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会社員のレジリエンス(折れない心)は、ひたむきさをキッカケに育まれていく

心が折れそうなとき

ふと「心が折れそうな時にどうして回復してたのかなー」ってのを思い出してみました。

心が折れそうな(折れた)時は、独立してからはあまり記憶にないですが、楽天にいた頃にすっごい沢山ありました。

全然成果が上がらないとか、自分はセンスがないんじゃないかとか、他人と比べて自分はイケてないんじゃないかとか、お客さんと会社の利害が相反してて自分はどーすりゃいいんだとか、思ってました。そりゃ毎日、毎日。

悩んで、やる気が上がらなくて、周りが敵だらけに見えてどうしようもなくあがいてるときに限って、元上司とか直属ではない部の役員の方とかが


「良くやってるね!」
「永井ちゃん、元気?」


などと、声をかけてくれたのでした。

それは大概すれ違いざまの一瞬。
ほんとに2秒ぐらい。

仕事で絡みがあるわけではない。向こうはこっちの業務上の状況は知らないわけで、こちらの内面など知る由もなく、慮ってる(おもんぱかってる)訳ではない。「え、あなた、わたしの状況知らんでしょ」とすら思ったw

でも、

あの一言にどれだけ救われたことか。 (T_T)


ひたむきにやってるなら世界の全てが敵になることなんてない

「きちんとやっていれば見てくれる人はいるんだ」
「気遣ってくれてるんだ」
「味方はいるんだ」


と、思えてめちゃめちゃ救われました。たくさんの人数がいる組織の中で「孤独感」あえいでいましたが、見事に救命ボートがやってきました。

その後はもう、軽くスキップですよw
2階分上がる非常階段なんかは一段飛ばしでトントン♩ですよw


ただ、今になって気づいたことですが、あの【何気ない救いの一言】は自動出来に訪れたわけではやっぱりなくて、

私が「うまくいってようがいなかろうが、目の前のことを懸命にやってる分とき」に天から降ってきたのです。

私は、不真面目で人を裏切って人に対して怠惰にまみれてるときは、決して天から降ってはこなかった。自分のことだけ考えて自分だけをいい思いをしようとしてるときは、誰からも声はかからなかった。

迷ったり苦しんだりすねたり揺らいだり、たくさんするけど、

目の前に現れたこと、目の前に現れた人に対して
正しくひたむきにより善くしようと取り組んでいれば、

別に上司や同じ会社や組織の人じゃなかったとしても
神様、おてんとさまはちゃんと見てくれてて、次に向かう力を、メッセージを届けてくれるんです。

正しいことをして、自分と人を同時に幸せにしようと一生懸命になってるときは必ず誰かが手を差し延べてくれる。


正しく生きようとする人に、世界の全てが敵になることなんてないんです。


折れない心は自分ではつくれません。周りの人の力が必要です。ただ、大事なのは「ひたむき」に取り組んでいるかどうか。そこは「自分次第」の部分なのかもしれません。

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