思考:意思決定・コミュニケーション・多様性
筆者は何者か
SWE & SRE in ROXX, Inc.
なぜ書くのか
VUCAが流行り言葉となることからも分かる通り、ビジネスの状況およびその展開母体たる企業・事業部などの組織といったものは、激しい変動の波に晒されるものだ。おそらくは、不可避的に。
このような情況(あるいは時代)において、アクターはみな多かれ少なかれ不安と戦うことになるだろう。その苦難から幸運にも免れることの能う人間は、ごく僅かだ。
茫漠とした不安の只中それでもなお、我々は他者と対話し続ける必要がある。語り合う必要が、ある。とりわけ、チームの仲間たちと。
そんなとき、より効果的により互いに好影響を与えるような発言や振る舞いができれば、不確実な状況をみなでともに戦うための強固な武器となるだろう。
そういうわけで今回、個人的に発展させてきた武器庫の簡単な棚卸しをしようと思っている。
そうした性格上、随想的かつ羅列的な記述となるはずだ。寛恕のほどを請う。
前提的認識
筆者の浅学非才によるところ申し訳ないが、とりあえずの前提理解がないと読みにくい文書となる気がしている。
そこで、既知の事実や筆者の持論のうち、特に強固に依存している見識を列挙しておく。
意思決定とは「やらないことの決定」であり、物事のどの相を捨象するかという思考の結論である
コミュニケーションは常に相互的な問題である。よほどの特殊性が介入しない限り、10:0はないのである
どのような立場の人間であっても、業務行動や発言において心理的に安全である必要がある。これは優しさではなく、合理性の追求から得られる帰結でしかない
注意
本ドキュメントは、組織論的な話題、時にはその負の側面に言及している。が、これは当然、具体的な他者に対する批判や嫌味を意図してはいない。
あくまで、これまで属してきた組織の全てと自己との関係を反省したときに生じた思考の素描である。
また、筆者は「いまのチームは自分にとっては非常に居心地が良く、みんなにとってもそうであるように努めたい」と切実に思っている。
読んでくれる人へ。特に、身近な人へ。「より良くするため、または良い状態に恒常性を持たせるため」の思考だと受け取ってほしい。
本
リーダーシップとフォロワーシップ
これまでの経験から筆者にとっては既に十分に検討された事項として、「リーダーシップが強めに要求されるロールにフォロワーシップしか得ていない人が就くと、すごい速度で崩れる」がある。
もちろん、誰もがチャレンジはしていいと思う。ただ、崩れる前提でのサポートを周囲ができると良いだろう、ということだ。
意思決定、およびその伝達
意思決定とその伝達とに一貫性がなく、伝え方が八方美人的であると、実態との本質的差異に気づく鋭敏な人からこそ不信感を招いてしまう、ということがある。
そして、その不信感が放置されたまま事を進めようとしてもおそらく上手く行かないだろう。ばかりか、長期的に組織力が低下してしまう恐れもある。離職にも繋がりかねないため、こうした状況を認知したら、一刻も早く信頼回復のためのコミュニケーションとケアとを行ってゆくと良い。
意思決定内容とその伝達とに一貫性がない場合に表出してくる問題
そもそも対話や議論を行うことが困難になる
本音建前の峻別という、ハイコンテキストな操作が議論空間に生じてしまう
疑心暗鬼ファクタがひとつ生まれる
特に、疑いを内側に溜めやすい心理傾向にある人にとっては、この状況が有害に働きやすい
誰も責めない
上記のような悪い意思決定・伝達プロセスを、しかし「悪意や無能によって作られた」と断じてはならない。
例えば、ダメなプロセスも「フォロワーシップが強めで優秀なメンバーではあったがリーダーには向かない人が、リーダー的振る舞いが求められるロールをなんとかこなそうとした結果」であったりもする。そういうコンテキストにおいては、本人を責めようとは思わないのではないか。あるいは、「リーダー適性のある人間も時に苦悩し、選べなくなる時がある」と考えてみても良い。
さておき、事に至るまでの文脈がどうあれ、全面的に誰かが悪いということはそもそもない。繰り返しになるが、コミュニケーションは相互的な問題である。
単純に歯車が噛み合わなかったんだろう、という見方をする方が、問題そのものを直視するのに役立つ。
意思決定プロセスにおけるディスコミュニケーションは、人間集団それ自体に内在する複雑性に起源が求められる。組織的行動に付随しがちな不確実性として捉えても良い。
ケアの方法
何らかトレードオフを伴うような意思決定をする場面を考えよう。そして、(短期的に)不利益を被る当事者に目を向けよう。彼らに何を伝えればよいだろうか。筆者の考えは以下のようなものだ。
「今回はあなたたちよりもooの利益を優先する意思決定をしたが、それにはxxという理由がある」
「不便をかけるかもしれないが、できる限りの便宜は図るのでぜひともここは協力してほしい」
というような主張をチームにとってオープンな場ではっきりと伝え、対応人員をアサイン、フォロー・ケアを図ると良いと思う。
そのとき、意思決定者当人が全てを解決する必要はない。
