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つながりを抱きしめて

If I got locked away, (もし、僕が閉じ込められたら)...

R. CityとAdam Levine による楽曲Locked Awayは、この一節から始まる。

MVを見る限りここでの”locked away”は、「ムショにいれられる」を意味するようだが、今回は違う視点から考えていきたい。
なにしろ2020年は、”locked away”の年だった。複数の都市ではその名の通りロックダウン、すなわち”lock down”が実行され、人々の動きは定められた区内に制限された。日本においても外出の自粛が呼びかけられ、特に緊急事態宣言下の4月、多くの人は自宅に留まった。感染症の拡大防止のために人々が”lock”される状況が発生し、ストレスを抱える人も多かったことだろう。
都市が封鎖され、行動が制限され、他者との交流が絶たれたかのように見えた。しかし人々はどうやら、そういった時こそ他者とのつながりを欲したようなのである。

Locked Awayの歌詞はこう続いていく。

“Would you still love me the same?”(もしムショにいれられても)同じようにおれを愛してくれるかい?)

大切な人とともに時間を過ごすことが出来なくなるかもしれない”I”。大切の人とのつながりはずっと持っていたい一方、”lock”されたら身動きは取れない。ましてやその人と”away”「離れて」しまったら。
この曲ではひたすら「大切な人」に語り続け、疑問を投げかける。生きることについて、大切な人といられることについて、その人とのつながりについて。

コロナ禍の人々は、みな他者とのつながりを守ろうと努力していたようだ。時々フリーズしたり音が飛んだりもしてしまう画面越しの友人たちと笑顔を交わし、メッセージを送り合う……。
考えてみると、こうした「他者とのつながり」を大切にしようとするのは人間の根源的な「生の欲求」なのではないか。
“Locked Away”の語り手は、大切な人とのつながりについて、自分の人生に広げて思考を巡らす。コロナ禍の人々も、他者とのつながりを新たな形であっても維持し続け、豊かな生を途絶えさせることはなかった。他者との触れ合いを持ってして、私たちは日々充足した生活を送り、毎日を楽しむことができるのだ。

今まで通りの関わり合いとは形を変えた、新たなつながり方が模索されたコロナ禍。そんなコロナ禍も実は、他者とのつながりを意識し直す契機だったのかもしれない。

へいすてぃ(論説委員・高校1年)

Photo by Clay Banks on Unsplash

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