリール」を開店。2008年、文具だけを使って製本・豆本作りに親しむ紙工作キット「自分でくみたてる本seedbooks」企画、販売開始。2015年からは、情報サイト「関西ウーマン」で「女性におすすめの絵本」というテーマで毎月コラム記事を担当中。お店を始める前は、印刷物を作る仕事をしていました。
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