包摂的な対話の構築が上手な人員をフォロー要員に据え、意思決定者とはロールを分離していく方針が適当かと思われる。
これが上手く行けばあとは実行力がものを言う世界に入ることだろう。
知っての通り、「あとは実行力」のところまで持ってこれたら大抵の仕事は勝ったようなものであり、難しいのはそこまで至るだけの準備だ、という話にもなると思う。
続 誰も責めない
対話が上手く行かないときに上役に矛先が向くこともあるが、前提的認識の項でも述べたように総じてコミュニケーションは相互的な問題であるため、メンバーにも当然責任がある。
ただし、実際上の問題として権力的非対称性は存在するため、そこをフェアになれない場合は上役側の過失割合が大きくなる。「割合」という語が示す通り、これは程度問題である。
そして、「過失割合が高いからその人を責めていい」という思考傾向は端的に誤謬である。議論阻害的であり、何も前に進ませないからである。問題を対人的に解釈することに良い作用はない。
text chat or conversation
不信感が空気を重くしている状況にあって、テキストベースコミュニケーションを継続するのは望ましくない。なぜか。
明晰さを志向すると文章表現はある程度直截的なものにならざるを得ないが、受信者は余裕がないとき、往々にしてこれをトゲとして認識するためだ。
また、これはもはや常識ではある(しかし忘れられる常識である)が、人は他者のノンバーバルな振る舞いを材料に、当人に対する感情推定を行う。
声音、表情、身ぶり手振り等の情報が得られない環境では、そのあたりの原則が通用しないために、コミュニケーション齟齬、とりわけ不信や攻撃性の発露・看取が起こりやすくなる。
emojiや感嘆符がないと「キツい」という風に感覚する人もいる。テキストベースでのコミュニケーションにおいて、感情幅の発信・受信はズレやすい。パケロスが起きる。
誰かの発言に対して行き過ぎた裏読みをしてしまうこともあるだろう。
不信をもつ前にリアルタイムで会話をした方がいい。笑顔をみせ、当面の安心感が場を満たしたら、そのときが本題に入るタイミングだ。
まあ、それを気軽にやれる関係性と機会を確保するのが重要なのは言わずもがなとして。
また、これも繰り返しになるが、メンバー側からのアクションも当然に必要となるはずだ。全ての対話がリーダーから始まらなければいけない道理はない。
さておき、妄想を膨らませる前に現実強度を上げることが重要だということである。
良い対話・議論のために① 圧はなくても良いのでは
圧の強さとリーダーシップとは異なる。
単に圧が強いだけの人は、ただ自分の思う通りにことを運ばせようと躍起になるあまりに、対話・議論環境を犠牲にすることがある。これは、良いリーダシップの発揮と相反する態度と言える。
良い対話・議論のために② 多様性について
ナレッジベースでの世界観を構築していない組織にはある種の気質的同質性が要求されるが、そのままだと当然、多様性を損なう。場に、均質的なアイデアしか現れてこなくなる。
あるいは人はもともと多様だが、気質的同質性への馴致が強く求められる空間において、その個性を発揮することが難しくなってしまう。
つまり、多様な人間が存在するだけで多様性が得られていると思ってはならない。「多様性が発揮されている」という状態を理解する必要がある。
良い対話・議論のために③ ファシリテーション技能について
学習する組織には「相互に発言を促すコミュニケーション」が求められる(と筆者は思っている)。
個々人からボトムアップ的に打ち手を展開してゆける点でもあり、議論を良くしたいと思うのであれば、まずそこに習熟すると良い。
「相互に」が示す通り、ファシリテーション技術は万人に要求されるソフトスキルである。ロールがファシリテーターではなくても、である。もっと言えば、ファシリテーション的状況はミーティングルームの外にも多く存在する。
現代の豊富な資料状況から考慮して、ファシリテーションはある程度まではもはや単なる技術として標準化可能なところまで来ていると思う。つまり、個々人の性格傾向や適性を問わず、万人が多少なりとも取り組めるスキルとして認識できる。
結論
やってみれば概ねディスコミュニケーションへの対処を語る記事となってしまったが、まとめるとざっくり以下のような内容となるだろう。
意思決定内容の伝達は透明性を以ってこれを行い、不利益を被ることになる人々には適切なケアを行おう
誰も責めないマインドで振り返り、チームを立て直そう
蟠りがあるときこそ、笑顔を見せて安心を作ってから、直接リアルタイムで対話を試みよう
何をアタリマエのことを、と思う向きはきっと上手くチームを回しているのだと思う。そういう人のことは「円滑者」と呼び、褒め称えた方がいい。
ワーク:あなたのチームの円滑者を探してみよう!
謝辞
本稿のもととなったわたしの殴り書きドキュメントを評価してくださった某A氏
素敵な絵をヘッダ利用可能な状態にしてくださっていたmacurocuoさん
のご両名に深く感謝する。
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