2005年②
いよいよ『M-1グランプリ2005』のエントリーがはじまった。
今ではネットでエントリーできるのだが、あの頃は、ホームページからエントリー用紙をプリントアウトして、わざわざ郵送しなければならなかった。そう思うと、この十数年で、世の中も随分変わったものだ。
僕もよじょうちゃんも、家にプリンターがなかったので、自力でエントリー用紙を手に入れなければならない。ホームページをしっかり読むと、
吉本の各劇場、日本全国のオートバックス店内にてエントリー用紙配布中。
という文字を見つける。
地元宝塚からまともに出たことのない田舎もの二人は、当然、吉本の劇場なんて行ったこともなかったので、消去法で、オートバックスでエントリー用紙を手に入れるしかなかった。
今では、相方と一緒に行動することなんて、仕事以外でほとんど無いが、この頃は、何をするのも一緒だった。そもそも、漫才をやろうとしていることを知っているのが自分たちだけなので、謎のチーム感があったんだと思う。エントリー用紙を取りに行くだけなのに、予定を合わせて、確か僕の運転で、2人でオートバックスへ向かった。
そして、この頃の僕たちには、
『お笑いをしようとしていることは、親どころか、地元の誰にもバレてはいけない』
という、鉄のルールがあった。23歳で芸人になろうとしているなんてバレたら、恥ずかしすぎるし、地元を歩けなくなるとさえ思っていたから。なので、できるだけ地元から離れて、絶対誰にも会うことは無いであろうオートバックスで、書き直し用も含めて、20枚ほどのエントリー用紙を手に入れた。
僕の家でエントリー用紙に記入することになった。
エントリー用紙を見ると、コンビ各々の名前を書く欄があったのだが、片方の上には
(代表者)
と書かれていた。よく読むと、
※事務局からのお知らせなどは、代表者方の住所に届きます
とのこと。それを読んだよじょうちゃんは、矢継早に、
「じゃあ、(代表者は)おくちゃんで。俺、家にバレたらヤバいし。」
と言った。
『いや、鉄のルールわい!俺かてヤバいねん!なんちゅう速度で裏切ってくんねん!!』
と思ったが、この頃はまだ『友達』だったので、僕はあまり強く言えず、
「あぁ、そうか。そうやなぁ。じゃあそうしよか。」
と、力なく答えるしかなかった。
今思えば、相方の
『お笑いに対して後ろ向きどころか後ろのめりの姿勢』
というのは、この時から出ていたのかもしれない。
僕は、自分が代表者になったことで、自分だけが責任を負ってる感が嫌だったのか、
「代表者は俺でええけど、エントリー用紙はよじょうちゃんが書いてや。字キレイなんやし。」
と、謎の抵抗を見せた。
渋々よじょうちゃんが筆を取った。そして、エントリー用紙を書こうとした時、予想していなかった言葉を発した。
「一番上、コンビ名の欄やけど、どうする?」
、、、こんびめい?
、、、。
コンビ名!そっか!ホンマや!コンビ名がいるんやん!まったく考えてなかった!どうしよ!
こんなに時間が経っているにも関わらず、エントリー用紙には、まだ一文字も書かれていない。
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