東北縦断の旅 ⑧大湯
大館市から車で40分ほどの場所にあるのが、「縄文のストーンサークル」大湯環状列石です。
大湯環状列石は、写真のように大量の石が環状に配置されています。これは今から約4000年前の縄文時代後期に作られたもので、当時の人々の集団墓であると考えられています。
縄文時代はまだ明確な身分や貧富の差が生まれていなかったと考えられ、後の弥生時代・古墳時代に比べれば墓のバリエーションもありません。
しかし、大湯環状列石は他の地域、特に同時代の西日本には見られない整然とした配置の墓を作っています。
日本と言うと、多くの人は、江戸時代までは西日本が発展しているという認識が強いのではないでしょうか。事実、九州北部に稲作が伝来したこともあり弥生時代には人口が急増して西日本が政治や経済の中心となったわけですが、縄文時代においては、東日本が圧倒的に栄えていました。
遮光器土偶
出典:東京国立博物館
亀ヶ岡式香炉形土器
出典:青森県庁
縄文時代と言えば、土偶や縄文土器が有名です。土偶の大半は東日本、特に東北地方から出土しています。写真を載せた遮光器土偶は、土偶の一般的なイメージだと思いますが、青森県つがる市で発掘されたものです。
また、約3000年前の縄文時代晩期に現れた亀ヶ岡式土器は、写真の通り特徴的な形のものも製造され、北海道や関東・北陸地方、少数ながら西日本や沖縄からも発見されており、一種のブランド品として全国に流通していたのではないかと考えられます。
環状列石や特徴的な土偶・土器。同時代の他地域には見られない、デザイン性。このようなものを創造するためには、人手はもちろん、物質・精神的な豊かさが求められます。
大湯環状列石は、(別の旅行で二度訪れているので今回の旅では紹介できませんが)青森県の三内丸山遺跡などと同じく、東北地方の縄文人の生活に思いをはせることができる場所でした。
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高瀬 邦彦(たかせ くにひこ・地歴公民科)
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