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スラング「スクールカースト」を整理する:序列意識はあっても”カースト”ではない【教育学】

 「スクールカースト」は2000年代に使われた俗語です。学校での生徒間の固定的な序列を示します。①序列(≒身分)が上の者は下の者を見下す、②仲間集団(グループ)は同じ序列の者同士で形成される、③学校・教室では誰がどの序列か共通見解がある、という捉え方です。
 しかし、実際には学校の人間関係の形は多様です。階級意識ともいえる序列意識が明確にある場合も、「上位」か「下位」かなど何となく二分されているくらいの感覚の場合も、序列意識がない場合もあります。生徒の人数や地域の環境、学力など学校の性質はそれぞれ違いますから、当然生徒の人間関係も変わってきます。一軍・二軍・三軍というランク分けの「スクールカースト」がどの学校にも存在するかのように紹介する文章や動画もありますが、現実はそう単純ではありません。
 あくまで俗語である「スクールカースト」ですが、あたかも実体がある・学校の普遍的な構造である(どの学校でも同じ序列が存在する)かのように取り上げた書籍や論文もみられます。そうしたキャッチーな語を安易に扱ってしまった言説が、子どもの人間関係に対する見方を狭くしてしまっています
 また、インドの身分制度「カースト制」になぞらえた語ですが、実際のカースト制とはかなり性質が違います(詳しくは後述)。スクールカーストは和製英語であり、英語圏でCasteは文字通り元のカースト制に関することを指します。階層・序列・ピラミッド構造を指す語としては用いられません。

「スクールカースト」論で用いられる典型的な図。

 今回は俗語「スクールカースト」について、その意味と、なぜ広まったのか、どんな誤解があり、なぜ使うべきではない語なのかを整理します。


1.学校の状況も「スクールカースト」認識もバラバラ

 スクールカーストを題材とした動画のコメント欄を見ると、実に様々な見解が見られます。「小学校からある」に対して「小学校はなく中学校から出来る」という見解もあります。「上位は気にせず下位が気にする」に対して「下位は気づいていない」、「進学校はない」「男子校はない」に対して「そんなことはない」という見解も。「成績が良ければ上位」に対して「ガリ勉は下位」という見解も。認識は人によってバラバラです。
 しかし、「スクールカーストはこうです!」=「教室の人間関係とはこうです!」と単純化した図は世に溢れています。これはネット上の個人見解だけでなく、ある程度専門性がある書籍でも示されることがあります。例えば、カーストの構成は10%の上位層・60%の中位層・30%の下位層の生徒に分かれる(文献① p.26)と記したものもあります(割合の根拠は不明)。
 序列意識の強弱も階層構造も学校・教室により異なります。2016年20,30代に小中高時代「あなたは『スクールカースト』のなかで、どの層にいたと思いますか?」と尋ねたアンケート調査では、小中高でそんなに割合は変わらず最上層・上層が約15%、中層が約20%、下層・最下層が約10%で、残りである半数は「スクールカーストはなかった」に回答しました。(文献② )いずれかの層を答えた人でも聞かれたから捻りだした人もいれば、「なかった」と答えても序列意識はあったが1軍2軍などはなくぼんやりしていた人もいるでしょうが、少なくともどの学校にも同じ割合の階層が構成されるわけではありません。
 「教室はこんなランク分けがされています!」と示されればインパクトは強く扇動的です。しかし、実際には安易に一般化できるものではありません。

2.言説の広まり:不安の扇動?画期的発見?

 「スクールカースト」の語はスラングでしたが、2000年代に書籍等で取り上げられ広まりました。それ以前も生徒がランク付けを行っている色々な所で言及されていましたが、「スクールカースト」はそれらをまとめて扱える語とされました。よく「アメリカのスクールカースト」としてジョックを頂点とした階層が紹介されます(文献③)が、これは“clique”(派閥)と呼ばれるものです。アメリカのclique研究がどこまで実態を反映しているかは私にはわかりませんが、少なくとも「スクールカースト」と同一の概念ではありません。
 メディアで取り上げた先駆けとされる2007年の雑誌記事では「自分は何軍?我が子は何軍?と気になったら、63ページのチェックリストでいち早くチェック。」など不安を煽る文言の後で「あなたの子どもは1軍?それとも3軍?チェックリスト」と題して1軍・Aランクと3軍・Cランクの特徴が列挙されています(文献④ ※1)。こうした扇動的な言説も含めて、メディアで取り上げられ広まっていきました。

 「スクールカースト」を学術上の語として用いる際、よく引用される書籍が『いじめの構造』(2007年:文献⑤)と『教室内カースト』(2011年:文献⑥)です。これらの書籍を読むと「スクールカースト」の語を取り上げる意義が記されていますが、同時にまずい取り上げ方も見えてきます。

