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暗渠道への誘い 序章 ~ドブにハマって歩こう~

あなたもきっと、無意識のうちに、川の水面の「上」を歩いたことがある。
そこに気づくと、普段歩いている道に、まったく別の景色が重なって見えてくる。

そんな話をしたくて、マニアックな連載を始めることにした。


* * *


世田谷学園は川に囲まれた学校である。
と言っても、本学園の生徒ですら、ピンとこない者が多いかもしれない。

最寄りの三軒茶屋駅と学校の間を往復しているだけだと、この事実には気づきにくい。しかし、池ノ上駅や下北沢駅を使っている生徒は、2本の川を渡らないと登校できないはずだ。また、国道246号の南側にも1本の川が西から東へと流れている。本学園はこれらの川にすっかり囲まれていると言っても過言ではない。

ただし、いま挙げた川はどれも、現在は地表に水が流れていない。
かつての水面に蓋をされ、地下に埋められてしまった川、すなわち暗渠 あんきょである。

東京都内にはかつて、多摩川、荒川、神田川といった有名な川以外にも、多くの中小河川が流れていた。都市化に伴ってそれらの川は、たいてい、コンクリートの護岸で囲われて自然の姿を失っていき、また生活排水の流入により水質は悪化の一途をたどり、川というよりドブのような様相を呈していった。そして、古いものでは戦後まもない時期に、あるいはその後の高度経済成長期に、ほとんどが暗渠に変えられていった。

実は世田谷区の周辺は、暗渠に恵まれた地域の一つであり、その痕跡が至る所に残っているのだ。



見えない川が見えてくる


私が言いたいことは、まず、次の画像だけでほぼ伝わると思う。
この画像は、世田谷区とその周辺の地図を、ただ単に「標高」で色分けしたものである。
国土地理院ウェブサイトの「自分で作る色別標高図」にて作成)

東京の高低差(世田谷区中心)

標高が低いところが青、高いところが白である。標高で塗り分けただけなのに、もうそこには、明確なネットワークが浮かび上がってくる。
まずどうしても目につくのは、地図の東側、渋谷区、目黒区あたりに見える、複雑な枝分かれ模様だろう。しかし世田谷区内にも、何本もの複雑な「筋」が見えるはずだ。

こんな地形を作り出すものが、川のほかに、あるだろうか?

思えば、東京の都心部は、けっこう高低差に富んでいる。それゆえ作られた坂道、階段、トンネルなどが、都心部には数多く存在するのだ。
こういうことは、気づく人は敏感に気づく一方、まったく意識しない人も多いだろう。
特に、鉄道で移動し、最寄り駅と目的地のあいだの往復がメインの生活だと、気づきにくい。つまり電車で通勤・通学している人にとっては不利である。(地下鉄だとさらに不利)
いちばん敏感に気づくのはおそらく、自転車通勤・通学者だ。自転車にとって高低差は死活問題なので、自然と高低差の少ない地形のルートを選んでいないだろうか。

その地形は、人間が都市を作るよりもはるか昔から、川が作ってきた地形に他ならない。その地形に対し、小手先の改造くらいならできるが、根本的に変えることは難しいし、そもそもそんな大がかりなことはしてこなかった。かなり最近まで、川そのもの、および川が作る地形と、共存してきたのである。

しかし現代、都心部の川はほとんど暗渠となってしまった。

暗渠と化した川は、水面を失うだけでなく、行き交う人々の意識からも次第に消えてしまう。
川の跡は、そのまま道として整備されることが多く、それを我々愛好家は「暗渠道」と呼んでいる。緑道や遊歩道として整備された暗渠道もあるが、一見すると普通の道にしか見えない暗渠道も多く、時代が進めば、そこが川であったことを知らない人も増えてくる。その地下には、我々の生活を支える下水道の幹線として、いまでも水が流れている場合が多い。ただ、そんなことに思いを馳せる人は少数だ。

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緑道となった暗渠道(世田谷区若林)

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一見、普通の道だが、これも暗渠道(世田谷区太子堂)



暗渠ウォーカーになろう


ところで、歩いてみるとわかるが、この「暗渠道」には独特の風情が漂う。
ひとことで言えば、「裏側」なのである。
これが実に魅力的なのだ。

特に、川の支流を転用した狭い暗渠道は、基本的に薄暗く、人通りも少ない。かつての川の流れそのままに、道がくねくね蛇行しているあたりが、裏側だという雰囲気をさらに高めていく。大通りや街の喧騒からはやや離れた住宅地の中を縫うように走る場合も多く、そして住宅の玄関ではなく裏庭に面していることが多い。だから暗渠道を通っていると、ときに、他人のプライベート空間に肉薄してしまっているようなヒヤヒヤ感、背徳感さえ覚える。
  
そして暗渠道には、かつてそこが川であったこと、現在は下水道として地下に流路が存在していることを示す、「暗渠サイン」が点在する。
たとえば、橋の痕跡、道端にある特定の業種の店、地上に突き出た排水管、異常に多いマンホール、やたらと主張する車止め、などなど……。
もちろん地形も重要な手がかりである。

以下に、代表的な暗渠サインをいくつか紹介する。

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道をふさぐように不自然に残る、橋の欄干。(渋谷区笹塚)
ここまで明確だと、川があったことに誰でも気づきそうだが、こうした例はもはや珍しい。
奥に見える白い一本の車止めも代表的な暗渠サインである。ここは見事なコンボが決まっている。

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擁壁ようへきから突き出て、そのまま地面の下にもぐっていく排水管。明らかに、地下に下水管が通っていることを示す。(世田谷区松原)

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細い道に連続するマンホールは、暗渠の証。(杉並区和泉)

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フェンスで囲まれて封鎖された、細長く何もない空間があったら、そこそこの確率で暗渠。(世田谷区若林)

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鍛えられてくると、こんな何気ない光景でも「暗渠かもしれない」と気づくようになる。道の片側だけにある、車止めで異様に守られた、一段高くなった歩道。そしてくねくね曲がる道。(世田谷区桜)


こうしたサインを探しつつ、暗渠をたどる。
ちょっとした冒険のような場面もあって、ワクワクすることもある。
そして、自分の頭の中にある地図が更新されていくような面白さを感じるだろう。
いくつもの暗渠サインがつながっていったとき、かつての水面が蘇ってくるのである。


* * *


私は地理や地形などの専門でもなんでもない、ただの理科の教員だが、今年の春ごろ、ふとしたことから暗渠の探索にハマってしまった。
最近はもう、暗渠センサーが備わってしまい、「あっ、あそこ暗渠か?」とセンサーが反応した道を見つけると、吸い込まれるように入ってしまう。重症である。
でも、そんなニッチな趣味の仲間を増やしたくて(?)、これから暗渠のマニアックな魅力を紹介していく。
不定期連載となる予定だが、気長に待って楽しんでいただけたら幸いである。


次回、
世田谷学園から一番近い暗渠「烏山川」を遡上そじょうする。


柏原 康宏(かしわばら やすひろ・理科)


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