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この15年のこと

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2005③

2005③

大人になって、まさか我が子以外に名前を付けることになるとは思ってもいなかった。あと、我が子に名前を付けたことがない四十路になるとも、もちろん思っていなかった。

M-1に出場するために、おくちゃんとよじょうちゃんは、コンビ名を付けることになる。

2人ともまだまだイキリ散らかしている頃だったので、

「どうしよか?まあ、なんでもええけどなぁ。」

と気取ってはいたが、実は、僕はうっすら考えていたも

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2005年②

2005年②

いよいよ『M-1グランプリ2005』のエントリーがはじまった。

今ではネットでエントリーできるのだが、あの頃は、ホームページからエントリー用紙をプリントアウトして、わざわざ郵送しなければならなかった。そう思うと、この十数年で、世の中も随分変わったものだ。

僕もよじょうちゃんも、家にプリンターがなかったので、自力でエントリー用紙を手に入れなければならない。ホームページをしっかり読むと、

吉本の

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2005年①

2005年①

『M-1グランプリ2004』が終わり、2005年がはじまった。

僕たちがM-1に出場する年だ。

ただ僕は、

『もしかしたらよじょうちゃん、気が変わって「やっぱりやらへん」とか言い出すかもな。一応、NSCに行くためのお金だけは貯めとこう』

と考えていた。ちなみに、その時入学していたら、NSC28期生になっていたことになる。

芸人になってから、そんなことを考えていたという話を、28期生の祇園

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1年前④

1年前④

中学校からの同級生の『よじょうちゃん』とコンビを組むことになった。

コンビになるにはなったが、僕が『ツッコミ』で、よじょうちゃんが『ボケ』ということに対して、僕はまだ懐疑的だった。

そもそも、小学校からの同級生『うだぞう』を誘ったとき、僕が『ボケ』になるつもりだったし、もっというと、

『よじょうちゃんのボケって、見たことないなぁ。』

と思っていたからだ。

どちらかというと、よじょうちゃん

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1年前③

1年前③

小学校からの同級生『うだぞう』を、お笑いに誘うと決めたものの、よく考えたら、これはとんでもないことにような気がしてきた。

「コンビ組もうや!」は、もはや「付き合ってや!」と同じ意味だ。ってことは告白なのだ。

軽く告白したとしても、

「(実は俺、お前のこと、おもしろいと思ってるんだ。いつも一緒にいて楽しいしし、何より、いつも俺にツッコんでくれる。その度に俺、『お前しかいない』って思ってたんだよ

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1年前②

1年前②

「M-1に出よう」

ピアスを開けながら心に決めたものの、すぐに大問題にぶつかった。当然ながら、漫才は1人では出来ない。僕には相方がいないのだ。

普通に考えれば、NSCに入学して、誰かとコンビを組むのが現実的だとは思ったのだが、その頃の僕は、同級生コンビじゃないと売れないと、勝手に思い込んでいた。今、思い返してみれば、

「だって、ダウンタウンとか同級生やし。」

くらいの理由しか無かったと思う

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1年前①

1年前①

M-1グランプリ2003の笑い飯の漫才を見たあの日から、ずっと何かがモヤモヤしている。

その『モヤモヤ』の正体には、すぐに気がついた。気がついてはいたが、

『まぁまぁ、自分の気持ちに気づくのが遅かったってことで。』

と、自分で自分を諌める毎日だった。

『M-1に出たい』

そんなことを思ってしまう、自分と、それに付随してくる感情のすべてを『恥ずかしい』と感じていた。

こんな歳で、何かを始

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2年前

2年前

自分の『お笑い』のルーツを遡ってみる。

幼稚園〜小学校低学年にかけては『志村けん』一色。たぶん『オレたちひょうきん族』も放送中だったと思うが、僕は完全に『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』派だった。ロフトのベッドと、受話器が2個ある電話と、三股の太鼓が欲しくてたまらなかった。

『だいじょぶだぁ』に登場する『変なおじさん』のマネは出来たし、『バカ殿』でおっぱいが出たときはリビングが変な空気にな

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