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〇〇がないマインドフルネスはやっても意味無い件

結論から言ってしまいますが、今回は「マインドフルネスには受容の精神が大切だよ!」ということを伝えたかったので、記事を書きました。


ピッツバーグ大学のLindsay.E.Kらは、マインドフルネスに関する様々な研究をまとめて、次のようなことを主張しています。

マインドフルネスはモニタリング(自己観察)だけでは効果を発揮しない。モニタリングと受容の二つが揃ったときにはじめてポジティブな効果をもたらす。

要するに、「受容の精神がない瞑想は意味無いよ」ってことです。


多くの研究で、受容レベルが低いマインドフルネスを行った人は、

・ストレス
・ネガティブ感情の減少
・孤独感の減少

などの効果が低下することがわかっています。


ここまで読んで頂いて、「受容の精神ってなんやねん!」と思った方に説明すると、「感情や思考の変化に対して、批判的・評価的にならずに、ただ受け入れること」です。


例えば、下は悪い例です。

「よし、呼吸に全神経を集中させよう」
「鼻の感覚、お腹の感覚、吸って、吐いて…」
「そういえば今日Amazonで注文した本が届くんだったな。届いたら読もっと。面白いのかなぁ。……」
「いけない。集中力が切れてる。なんて俺はダメなんだ。毎日やってるのに全然成長しないじゃんか。」
「そもそも、こんなことをしていて本当に効果はあるんだろうか?……」

こんな瞑想をやっていると、次第に瞑想が苦行になっていき、毎日行うのが面倒臭くなっていまします。

でも、「受容の精神」を意識するとこう変わります。

「よし、今日も呼吸を感じてみよっと」
「吸って、吐いて、吸って、吐いて…」
「そういえば今日は好きなドラマの再放送の日だ。楽しみだなあ。何年前のやつだっけ?……」
「おっと、注意が逸れてたな。未来について考えていた。人間って面白いなぁ。普段からこんなに注意が向いてないってことだなぁ。さて、呼吸に意識を戻そう。」
「吸って、吐いて……」

僕自身、このようにしてから瞑想が楽しくなりました。


前の瞑想と違う点は以下の2つ。

・「集中するぞ!」と意気込まない:瞑想の目的は注意を維持し続けることではなく、注意が逸れたときに戻れるようになることです。だから、頑張ろうと意気込んで始める必要はありません。日常生活の延長で、ちょっとやってみる、みたいな心持ちで良いと思います。


・注意が逸れたら、そんな自分を好奇心を持って観察する:注意が逸れたときに、良い/悪いの評価をする代わりに、好奇心を持って感情や思考を受け入れてあげます。水族館の魚を見ている感じと言いましょうか?あなたは、魚を見ているときに「あの魚は群れと逆に泳いでいるからダメだ」とか評価しますか?ただ「あの魚、群れと逆に泳いでる!」と気づくだけでそれ以上干渉しませんよね。


まあ、これはあくまで僕のイメージですので、皆さんもやっていく中で自分に合ったイメージを見つけて頂ければ良いと思います。

とにかく、受容の精神があるだけで全然効果が違うよ!ということです!!!


今回は以上です。




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