 教育研究において「スクールカースト」概念を提唱した(文献⑦p.311)とされる『いじめの構造』では、「いじめにクラス内のステイタス(筆者注:地位)が関係していることなど誰もが判っていたはず」なのに、「ほとんどの人が、いじめ問題を理解する際にその要素に注目していなかった」と指摘しています。「人はみな平等であるという理想が現実を見誤らせた、というのは言い過ぎでしょうか」という筆者の指摘は、理解できる面があります。
 『教室内カースト』でも、それまでのいじめ研究や生徒文化研究で注目されてこなかった、グループの地位や序列に注目したことを意義としています(※2)。90年代のグループ研究では、各グループは独自の価値観を形成して関わりがない「島宇宙」である(文献⑧)、各グループは価値観が全く異なりそれぞれは別グループを見下しており力関係は対等である(文献⑨)とされました。確かに「スクールカースト」研究が「必ず対等ではない、むしろ優劣は生まれる」と示した意義はあります。ただし、グループ間には序列が生まれることも生まれないこともあるのであり、必ず対等とも必ず序列ありとも言えません。
 これだけ見ると「スクールカースト」の語を取り上げたことは有益に思えるかもしれませんが、その取り上げ方のまずさによって、かえって学校での序列意識を助長してしまった側面があります。これからそのまずさを示します。

3.「序列意識」を「序列」として扱ってしまった問題

 「スクールカースト」はスラングであり、用法や意味はバラバラです。しかし、そのスラングにそのまま乗っかって定義を与えて、普遍的な構造のように論じてしまったことが大きな問題です。
 『いじめの構造』では、スラング「スクールカースト」はカーストの誤った用法が前提になっている(文献⑤p.43)と把握しながら、以下の理由で「スクールカースト」という言葉を使うと書いています。

①子ども達が使っている言葉をそのまま使うことで、子ども達と概念を共有でき、将来、モデルの妥当性を検証することを容易にする
②「クラス内ステイタス」という言葉は、学力や運動能力が大きなウエイトを占めるイメージを大人に与えるが、スクールカーストを決定する最大要因は「コミュニケーション能力」だと考えられている

出典:『いじめの構造』2007 p.43(文献⑦)

 ②も鵜呑みにするのは危険です(※3)が、今回注目するのは①です。概念を共有してしまったことで、曖昧な認識だったもの・統一見解がなかったものに認識の「型」を与えてしまいます。元々「スクールカースト」という語を使っていた人の認識を「やっぱりあるよね」と固定化するばかりか、考えたことがなかった人に「スクールカーストってあるんだ。上に行かなきゃな」という認識を与えかねません。この語がなければそうした認識を生まなかったところに序列意識を発生させてしまっては目も当てられません。
 言説の影響力は案外大きいものです。「脱法ドラッグ」では決してなく「危険ドラッグ」なんだと呼称の徹底で認識を広げたように、呼称一つも軽視はできません。以下は、スクールカーストに関わる研究を整理した小原(2021)が、論文の最後に記した文章です。「スクールカースト」という語で学校の現状を捉えてしまい、それをあるものと思わせることで助長してしまっているので、今後は「スクールカースト」の語を用いないということが記しています。

最後に、本稿ではずっとスクールカーストという言葉を用いて論じてきたが、このような言葉で学校の現状を捉えてしまうことがそのまま学校を耐えがたい場所とし、しかもその秩序を変えられないものと捉えさせてしまっていると考えられる。上にも書いたようにスクールカーストがあると思うこ
とが、スクールカーストの効果を生んでいる部分がある。だから今後はスクールカーストという言葉を用いるのを辞め、クリークという言葉でそれを表すことを提案したい。

出典:小原(2021) pp.166-167(文献③)

 生徒がランク分け「序列」を語っても、それはあくまで「序列意識」です。「1軍・2軍・3軍」はプロ野球球団のように実際に配属があるわけではありません。しかし、「スクールカースト」を論じたものには「意識」を「序列」そのものとして扱っているものが多数あります。
 ひいては「スクールカースト」はどの学校にもある構造として、生徒が「スクールカースト」と呼んでいない、序列意識もあるかわからないデータを「スクールカースト」に当てはめている場合もあります。『教室内カースト』は、主に大学生が中高時代について語ったインタビューを基に「スクールカースト」とはこうだと論じていますが、たまに中学生へのアンケート調査が参照されます。しかし、そこでは自分のことを尋ねた質問「クラスの人気者だ」に「とても/まああてはまる」と回答した者を「スクールカースト上位」、「あまりあてはまらない」を「中位」、「まったくあてはまらない」を「下位」としています。そして、他の質問と合わせて、スクールカースト上位層・中位層に比べて、下位層は「クラスメイトに馬鹿にされていて、うまく対処できない」傾向があることなどが述べられています(文献⑥p.110)。この点には個人の人気だけでは集団が考慮されていないなど代理指標として不十分という指摘(文献⑩)もありますが、そもそも全ての学校で「スクールカースト」が3層構造で存在することを前提にしている点が実態と合いません。
 金谷(2013)は「スクールカースト」を「中学・高校などで顕著に『存在』するとされて教育問題や社会問題を論じるときに用いられる言葉」として、「言葉の独り歩き」も見られると指摘しています(文献⑪)。スラングの取り上げ方によって、言葉の存在を実態以上に大きくしてしまったと言えるでしょう。

