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モルモットの充足感

1日の終わりにどんな感情を抱いているか。うしろめたい気持ちや自己嫌悪につけいる隙を与えない、という話

最近、無意識のうちに習慣化された行動がある。

習慣というほどのことでもないが、気が付いたら毎日しているなあ、とふと考えたのである。

それは、仕事が終わり自宅に帰ってきた際に、玄関のドアで鍵を開けながら「今日も1日やりきった」と心の中でつぶやくという行為で、とくに自身でそうしようと決めたルールではないのだが自宅というプライベートな空間に入るその手前で気持ちを切り替える為なのか、自然と習慣化された行動だ。

ひと昔前であれば充足感や達成感とは程遠い日常を送っていた為、なんだか逃げるように職場を離れ、自宅の居心地の良さに吸い込まれるように、満たされない気持ちや現実逃避してしまいたい状況に玄関ドアを開けるタイミングで蓋をしてなかったことにしていたように思う。

そうなれば当然、朝には玄関ドアを開けるのは億劫な行動となり、束の間の夢から覚める瞬間でもあったのだ。

一念発起して現実に向き合い、ひとつずつ問題をクリアしていくたびにそのようなネガティブな感情は薄れていった。問題を正面から捉えることで山のような課題が浮き彫りになり、その課題に対峙することで忙しさが生まれたからだ。

その忙しさはすべてが金銭に直結するものではないが、放っておくと仕事はおろか人生まで毀損してしまうおそれがあるものだ。その重要性に気が付いていしまうことは、モルモットの回し車のようなもので、一度始めたら何らかの形で決着がつくまで走り続けなければならない。

途中で降りて降りてしまい、元の平坦な生活に戻ることもできるだろうが、一度走り始めるとそれなりの成果という報酬を得るようになってしまう。しばらく走ると餌を与えられるようになることを理解すれば、その餌を求めて走り続けてしまうのはモルモットの悲しい性ではあるが、どうせ走るならフォームやペースを考慮して上手に餌にありつけた方がいい。

そうして不細工なフォームを矯正しつつもなんとか走り続けることに慣れはじめたモルモットは思うのである。

「今日も1日やりきった」

餌は1日の充実と続けていることの充足感である。そしてそれに伴い微増する経済面というオマケもモルモットにとっては重要な走る動機になっている。

やるべき事があるのは幸せである。それによって人生が進んでいるような気がするからだ。

忙しさをポジティブに捉えて1日の終わりを労う気持ちから自然と玄関ドアを開ける前の儀式としてあらわれたように思うのだ。そうした小さなパラダイムシフトが自分自身の中で起こると、朝玄関ドアを開ける行為は清々しい気持ちに転換される。この数年、億劫な気持ちで家を出たことはほとんどない。

とはいえまだまだ道の途中、課題は次々と出てくるし、やりたいことは数えきれないほどある。このポジティブな気持ちのまま1日を丁寧に過ごすという方法しか知らないが、そうして充実の微差を積み重ねていくことにありがたい気持ちになる気づきを玄関ドアの前で拾った気がする。

自分自身に充実する(岡本太郎)


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