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2年前

自分の『お笑い』のルーツを遡ってみる。

幼稚園〜小学校低学年にかけては『志村けん』一色。たぶん『オレたちひょうきん族』も放送中だったと思うが、僕は完全に『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』派だった。ロフトのベッドと、受話器が2個ある電話と、三股の太鼓が欲しくてたまらなかった。

『だいじょぶだぁ』に登場する『変なおじさん』のマネは出来たし、『バカ殿』でおっぱいが出たときはリビングが変な空気になったし、『ケンちゃんラーメン』はいつでも新発売だった。

小学校3・4年になると『とんねるずんのみなさんのおかげです』の『仮面ノリダー』に大ハマりする。ノリダーの真似をして、サインペンで鼻の穴を大きく描いて遊んでいたら、誤って油性ペンで描いてしまい、必死に落とそうと、石鹸でめちゃくちゃこすって、めちゃくちゃかぶれた。

その当時は、番組が『充電期間』といって、半年くらい休むことがあり『みなさんのおかげです』も休みになった。

「つまんないなぁ〜」

なんて思っていたら、その期間、替わりに放送されたのが、ウッチャンナンチャンの『誰かがやらねば』で、結局大笑いすることになる。『みなさんのおかげです』が復活すると、土曜日の20時に移り『やるならやらねば』に番組名が変わった。『ナンチャンを探せ』が死ぬほど好きだった。あと、ちはるさんに恋をしていたと思う。

その次の年に『ごっつええ感じ』がはじまった。その頃、吉田ヒロさんのギャグが大好きで、初期メンバーにいらっしゃったので見てみたが、小学生の僕には少し難しいコントが多く、あまり見なくて、その時間は『元気が出るテレビ』を見ていた。

小学生の頃は、お笑いが好きというより、バラエティ番組の雰囲気が好きだった。あのチーム感が好きだったのかもしれない。


中学校に入ると、土曜の深夜が楽しみになる。ナイナイさんの『めちゃモテ』があり、その後に関西ローカルで『すんげー!Best10』を見るのが習慣だった。

『すんげー』は、2丁目劇場を主戦場としている若手芸人さんの『ユニットネタ』がランキング形式で披露される番組で、『バカドールシアター』『ベタベタ同好会』『なんじゃそら研究会』などが人気だったが、僕は、しましまんず池山さんの『I love youシリーズ』が大好きだった。

ただ、そのユニットネタ全盛のときに、いつも自分たちの漫才でランクインしていた中川家さんは、よく考えたらいかついなと思う。

あと『おとなのえほん』と『ギルガメッシュナイト』もあったので、土曜日の夜は『お笑い』と『エロ』という、思春期を揺さぶる二大栄養素が凝縮していた。

その頃から、関西の年末の特番『オールザッツ漫才』を見るようになる。

「普段テレビで見れないけど、こういう人が芸人さんに支持されてるんやなぁ。」

と、なんだか裏側を知ったような気がして、芸人さんの仲間になった気がして嬉しかった。

高校に入ると『吉本超合金』が大ブームとなる。その頃に吉本の劇場『baseよしもと』が出来て、クラスの女子も何人かハマっていた。

その頃、お笑いに対して変なトガリ方をしていて、

「女子が笑うところは浅いねん。もっとちゃんとしたところで笑えよな。」

とか思っていた。無事に思春期をこじらせることが出来ていて、なんだかホッコリする。

そして、そのあたりから、今まで見てきたものを継続的に見るだけで、新たなお笑いを探すことはなくなった。バイトをはじめたり、原付きの免許を取ったりと、自分の生活が楽しくなっていったことも要因だろう。

専門学校に入ると『M-1グランプリ』がはじまる。

ただ、僕はその頃お笑いへの興味が薄れていたので、2001年のM-1グランプリもリアルタイムでは見ていない。次の日、専門学校の友達が、中川家さんのネタのくだりをモノマネしていて、

「おもろ!なにそれ?」

と聞くと、

「M-1やん!」

と言われて、大会の存在を知ったくらいだ。

ただ、その年のオールザッツ漫才で、麒麟さんを見たときのことは鮮明に覚えている。

衝撃。

おもろすぎ。

その年のコンセプトが『東西対抗戦』という感じで、一回戦が麒麟VS品川庄司だった。

若手コンビの対決なので、ネタ時間は1分くらいだった思うが、信じられないくらい大笑いした。

2002年のM-1もやっぱり興味が出ず、見なかったのだが、その年のオールザッツ漫才で、笑い飯さんが登場し、僕の中の世界が変わった。

たった1分の漫才で、こんなに人間って笑えるものかと思った。

そして、次の年、初めてM-1グランプリをリアルタイムで見る。

とんでもなかった。

笑い飯さんのネタは『奈良県立歴史民俗博物館』。

約4分の漫才で、2時間のバラエティ番組の特番を見たくらいに泣き笑った。

あの衝撃を超えることは、僕の人生ではもう無いと思う。なぜなら、おそらく、人生の『なにかしら』を選んだ瞬間でもあるからだ。


昔からお笑いが好きで、なんとなく

「お笑い芸人っていいなぁ。なりたいかもなぁ。」

くらいに思ったことはあったが、僕の中で『お笑い=バラエティ番組』で、それと自分が結びつくとは到底思えなかった。

しかし、バラエティ番組を超える『漫才』を見たとき、なぜだか自分と『なにか』が結びついた気がした。

「漫才やりたいかも。M-1出てみたいかも。」

奥田修二21歳。『学天即』と名乗る2年前の話。

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