4.実際の「カースト」との違い:階層=カーストではない

 教科書で出てきた言葉を用いている所は学生らしい俗語ですが、俗語「スクールカースト」とインドのカースト制は様々な点で違います(※4)。教科書等で出てくるピラミッド型の階層図から連想して(人気などによる)序列・階層(ヒエラルキー)全般をカーストと言うことがありますが誤用です。

1)カースト=階層ではない

 祭司→武士→平民→隷属民→(枠組みの外)不可触民という身分のランク「ヴァルナ」が有名ですが、生まれ「ジャーティ」も重要です。どのジャーティがどのヴァルナかは決まっており、それぞれ固有の文化と職業を持つ共同体です。ただし、近代化に伴い新しい職業が多数生まれたり伝統の職業が衰退したりして、かつてほど職業は重視されません。2000以上のカースト(ジャーティ ※5)があるとされます。階層(ヒエラルキー)=カーストではなく、血縁共同体であることが重要です。

2)カーストは本人の行動や能力ではなく生まれで決まる

 「スクールカースト」は(各人で意見はバラバラですが)コミュニケーション能力・容姿・身体能力・威圧感だとか主に個人の素養によって決まるとされます。「暗い」や「何考えているかわからない」にしても、「理由付け」が個人の性質なのです。しかし、カーストに行動や能力は関係ありません。どれだけ個人の能力が認められても、逆に能力が低いとされても、カーストは変わりません。

3)カーストに上昇や下降はない

 「スクールカースト」は入学当初は固定化しておらずそこでの振る舞いで形成されていくとされますが、カーストは生まれ持ったものです。「スクールカースト」はやらかしがあれば下がることもありますが、カーストは生まれもって決定しています。

4)区分が社会全体に広がっている

 「スクールカースト」は非公式な生徒間の地位であり、実体のないものです。学校を出て「私1軍でした」などと言っても意味はありません。また、プリントに所属カーストを書く機会はありません。
 しかし、カーストは身分制度・共同体組織として社会的に機能しています。簡易的な解説では「カースト制度は廃止されたが差別は根強く残っている」とされていることもありますが、カーストは公的にも無くなっていません。「カーストによる差別」が法律で禁止されているだけです(1950年憲法不可触民制の廃止)。インド独立運動の中心ガンジーも差別の排除は目指しましたが、カースト制度自体は肯定していました。伝統的な分業体制を支持しつつ、卑しいとされる仕事も重要なものだと不可触民を「ハリジャン(神の子)」と称して優劣はないとしました。一方で、カーストがある限り差別はなくならないと撤廃を目指す運動も起こってきました。現在は積極的差別是正政策としてかつての不可触民を「指定カースト」として優遇措置があります。カーストに行政の認定があるのです。優遇措置を巡る軋轢や政治問題など、カーストは今もインド社会の課題であり続けています。

 インド国外へ出ても、その地の移民の間でカーストごとのコミュニティができ、移民の間でもカーストによる差別があるそうです。カーストの意識はそれほどまで人々に浸透しています。ここには共同体・仲間の枠組みを固定化すること、その枠組みに序列をつけることの恐ろしさを表しているように思えます。共同体としてその仲間内では強く繋がれるがゆえ、それが排他的になった時に恐ろしさがあると言えます。
 「スクールカースト」の語は、指すものが「カースト」と大きな違いがいくつもあり、的確な語ではありません(俗語なのだから当然です)。しかし、「スクールカースト」をどこにでもある普遍的な構造として取り上げて認識を固定化してしまい、そんな認識がなかった子どもにも「クラスって1軍2軍3軍に分かれるんだー」と思わせてしまうと、(生得的ではないにせよ)「カースト」のように固定的な認識になってしまいかねません。教育は、人が関わる限り生まれがちな序列意識を「それでも人は尊重し合い生きていかないと仕方ない」と変えていくべき場です。ぼんやりした序列意識をわざわざ「スクールカースト」の考え方で後押しして、歪に固定化するのは大変な損失です。

