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ラクな方にシフトすると思考停止に陥る

頭を使わず、簡単な方法で利益を得ることに味を占めると考えることをしなくなり、やがては価値を生みだせなくなる、という話

少し前の話題になるが、日大背任事件の記事を新聞で目にしてからモヤモヤと心に残る違和感を感じていた。

事件の詳細については言語道断ではあるが、この手の背景は問題の大小問わずあらゆる業界で横行しているような気がするのだ。

無能な人物がどういういきさつか人の上に立ち、大きな権限を手にした際に私利私欲のために権力をふりかざして利益を得る構造は個人的にヘドが出るほど嫌いだが、大企業や組織にかかわらず、ある程度のパワーバランスが働く構造ではよくある話ではないだろうか。

私の界隈である建設業においても、仕事を発注する側の元請業者が理不尽に下請業者に圧力をかけるということは未だ少なからず耳にすることだし、実際に弊社も何度かそのような態度をとられた過去がある。

言う通りにしなければ仕事を与えない、というような内容だったかと記憶しているが、私個人はこちらを単なるコマ使いや下僕のように扱うような業者であれば相手にしないというスタンスであるため、その当時の元請業者からの要求には「じゃあ、お仕事はいりません」の一言をお伝えして電話をガチャ切りして差し上げたのをおぼえている。

このようなことにかぎらず、構造上、利益の得方に真っ当な理由がないとか、プロセスが破綻していて誰かが被害を被るようなお金の流れは澱んでいくのだと思うのだ。

社会的価値について考えることができない利益の流れは淘汰されるべきであって、横行するべきではない。そもそも一番利益を享受する存在がまったくその構造について考えていないという点は怒りを通り越して悲しくなるではないか。

そして、誰しも気を付けなければならないことは、自身が成長し、ある程度の力がついた時点で、その力が正しい方向に向けられているかを意識する必要があるということ。

それまでがむしゃらに努力を重ねてきても、ラクに利益を得られるようになったり、人が言うことを聞くようになったりする立場に納まると、自分を律する態度がどこかに忘れ去れてしまう傾向は誰にでもある可能性の一つだと思うのだ。

そうなると、知恵を絞ったり、深く考えずとも環境が潤うため、思考は停止する。一見、そのステージに上がったことで革張りの高級な椅子に腰を下ろして後の人生はイージーモードと行きたいところだろうが、結果的には頭から腐り始め、やがては成長はおろか、道徳心のかけらもない社会的に価値のない淘汰されるべき存在へと変貌する。

大げさに書いているが、もっと小さな世界でも説明のできない棚ぼた的な利益を得ることになったり、宝くじのような偶然的な幸運が転がり込んでくることによって思考停止に陥ることはいくらでもあるのだ。

どんな方法で価値を生み、そして利益を得るのかということを前提にして仕事というものが存在してほしい。それらのシンプルな前提が無ければそれは仕事とは呼ばない、ただの有象無象だということに気が付いてほしいと思った記事であった。

思考があるから価値が生まれる。その営みを放棄するのなら利益の享受も放棄するべき

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