おわりに.起こりがちな序列意識・見下しを減らしていくために

 多くの人間が関われば序列意識は起こりがちであり、教室の閉鎖性はそれを招きやすいのは現実です。その序列意識は時に1軍・2軍のような明示的な階層を作るまで至ることもあるというのは重要な知見です。しかし、あくまでその階層意識は「意識」に過ぎない、そしてつまらないものであるという認識が必要です。
 階層を自明のものとして「人間関係とは人を虐げるマウント合戦だ」と悲しい学びをして育っては目も当てられません。社会にはそういった人間関係も山ほどありますが、それは次世代に再生産すべきものではなく、断ち切っていかねばならないものです。特に大人側は「スクールカースト」の語に乗っかって煽りや見下しを助長するのではなく、そうした序列意識・階層意識に気をつけるという姿勢であくまで冷静に捉える必要があるでしょう。

【注釈】

※1 なお、この記事ではネット上に「スクールカースト」の語を登録したという人物の語りが紹介されているが、以下の通り本人は「何軍」に位置していたかわからなかったことが記されている。ここからも、何軍という枠組みが生徒間で自覚されていたとしても、教室中に共通見解があるとは限らない、共通見解があると一部の生徒は思っていてもその認識にはズレがあることが示されている。

同じクラスの女子生徒が言った。
「このクラスの人間って1軍、2軍、3軍に分けられてるよね」
俺は何軍なんだ?答えがわからない。確かなのは、居場所もない孤独な学校生活。そして高校2年生の時、学校をやめた。

出典:『AERA』1079号 p.62(2007)(文献④) 

※2 水野・唐(2021)も「スクールカースト」研究は、生徒個人の人気(popularity)の研究や、グループに注目したピア・クラウド研究では問われてこなかった、学級における「所属グループの地位」に焦点が当たっているとしている(文献⑦ p.320)。

※3 序列意識における理由付けを「序列構造の原因」として扱うのは危険である。序列意識の理由付けは、自分を正当化するためのものも多く、そうでなくても偏った見方に基づきやすい。また、「コミュニケーション能力が原因」などという言説は、序列意識を正当化しかねないものになってしまう。今回のように俗語をわざわざそのまま取り入れてしまった場合は、余計にその危険が考えられる。

※4 本文のカースト制の説明は、文献⑫・⑬を参考とした。スクールカーストを主題とした文献の中で、カースト制をしっかり取り上げたものは管見の限りなく(カースト制をもじってや、カーストの誤用に基づいてくらいの言及に留まる)、俗語「スクールカースト」とカースト制の比較は筆者が行った。カーストの

※5「カースト Caste」という語自体は、ポルトガル語で血統を意味する「カスタ Casta」から来ているが、現在はインドでも「ジャーティ」やその制度の意味で「カースト」の語が用いられている。

【参考文献】

①斎藤環・内田良『いじめ加害者にどう対応するか 処罰と被害者優先のケア』岩波書店、2022年
②オウチーノ株式会社「『スクールカースト・社会人カースト』実態調査」2016年:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000123.000014097.html (参照 2024年4月5日).
③小原一馬「スクールカーストはなぜ生まれ、それは『悪い』ものになってしまうのか ―スクールカースト生成の歴史的要因と上位者の攻撃性が高まる要因の考察―」『宇都宮大学共同教育学部研究紀要. 第1部』71、pp. 149–174、2021年
④森慶一「学校カーストが『キモメン』生む 分断される教室の子どもたち」『AERA』1079号、pp.62-64、2007年11月19日
⑤森口朗『いじめの構造』新潮社、2007年
⑥鈴木翔・本田由紀(解説) 『教室内カースト』光文社、2012年
⑦水野君平・唐音啓「仲間関係研究における『スクールカースト』の位置づけと展望」『心理学評論』62(4)、pp. 311–327、2019年
⑧宮台真司『制服少女たちの選択』講談社、1994年
⑨宮崎あゆみ「ジェンダー・サブカルチャーのダイナミクス:女子高におけるエスノグラフィーをもとに」『教育社会学研究』52、pp. 157–177、1993年
⑩水野君平・加藤弘通・川田学「中学生における『スクールカースト』 とコミュニケーション・スキル及び学校適応感の関係:教室内における個人の地位と集団の地位という視点から」『子ども発達臨床研究』7、pp. 13–22、2015年
⑪金谷俊秀「スクールカースト」知恵蔵、朝日新聞出版、2013年、コトバンク:https://kotobank.jp/word/スクールカースト-189538 (参照 2024年4月5日).
⑫鈴木真弥『カーストとは何か:インド「不可触民」の実像』中央公論新社 、2024年
⑬金基淑編著『カーストから現代インドを知るための30章』明石書店、2012年

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